7.ナントカ以上ナントカ未満

 今日のホットなニュースは、管理所でもっとも強いのは私という間違った噂だ。ヒョロヒョロの腕と鈍足の私のどこに強さが?


「あのチビを一撃で倒せば、そりゃ怖がられるよ」


 料理長、倒したわけではないです。


「リリカねえ、すっごいんだよ! ぴぁーってのぼって、チビにごちんって!」

「ゴードン、やめようか。うん、やめてね」

「はああっ、かっこよかったあっ。ぼくものぼれるようになるかなあ」

「……」


 学校が休みのゴードンが、早朝から昨日の私の再現を管理所のあちこちでしていると聞かされ、探して捕獲したのが調理場の出入り口。調理長がゲラゲラ笑い、更衣室横の休憩所でトーマスたちが来るのを待たせてもらった。

 ゴードンがきらきらした顔で小さな体を使って昨日の私の表現するさまは非常になごむが、その当事者たる私は羞恥である。

 以前に私がチビを仕留める行為を見ている人は、ゴードンの可愛らしい再現で、私が『チビの背登り』をしたのかと思い出して笑い、朝から「よっ! 背登り名人!」とからかわれる始末。


 チビの背登り。

 チビの尻尾から背のゴツゴツとした突起状の部分を足場に蹴り上がり、ふるい落とされる前に両足で頭を挟み込んで、眉間に肘鉄一発。硬い鱗に覆われているチビに対して、私が唯一痛みを与えられる場所だ。その後、九割の確率で痛みに頭を下げるから、高度が下がったタイミングでチビの眉間から鼻を伝って地面に降りる。一割の確率でチビが頭を下げなくてもそのまま跨っていると、ブーブー文句を言いながら降りろと首を下げてくれるから問題ない。

 昨日は鼻を滑り台にして降りた。


 トーマスたちの叱責を聞かず、ノリノリで歌って踊っていたチビと学生たち。その中に飛び込んでチビを止めた背登りに「おーっ」と拍手が上がったまでは、まだいい。まだいいとしよう。寝転がって駄々を捏ねるチビの尻尾を掴んで、引き摺って帰ったのがいけなかったらしい。しかし、あれは引き摺っているんじゃない。チビは自身の退場すら笑いを取ろうとする。地面スレスレに浮いているのを引っ張るとスーッと動くのだ。

 巨大竜を引き摺る女、怪力職員現る。

 商会の倉庫でもチビが商会長と一緒になって踊り出し、全く同じ退場をした覚えがある。あのときギャラリーになっていた商会員皆様からも拍手喝采だった。


「昨日は助かった」

「焦っちゃったわ、ホント」


 トーマスにゴードンの回収を依頼したら、マドリーナとヘンリーも連れて家族全員でやってきてくれた。牧場の従業員に落ち着いてきたし、家族の時間をとったらどうですかと促され、今日は家族の日にすると言う。いいことだ。


 昨日ゴードンに渡せなかったお土産のシュークリームを持ってきて午前のおやつの時間で一休み。やっとゴードンを大人しくさせたが、話題はやっぱり昨日の出来事だった。

 牧場のある場所は管理所職員等の関係者以外立入禁止。採集隊の後方部隊と一緒にいた学生とは言え、入っていい場所じゃない。

 不法侵入した学生は、牧場から山小屋に帰ろうとしていたチビを見つけて、大型妖獣の姿にオーッと騒いだ。その声にナニゴト? となったのがチビ。普段は能天気なチビだが、見知らぬ学生の姿に、これはやばい事態だよな~と頭をフル回転。まっさきにオパールたちのことに辿り着かせちゃだめだと帰ろうとしていたがクルリと方向転換。方向転換したのはいいけど、管理所の建物にも近づかせないようにするにはどうすれば〜と、グルグル考えていたら踊り出していたと言う。なぜ踊るのか。

 当初の目的を忘れたかのようにチビがノリノリに騒いだことで、何人もの職員が、またチビは何をしてるんだ? と、騒ぎのほうを見れば見知らぬ学生の姿。管理所の主要な職員に緊急通信が飛んだ。所長代理は私にも通信を入れたと言っていたけど受信していない。魔導具を点検したが正常だった。緊急通信した対象が役職リーダー以上だったんじゃなかろうか?


