8.恋は盲目というけれど
採集隊の第二陣で帰還するのは最前線で頑張ってくれていた隊の本体。もっとも過酷な現場で頑張ってくれた人たちになる。
管理所では仕事を中断しても支障がない職員総出で出迎えることになった。
今回の第二陣では空軍が船を出してくれた。
そして、民間の飛行場ではなく、牧場の片隅を臨時の発着場にして出迎えることとなった。民間の飛行場と管理所は車で二時間は離れている。職員の大半は職員寮住まい。少しでも早く職員たちが休める場につかせようと、空軍とも調整してこうなった。
私には点にも見えない船に向かってオニキスが
船に向かっていったのが魔物なら討伐する方法はいくつかあるが、相棒に会える嬉しさを爆発させて翔けるオニキスなので、怪我なく捕まえる方法はほぼない。この採集所にオニキスを上回る飛翔能力を持つ妖獣はいない。チビも持久力は勝つけど、速さでは負けると言っていた。
「船と伴走するのはいつものことだから大丈夫だろう」
「そうですね」
隣にいた所長が諦めたように言うので、近づいてくる点のような物体を見つめる。点はどんどん大きくなり、小型の空輸船二隻と大型一隻の姿を目視でき、一番大型の船が高度を下げてくる。
「カッコイイ……」
誰ともなく感嘆のため息が出た。
船底に大きく描かれている空軍のエンブレム。側面にはデフォルメされた翼が繫がって描かれていて、よくあんな巨大な船が浮くものだと不思議に思う。
わざわざ空軍の、それも有事では旗艦にもなる戦艦が採集隊の帰還に出向いてくれたのは陛下の采配。
甲板ギリギリに並んでいる軍人の皆様は、右手を胸にあててる礼の姿勢で立っていた。
船底の空軍のエンブレムと戦艦側面の翼が、船首から船尾に向かって虹色に煌き、高度を上げて奥の緊急発着場に向かっていく。
式典でのパフォーマンスで見るレインボーシグナル。
この巨大な戦艦に職員は乗船していないので、わざわざ見せに来てくれたのだ。
こんなに近くで見られるとは思わず、また誰ともなくカッコイイという声が漏れた。
隣領の少し先で演習していた空軍。奥の緊急発着場を使用した報告を受け、点検のついでに採集隊の帰還の護衛をしてくれたという。もう一隻の戦艦が最後の帰還となる後方支援部隊の片付けなどを手伝ってくれていて、残る全員を乗せて明後日には帰還する予定。
一昨日の学生たちは発着場にある建物には立ち入らせていないはずだが、草ボウボウな状態でも軍事基地の一つなので、あのようなことがあれば点検は必須。今回ことがなくても点検に来る時期ではあったので、少し早まっただけだと言い、学生たちが周辺の森を
戦艦が去ったあと、オニキスが纏わりついていた小型の船が着陸した。こちらも空軍が用意してくれた船だ。
オニキスがいるということは、あの船にトウマが乗っている。トウマが降りてくる。
うわっ、どうしよう、ドキドキしてきふた。
どうしようっ!
……と思っていたちょっと前の私に言いたい。
無頓着は私だけではなかったよな、と。
「俺たち言ったんだぜ?」
「髪を切れ」
「髭を剃れ」
「上着も着ろ」
「作業ズボンを着ただけいいとしてくれ。さっきまでいつものパンツ姿だった」
「……いえ、私に謝ってもらうことでもないですから」
誰? というレベルでトウマは野生人のような姿だった。
オニキスが目も口も開けて「悪化してるーッ!」と叫んでいたが、トウマの辞書にある身綺麗とは『風呂に入って臭くなければよし』であって、見た目は含まれない。
そうだよ、知ってた。
年がら年中、髪はボサボサ、無精髭のまま、水着パンツ姿で闊歩しているのがデフォルトの人。それがトウマ。
「よっ!」
「……お、おかえりなさい」
髭モジャの顔がニカッと笑ってきた。とりあえず、ズボンを脱ごうとするのを止める。なんで脱ぐの?
「あぢい」
あーあ、ズボン脱いじゃった。ズボンを履けと言ったトウマの同僚が「俺の努力がーッ!」と悔しがっていたが、脱いじゃったから諦めよう。
安定の水着パンツになり、軍靴のようなブーツも脱ぎ捨て、どこから出したのかサンダルに履き替えた。
うん、いつものトウマだ。髪と髭は酷いありさまだが。髭って一ヶ月でそこまで伸びるもの?
