10.本当にありがとう
リーダーの連勤リセット休暇が明けて、交代するように私が勤務時間を日中に戻すためのリセット休暇に入った。調理場の早朝仕込みの手伝いも終わりだ。
毎朝二時に起きて前日の業務報告を確認し、たまに菜園に寄ってから調理場に向かっていたが、リセット後は六時起床でよくなる。早朝の仕込みで二時に起きていた間は、夕方には眠くなり、日が沈む前に寝てしまうこともあった。そんなに早々と寝なくてもいいのに、心身の疲労が知らず知らず蓄積して寝落ちていたんだろう。
もともとの勤務シフトによる休みと採集完遂特別休暇一日、それに有給休暇三日分を組み合わせて五日間の休み。
リーダーは奥さまと街の宿でゆっくり過ごしたが、私の場合はチビがいるので街の宿というわけには行かない。かと言って山小屋にいると仕事になってしまう。チビの
ということで、調べておいた貸し宿に向かった。
移動はチビの腹の上。前脚で私を覆ってくれるので爪の檻の中でゴロリゴロリ。
巨竜のチビがヘソ天の寝転がった姿勢のまま空を流れていくさまは変だろうが、チビが乗れる大きな輸送船を手配できるようなお金はないし、私が乗船する船と並走させるのも申請と交渉が厄介。
今ではチビという特別船の航路申請はお手のもの。
「チビ〜、トイレ〜、トイレ〜。ねぇ、あとどれくらい?」
「今回トイレ多くない? もうちょっとスピードあげていいなら十分かからないけど」
「トイレ〜」
「もう少しだから我慢してー」
上空はなかなか寒く、だいたいこんな会話で
貸し宿の庭に到着して、待ってくれていた管理人さんに挨拶もそこそこで鍵を貰ってトイレへ。慌ただしくてすみませんでした。
私一人で使うにはもったいない小さな一軒家風。この貸し宿を選んだのは窓から一望できる海。
「リャウダーの海の端っこでごめん。でも、来たよ、ゴゴジ」
私が抱えている箱は、ゴゴジの相棒だった人とゴゴジの頭蓋骨の遺灰。
日の出前に出発したけど、ここまでなかなか遠くて日が落ちてしまった。空も海も
「リリカ、さっさと風呂入って温まれー。風邪ひくぞー」
「そうする。寒かったー」
「そこまで高度はあげなかったけど気候かな。オレっちは餌もらってくる〜」
「行ってらっしゃーい」
遺灰の箱を海が見える出窓に置き、シャワーを浴びながら風呂を溜めた。
『チビ船』のデメリットは空調設備がないので寒い。スーッと漂っているだけのように見えるが、腹の上に乗っている私はゴォーッと唸る風の音しか聞こえない。速度が上がると耳が痛くなるのでチビ特製の異能の耳塞ぎでほぼ無音。相当な速さで
加えて高度が上がると気温は下がる。チビが異能で風は防いでくれるから飛行中の強風の暴力はないけれど、気温調節は難しく防寒必須。
あと大人用オムツ。トイレ休憩に適した施設がないことがあるからだ。できるだけトイレ休憩ができるルートを組むけれど、今回は最短ルートでチビになかなかの速度を出してもらって十二時間超えのフライト。
遠かったよ、ゴゴジ。
風呂を出ると温まったこともあって少々肌寒く感じる空気が気持ちいい。こっちの夏はそこまで暑くないと情報にあり、事前に貸し宿の管理人さんと通信した際に、薄手の長袖と長ズボンがいいと言われたが本当だった。
保冷庫に夕飯が入っていたのを温め直して食べる。酸っぱみのある慣れない味のスープ。こっちの郷土料理かな。スープの具材にエビや貝がはいっていて、エビはぷりぷりだった。オイル焼きになっていた魚はあっさりしていたが、半分しか食べられず。チビの腹の上に寝ていただけなこともあってあまりお腹が空いていない。管理人さんに連絡を取り、明日の朝食は不要で今夜の残りを食べることにした。もったいない、もったいない。
食べ残しは保冷庫にしまい、歯磨きをしてベッドに寝転がる。
夜の八時に起きているなんて何日ぶりだろう。チビの腹の上で寝たり起きたりしてきたからこの時間でも起きているのだろうが、頭の奥はもう停止している感じがする。
「チビ、もう寝るね」
窓の外に向かって言ってみたが、外から返答がない。まだ餌場らしい。
ここに来ると決めたとき、普段はほとんど食べられない大きい魚を食べると希望してきたチビなので、餌場で踊っているかもしれない。放置しよう。
肌寒さでゴソゴソと布団に潜り込む。薄手の掛け布団に包まれば気持ちのよい温かさ。
通信魔道具に誰かから連絡が入ってきたけど、応答する力なく寝てしまった。
翌朝起床アラームもなく起きたのは四時。早朝勤務の起床よりは遅いけれど、日中勤務の生活としたら早い。なんなら休暇でダラダラしていいのに、日の出前に起きてしまったことに笑ってしまう。
昨夜受信を放置した魔導具を確認したら、トウマとリーダーから、無事に着いたか? というメッセージが残っていた。