「でもまたなんで学生がいたんですか?」


 関係者以外立入禁止の境界にはゲートがある。不法侵入があると心臓に悪いほどのサイレンが鳴り響き、牧場のある奥まで入られることはないはずなのに。


「船の発着連絡ミスで、急遽、緊急発着場を使ったのよ」

「あの奥の?」

「そう、あの奥の」


 管理所敷地でも奥の奥、もはや密林に近い森の中に船の発着場がある。私がここに採用されて初めて使ったのを聞いた。

 定期的に整備はしているけれど、この時期はすぐに草ボウボウになってしまうが、あんなところ使ったのか。


 最初の失敗は後方支援隊のキャンプ地から戻る船の数。民間の発着場が受け入れられる数いっぱいを許可したそうだ。しかし、通常運行している空輸船から緊急着陸の要請があり、一隻分の受け入れができなくなってしまった。

 すでにキャンプ地を出発していた船は小型のものが多く、隣領の発着場まで飛べる燃料を積んでいないのも痛かった。

 発着場近辺で手配ができる臨時の場所も別の用途利用中ですぐに使えるところがなく、やむなく管理所奥の緊急発着場を許可することになったという。

 有事の有事なら学校の校庭や街中の公園などを借りることも考えるが、手配ができる発着場があるなら、発着場ではない場所の利用はできる限り避けるのがマニュアル。

 そもそも管理所の奥の緊急発着場があるから、何かあればそこを利用する要請でいいだろうと軽く考え、民間発着場が受け入れられる最大数を許可した可能性があるらしい。

 あそこは軍事基地と共同管理している発着場。採集管理所よりも軍による管理権限が強く、民間の者の立ち入りは本気の有事以外は厳禁だという認識が薄れていた民間発着場の担当らは何らかの処分があるだろうな。


 船が到着してしまうまでの短い時間に相談し合い、職員とやんごとなき方のところの私兵が乗っている船を奥の緊急発着場に降ろす……はずだった。

 船への連絡でミスが発生した。

 結果、学生が乗っていた船が緊急発着場についてしまったという。

 大多数の学生は起きた事態を正しく理解し、鬱蒼とした森の中の発着場で迎えの別の船を待っていたが、数名の学生がひそりと森の探索に脱走。牧場にたどり着いてしまったのだという。徒歩だと軽く二時間はかかる崖登りがあるの道のりだが、フィールドワークに参加した学生は無駄に元気が余っていた。

 発着場で学生を引率していた者たちが脱走した学生のことに気付かなかったのは、学生たちを待ちぼうけさせる間、発着場の周辺数メートルの森の観察くらいならと許したため。こちらの危機管理も緩かったとしか言えない。


 発着場から牧場までのルートは行き当たりばったりで覚えられるようなものではないし、持っていた記録魔導具の情報は消させてもらったし、チビのことはトカゲから巨大竜に化けたときに首都のローカルな報道紙に載り、こっちに来たことも知っている人は知っているから大きな問題にはならなかった。

 乗り切った。なのでよしとしよう。

 チビも踊りながら私に見つかったら殴られるんだろうな~と思いながら、他に収束させる方法が思いつかなかったと言うから、学生を足止めしてくれてありがとうと、あとで撫でて撫でて撫でまくって、眉間に肘鉄したのは謝った。


「さて、久しぶりに街に出てくる」

「行ってらっしゃ~い」


 トーマスの家族はこれから街散策。トーマスたちもこの一ヶ月近く管理所の敷地を出ていないので、服やおもちゃを買いに行くだけだと言っていたが、それだけでも楽しいに違いない。


「んじゃ、俺は混む前に夕方用の仕込みに戻るか」

「それじゃ、私は菜園に行っ」

「リリカ捕まえたっ!」


 調理長と休憩室を出て、菜園で用意してもらっているトマトなどを引き取って山小屋に帰ろうかと思ったら、背後から嗄れた声をかけられた。あのスライムをきっかけに話をするようになった研究職の大先輩のオバァサマ。ニコニコしている大先輩に逆らう勇気はない。ごみ団子は別の研究者のところだし、なんの用だろう?