トウマは汗で服が体にくっつく感覚が嫌だと言って夏に服を着ていることがほぼない。TPOはわきまえていて、外の人の来訪がある管理所の建物の中では作業服を着ている。菜園や牧場、山小屋付近ではだいたいこの姿。トウマの水着パンツがトランクスタイプであることがまだ救い。ぴっちりビキニだったら流石の私もドン引くかもしれない。まぁ慣れたら気にならないかもしれないが。
「リリカ、綺麗になったな?」
トウマの姿を呆れて見ていたら、トウマが指の背でそっと頬を撫でて甘い言葉を吐いてきた。
ボボボッと真っ赤になる私に誰か冷水ぶっかけてー! こんな甘い言葉を吐く人でしたかーッ?
「そうだよ! アンタが帰ってくるからリリカを綺麗にしたっつーのに、なんなんだい! なんなんだい! トウマ早くこっち来な!」
「この姿のほうが面倒が少なくて
ベリア大先輩が地面をドシドシ踏み、散髪用の鋏を握ってワナワナ震えていた。ここで散髪が開始されそうな勢いだったけど、大先輩をまあまあと落ち着かせ、トウマは同僚二人が強制的に担ぎ、散髪室に押し込めることに成功した。
帰還したことへの一番の労いは、風呂と慣れた寝具での就寝。家族のいる者は家族と住む自宅へ帰り、一人者は管理所にある大浴場で汗を流したり。
二隻目の職員の出迎えも終えて、私は山小屋に帰ろうとしたが先輩たちに捕まった。まあまあ、もう少しと帰してもらえず、散髪室に一番近い使っていなかった会議室を休憩所のようにして解放してもらえない。
トウマと私の恋路より、現実問題としてオパールたちのことが気になるから帰りたい。よく考えなくても仕事中に出迎えで抜け出しているのが今なのだ。
「先輩たちも仕事に戻りましょう」
「リリカが冷静すぎる」
「ベリアバァさんまだかー」
「リリカが淡白ー」
「リリカまだ行かない〜行かない〜」
やれやれ。
でも、こうしてかまってくれるのがどこか嬉しい私だったりする。
私は管理所職員では一番若手。採集管理所の職員新人採用のだいたい二十四歳以上。採用に必要な公務員試験をクリアするには実は結構学ばないとならない。私が十八歳で採用されたのはチビがいたから。実に不足している知識が多く、採用後の研修が盛り沢山。今も定期的に研修と試験があったりする。
学校を飛び級して飛び級して、学院にはなんとなくの気持ちで入学でき、チビのせいで──言い直そう、チビのおかげでここにスカウトされて約二年。
私は学校を飛び級したその時から同じ年の友だち関係は構築しにくくなり、さらに飛び級したらまわりは常に年上の人ばかり。友人関係というものがわからなくて、実質一人ぼっち。なんとなくやり過ごすその場限りの交流の学生生活だった。
管理所では当たり前だが年上の人ばかり。この二年で私よりあとに採用された人も年上。私のことを妹または娘のように接してくれる先輩方は優しい。今は完全に恋バナのネタにされているけども。
「ふぁあああ、よく寝た。よう、待たせたな」
「うっわ」
「おっわ」
「わー」
……誰?
「アンタは一ヶ月に一回は散髪に来な。髪を伸ばすとロクな姿になりゃしない」
「ヘイヘイ」
「髭は伸ばすなら伸ばすなりの手入れをしな。手入れしないなら剃りな」
「人相隠すのに手っ取り早いからさぁ」
「犯罪者じゃあるまいし」
「回避術、回避術」
ベリア大先輩と軽口を叩く野性味のある美丈夫。低音ボイスのその声はトウマなんだが、こんな顔だったっけ?
「なんだ? 見惚れたか?」
「……こんな顔だったっけ? と見てた」
「こんな顔だぞ?」
「そっかー」
私の記憶の中のトウマは野性人だから、短髪に整えられ、髭のない顔は新鮮だ。あんなにボサボサで濁っていた漆黒の髪もつやつやしてる。
ポカーンとしてしまった私のことをどこか楽しげな瞳で見つめてくるトウマ。管理所の建物に入ったからか、シャツとペラペラ生地のハーフパンツを身に着けている。シャツを羽織ったなら前のボタンは止めればいいのに、チラリズムがセクシー。
そうじゃなく!