しまったー。連絡しないで寝てしまった。朝四時に通信してうっかり起こしても悪いし、あとにしよう。
トウマからこうして連絡があったことにキュンとした。あっまぁぁぁい! 掛け布団をぐちゃぐちゃにして抱き締め、ゴロゴロゴロゴロ転がってしまった。今の私の顔は真っ赤だな。見なくてもわかる。
リーダーは部下の休暇中に連絡してくることはしない人だけど、今回は特別。散骨のことを知っているから。ただ、ココまで遠いところに行くとは思っていなかったらしい。私の行き先があまりにも遠いリャウダーの海だと知って驚き、休暇申請書を見て睨まれた。
当初、私は通常勤務シフト上で取得となる休み一日と有給休暇一日の合計二日間で弾丸でやり遂げるつもりだった。リーダーが申請書に書き加え、管理所に残った者も特別休暇を取っていいことを知り、聞いてなかったのかと怒られ、ほぼ強制的に有給休暇の取得を増やされた。
世の中が夏休みとなる直前の忙しい時期なのに、五日間も休ませて貰って感謝しかない。
とくに何をすることもなく、窓の外の白む空を、ただ、ただ、眺めた。
天気はよさそう。
昨夜残した食事を温め直してのんびりと腹を満たし、贅沢な気分で朝風呂もした。
持ってきた水色のワンピースに着替える。肌寒さがあるし、海に出るからスパッツは履いておく。
リャウダー地方の見送りは青い服を着るのだと知って急いで街に買いに行ったが、真っ青な服は用意しきらず、水色になってしまった。靴も青は見つからず、サンダルならあった。夏なので許されるだろう。
六時を過ぎた頃、管理人さんが朝食の代わりにフルーツを持ってきてくれた。そして、真っ青な服が一式。
「こちらの風習をご存じない方もおられるので、一応、貸し服をお持ちしましたが、そのワンピースはよいですね」
「ありがとうございます。カーディガンとスカーフをお借りしてもいいでしょうか」
「ええ、天気がよくてよかった」
八時に迎えがあることを確認して、またぼんやりと窓の外を眺めていたら、チビがふよふよ浮いて来た。牙だらけの口をガバリと開けて満足そうな顔。相当食べたんだろう。
「満足した?」
「面白かった!」
食べるのが面白いとは?
水揚げされた小魚の塊に顔を突っ込んで踊り食いのようなことをしてきたのだという。そりゃよかったね。
のんびりとしながら時間を見てトウマとリーダーに連絡を入れ、リーダーは海に着いたら通信を繋いでくれと頼まれた。
借りたスカーフで遺灰の入った箱を包んだ。
八時に迎えに来てくれた車に乗り、海岸に向かう。チビは車を追ってかなり上空を移動中。
空輸船は見慣れているが、海上船は人生で三度目。
酷く大きくはないが、沖まで出るので中型の漁業船のようだ。船の側面も靡く旗も鮮やかな青で装飾されていた。
魔道具のイヤーカフでリーダーを呼び出すと、すぐに繋がったが応答の声はなく無言。私も何も言わない。
風の音と波の音と船のエンジン音がリーダーに聞こえているはずだ。
船を動かす乗組員以外に、桟橋に真っ青な服を着た二人がいた。一人は老齢の女性で一人は中年の男性。おそらく親子だろう。私が船に近づいていくと二人が両手を交差させて胸に手をあてる。こちらの地方で最敬礼や深い謝辞のときのポーズをされて驚き、中年の男性の顔をよく見てハッとした。
「ジマルダさんのご家族です」
船長と思われる人が教えてくれた。
ゴゴジの相棒のジマルダさんのお母さんとお兄さんだった。
ゴゴジは相棒は一人ぼっちなんだと悲しそうに言っていたけど、泣いてくれる家族がいたことにどこか安堵する一方、会いに来るのが遅い! と叫びたい気持ちをグッと我慢した。
ご家族間で何があってジマルダさんは一人だったのか、私が口出しできることじゃない。それに、もうジマルダさんはいない。
ジマルダさんのご家族を探して、今日のことを連絡したのはリーダーしかいない。
細かく泣き震えている女性の前に立つ。
両手に持ってきた箱をそっと差し出した。
「どうぞ、抱き締めてあげてください」
「あ、あ、う、………ああああああっ!」
歪む視界を埋め尽くす、
本当にいい天気だ。
沖の波も穏やかで、海に溶けていった白い遺灰。
乗組員の方々が色とりどりの花びらを空に飛ばせば、チビがこっそり風を弄って、広く遠く飛ばしてくれた。
さようなら、ジマルダさん。
さようなら、ゴゴジ。
ねえ、最後にキスはできた?
ジマルダさん驚いた?
長く長く、本当に長い間、たくさんの命を見守り、見送って、お疲れさま。
遠い遠い未来に、チビやオニキスたちは新しいゴゴジと会う日が来るかもね。次のゴゴジはどんな姿なんだろうね。
「ありがとう、ゴゴジ」
本当にありがとう。
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