「さあ、行こうか」


 どこに? 


「いやはや、チビとオニキスが頼みに来るはずだわ。アンタ、その髪を整えたのはいつだい?」


 毎朝結んでますが?


「……。ああ、そう、そうだった、呆れるほど無頓着だった」

「?」

「はあ……。明日、第二陣の帰還するな?」

「そうですね?」


 毎日オニキスが、もうすぐ相棒のトウマに会えると嬉しそうなんだ。ウザいほど。


「アンタ、トウマと付き合いだしたんじゃなかったのかい?」

「おっ! ぼっ! あっ! つっ!」


 ボンッ! と顔が真っ赤になった自覚がある。お付き合いというか、友だち以上、恋人未満というか、正式につきあっているというわけではないような、ないと思うけど、ない……、ないだろうか?


「ベリアのババさん、リリカとトウマがいい感じになった頃にスライム騒動があってうやむやになり、今後はオニキスの大怪我があって、トウマはバタバタと採集隊は出発となって、状況を正確に理解できていない。と、思われる」

「言われてみると目まぐるしかったネェ」


 料理長とベリア大先輩がヤレヤレと納得しているけど、トウマと私のウンヌンを細々と知っているんですかー!


「知らない職員いるのか?」

「みんな知ってますよ〜」


 うんうんと頷く、たまたま廊下を通行途中の職員が会話に入り込んできた。表情は至って普通。

 え? なんで先輩方々みんな知っているの?

 俺と付き合ってみるか? と言われたあれは夢だったのかと思っている私なのに、私以外の人たちはもう付き合っていると受け止めているなんて、嘘でしょ? どういうこと? 圧倒的羞恥!


「オニキスが『相棒につがいができた!』なぁ〜んて触れ回ったのを知らないリリカに驚くわ」

「トウマも知ってて止めてなかったから、他の男どもへの牽制にしてんのかなぁなんて思ってたんだけど」


 昼休憩で廊下を行き交う職員が多く、驚いた顔で私を見てくる先輩方々の顔が見れない!

 オニキスーッ! 何を言い回ってるの! まだ付き合うかどうかも返事してないのに!

 そしてトウマもなんなの、なんなの、なんなのっ!


「ホーラ、リリカ、わかったら行くよ」

「あうっ!」


 ベリア大先輩に腕を掴まれ、羞恥の空間から連行されて着いたのは散髪室。

 適当に手櫛して、後ろでギチッと結んで、前髪はバチッと止まるヘアピンで上げて止めていた毎日。調理場の手伝いをし始めたら髪の毛はしっかり調理帽に入れなきゃだから、サイドの髪が後ろで結んでほつれてこない長さが最適。下手にショートカットにすると調理帽に収めるのが面倒そうだし、だったらベリーショートまで切ってしまうか迷った時期もある。伸ばして長すぎても邪魔くさいのは学生生活で身に沁みた。そんなこんなで、肩より下のほどほどの長さで落ち着いて早五年。この長さだと実は自分で適当に切って整えられなくもない。もう三年は自分で髪は切ってきた。

 え? ベリア大先輩が切るんですか?


「あたしは散髪が本業だよ。研究のほうが散髪の派生」

「えええええ?」

「ぜんぜん散髪に来ないから知らなかったんだね。トリートメント剤の研究のほうが余暇なんだよ。ホラホラ、お座り」


 抵抗する気ももうありません。

 恋人……では、まだないはずだけれど、トウマのことが好き、なのかも、自分の気持ちすらよくわからない状態なのだけど、鏡に映る自分の姿。

 照明の明かりを反射することなくくすんでいる焦げ茶の髪。目の下の隈。この姿でトウマに会う?