髭のないトウマとも会っているはずだが、その記憶がない。採集隊の出発のときも無精髭だったのを思い出していたら、先輩方が静かにどよめいた。
「リリカ……知らなかったの?」
「嘘でしょ?」
「トウマはなかなかのイケメンよ?」
「あの格好にドン引きで彼女いなかったけど」
「整えれば観賞用には最高よ?」
先輩たちからの驚きの声のうち、最後のオチをどう受け止めろと?
「……へぇ」
「流した、流したよ。リリカはやっぱり淡白すぎる!」
「トウマ! この調子だと捨てられるぞ!」
「いや、こんなリリカだから惚れた」
「惚気かよ!」
私に惚れた理由は性格か。
褒められるとどうしていいかわからなくて中身は大パニックなんだが、一周
淡白なわけでもないと思うが、一回か二回驚くと、あとは淡々と受け入れることはあるかもしれない。
ジッとトウマを見る。
無精髭だったときの顔しか思い出せないが、髭がなくなって痩せたように見えるのではなく、頬のあたりは確実に痩せたと思う。
「うん、髭のない顔、覚えた。でも、落ち着かないから無精髭はあってもいいかな」
「おぼ……」
「オニキスに言われて、部屋の空気の入れ替えして、シーツとか洗い直しておいたから今日はゆっくり寝てね」
「……あ、ありがとな」
「整備班の班長さんにリーダーからお願いはしたんだけど、業務復帰の明後日からでいいから世話係のフォローでシフト入って欲しい」
「ああ……」
「あと、あのね、髪と肌のこと、気づいてくれて、アリガト。ウレシカッタ」
トウマの顔を見ていたら、何か言わなくちゃと焦りだし、言わなくていいことまで言ってしまった気がするけど、口から出ていった言葉は取り消せない。顔が真っ赤になった自覚がある。視線はもう床だ。
唖然呆然キョトーンとした顔だったトウマがニヤッと笑い、下を向いた私の顔を見上げるように体を縮めてきた。
「俺は? バァさんが整えてくれたんだぞ?」
「ううううう」
カッコイイよ! でも言えるかー!
「ぶふっ、まあいいや。リリカに無精髭は許されたから生やすわ」
ぜひそうしてください。造作の整った姿に気後れしてしまう。
「おふたりさーん、そろそろい〜い?」
一人の先輩の声にハッと顔を上げて見渡せば、静かにニヤニヤしている先輩方。
圧倒的羞恥!
「〜〜〜〜〜!」
「ぶふっ! まわりのこと忘れるくらい、いっぱいいっぱいだったんだな」
うわあっ! もう、恥ずかしい!
私はぜんぜん淡白じゃなく、トウマの言うとおりいっぱいいっぱいなだけ。
ニヤニヤしていた先輩の一人が羽織っていたカーディガンを頭から被せて顔を隠してくれたけど、水風呂に飛び込みたい!
会議室から脱出して用はないけどトイレに入る。ついてきた女性の先輩たちに慰められ、大笑いされた。
何とか落ち着いてトイレを出たらトウマが待っていて、ニコニコと抱き締めてくるものだから、嬉しかったけど恥ずかしくて汗臭い! と文句を言い、猛ダッシュ!
その一部始終を窓の外から見ていたキィちゃんが地面をのたうち回って悶えていた。私がそうしたい気持ちだったよ。
羞恥の渦からようやく解放されて山小屋に戻れば、キィちゃんからリアルタイム通信で状況を知らされていたリーダーが笑いすぎて横っ腹を痛めていた。オパールたちからは非常にほのぼのとした温かい視線をもらい、恥ずかしかった。
チビとオニキスが「一歩前進かな?」「わからん、気付くと三歩後退するかもしれん」「ここまでおよそ一年」「早く番わねぇかな」などとブツブツ言っていたのは聞こえなかった。
山小屋に入ったら見慣れない花瓶に草花が飾ってあって、スライムが見たことない動きをしてきた。
スライムにも祝われる私。どうやら、愛されてはいるらしい。
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