「……」

「身綺麗になりたい気持ちがあるようでホッとしたよ。後ろで髪は結べるくらいの長さで、前髪はどうしたい? 伸ばして後ろで結ぶように伸ばすのか、前髪は作るのか。調理のときだけ気にするなら、前髪はあるのでよいと思うがね?」

「お、おまかせ、しても、いいでしょうか!」

「よし! 任された!」

 

 トウマが帰ってくるのは嬉しい話で、ヒャッフゥ! とウキウキしているオニキスを見ながら、私もどこかウキウキしていたのは事実。

 故郷から取り寄せてた米酒が来たばかりだから冷酒にして出そうと考えたり、オパールたちの食材を手に入れるときにちょこっと食材を分けてもらおうと思っていたり、ほぼ一ヶ月無人だったトウマの部屋の空気の入れ替えと掃除してみたり。だけど自分の身支度には考えが及んでいなかった。


「真夜中にチビとオニキスがやってきてね、あの顔が真夜中に窓に貼り付いてみなよ? 私もよく叫ばなかったもんだよ」


 暗闇に極悪顔の竜。

 暗闇に目つきの悪い狼。

 知っていても怖かったと思う。なんだかすみません。

 どこまでも身支度に無頓着な私を見かねて、チビとオニキスがベリア大先輩の寝室の窓に顔を貼り付けて「リリカを綺麗にしてやってくれ〜」と、懇願してくれたと聞き、余計なお世話を! と思う気持ちと、嬉しい気持ちが綯い交ぜ。

 およそ二十年の人生でこうしたお付き合いをするのは私は初めてのことで、自覚すると妙に浮かれている気がしてならない。鏡に映る真っ赤な顔の自分を見て、ジタバタしたくなってしまった。


「んふーっ!」

「なんだい、なんだい、落ち着きな」

「ハイ、ヨロシクオネガイシマス」


 髪はベリア大先輩がよくしてくれることになるなら、せめて今夜は肌ケアしっかりして寝よう。一晩ではどうにもならないと思うけど。

 ベリア大先輩は、私の様子に苦笑していた別の散髪師さんにも指示して、髪のパックと一緒に顔のパックもしてくれた。髪を手入れしてもらっているとなぜか眠くなるもので、気付けばがっつり二時間も寝てしまった。


「つるつるだ」

「明日くらいまではよかろうよ。これは持って帰りな」


 手渡された袋に入っていたのは、チビの鱗とオニキスの毛玉。


「こんな高級素材をひょいひょい配るなと叱っとき」

「ハイ、スミマセン」


 オレっちのこの鱗でリリカを絶世の美女に!

 急にはならんだろ。まあ、そいつは寄こせ。


 こんな漫才があったらしい。

 チビの眉間に肘鉄するか、撫でてあげようか、とても悩む。

 オニキスの毛玉は私の頭よりデカいし重たい。どれだけギチギチに丸めてあるのだろう。どちらもリーダーに渡そう。すごく大きなため息を吐かれそうだが、適切に素材管理してもらって、そのうち経費に化けるだろう。

 髪の手入れの代金はしっかり払い、顔のケア代は黒餅団子くろもちだんごを差し入れすることで手を打たれた。


「あれ、好きなんだよ。作っとくれ」

「俺もあれ好きです。あとこの前のミーソースープでしたっけ? あれもたまに食べられると最高です」


 黒餅団子は黒石豆くろいしまめを甘く煮て潰して捏ねて作る私の故郷の湯治場とうじばで出される菓子の一つ。豆のペーストをスポンジ生地のようなもので包む菓子もあるが、私は中が餅米で外に豆ペーストを纏わせるのが好き。逆バージョンもあるが我が家はコレだった。

 材料の手配をして作る日を連絡すると約束したら、材料費はベリア大先輩も出すと言い出してきたので、髪と肌をケアする保湿液剤を分けてもらうことで材料費をもらうのはやめた。


 散髪室を出て、いそいそとトイレに寄り、鏡を見てしまう。

 髪はツヤツヤ、肌もぷるぷる。

 これを毎日維持する努力ができないあたり残念な私だが、トウマを出迎える明日までは保たせよう。

 うはー! どうしようっ。ドキドキしてきた!

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