チビと私の平々凡々

5.別れ

　スライムに土下座させられてます。

　なんでかって？

　スライムが勝手に山小屋の屋根と外壁をペッカペッカに掃除をして、山小屋の裏手にまとめてくれていたごみ団子を適切に処分してなかったから。

「だーかーらー、土に還ってもよさそうなものならそのままでもいいかなって」

　ピシッ！

　スライムがトゲトゲしい形状になって、一部を鞭のように振るってくる姿はもう見慣れた。当ててはこないんだけど、うっかり当たったらとっても痛そう。

　だいたいさぁ、勝手に掃除するんだったら、最後のごみの処分までやってくれよぉ。

　ピシッ！　ピシッ！

「……速やかに片付けさせていただきます」

　床に這いつくばるように謝って、やれやれと立ち上がれば、外のテラスで大笑いしているキィちゃんがいた。覗いていたな？

「面白すぎる」

「まったく面白くないからね」

「リリカ最高」

「嬉しくない」

　ニコラさんとモルガンさんは所長たちは管理所に戻っていった。陛下に報告と今後の対応の相談をするのだろう。所長に引きずられるように連れて行かれたリーダーも頑張ってね。

　ピサラとカッサラとは呼べないというか、この名前は捨てたいから呼ばないでくれと言われ、当の妖獣からフクロウ一号、フクロウ二号でよいと言われた。

　無理やり結ばれたクソ当主との相棒契約は解除。魔導具による縛りは残っているので、その問題が解決するまではここで保護。

　離れ離れの不安から寝られなかったらしいオパールたちは番（つがい）とともに安眠を貪っている。ぐっすり寝て欲しい。

　私は今日も早朝の仕込みから動いていたので、夕方に差し掛かるともう眠い。

　所長たちを見送って、テントのテーブルを片付け、さて風呂に入ろうとしたら、風呂場まで短い廊下の入り口を網状になったスライムが物理の通せんぼ。

　そこから始まった『スライムが何に怒っているのか』の推測タイム。とっても長かった。

　山小屋の裏手に行き、苔生（む）すまでそこにあっても問題なさそうだったごみ団子を回収し、じっくり考えて三つを研究室へ、残りは焼却ごみに出すことにした。スライムにそう報告したら、ブヨンと揺れたので正解だった模様。疲れた。

　キィちゃんは「スライムに報告してる〜」とひぃひぃ笑っていたけど、私もこの山小屋の主は誰なのかと疑問でならないよ。

　巨大な氷に抱きついていた二匹の姿がないので、洞窟でもう寝ているのだろう。キィちゃんと遊ぶのは非常に大変なのは知っている。キィちゃんのアクティブさは妖獣仲間からも異次元だと言われているから、チビもオニキスもありがとよ！　明日もよろしくね！

　キィちゃんがテントの近くに作り出したチビより巨大だった氷は、まだ私の体の大きさくらい残っていた。溶けた氷のせいで地面が随分泥濘んでいるが、この暑さだからそのうち乾くだろう。

「ゴゴジ〜、いる〜？」

「……いる」

「あ、いた」

　ひょこっと顔を出してきた場所はテントの裏手だった。ずっと潜んでいたの？

「ゴゴジも朝早くから動いてくれたでしょう？　ちゃんと寝てね？」

「ああ、見張っていなくてもよさそうだからな」

　そう言いながら、オパールたちが寝ているところを見張れる場所に潜んでいるのがゴゴジだよね。

　ゴゴジは他人から預かっている妖獣だから、ここで何かをする必要はまったくないのだが、あれやこれやと助けてくれる。対価はゴゴジの相棒である人に支払っているけど、ゴゴジを預ける費用として戻ってきてしまうとリーダーが言っていた。

　今朝は私が調理場に行くときに起きてきて、菜園で育てる野菜についてアドバイスをしてくれたので、菜園の職員に繋いだ。私が仕込みをしている間にゴゴジは耕し直して畝まで作ってくれていた。

　この三日間オパールたち優先で動かざるを得なかったけど、私はゴゴジのこともとても気になっている。オパールたちが来る前にゴゴジが内密に相談してきたことが、そろそろ現実になるんじゃないかって不安。ゴゴジが地中に潜って隠れている時間が増えているから。

　日が傾いてきて、木々の影のあるこの場所を通る風は涼しい。

　木の葉の擦れる音と泉から流れる小川のせせらぎ。

「ここはとても穏やかでいいところだ」

「うん、ここに就職できてよかった。ゴゴジにも会えたし」

「ふん」

　最初は相手にもしてくれなかったゴゴジけれど、私のあまりのできなさに呆れて助けてくれて、「できることからやればいい」と声をかけてくれたのは新人研修の何日目だったか。

「お前は明日も早かろう？　さっさと寝ろ。われももう寝る」

「うん、また明日ね」

　また明日。

　当たり前のように交わす挨拶にゴゴジが応えてくれることは一度もなくて。「世の中、何が起きるかわからんだろう。明日がくるかもわからん。絶対ではない約束はせん」とプイッと言われたっけ。

　ゴゴジに初めて会った頃のことを思い出しながら寝た。

　起きたらゴゴジはいなくなっていた。

　朝に会った牧場の人たちには、またゴゴジは地中で寝てるんだね〜って笑ってやり過ごした。チビもオニキスも、だな〜ってノッてくれた。

　私の頭の上に乗ってついてきたキィちゃんが後ろ脚で後頭部を撫でてくれるもんだから、堪らずに木の陰で泣いた。

　その日の夜遅く、リーダーに呼び出されて静かに差し出された一枚の書類。ゴゴジの相棒だった人が亡くなった速報の通達。

　書類に落ちた涙にハッとして目を拭う。

「……お前は、知っていたのか？」

「……ゴゴジから聞いていました」

　そろそろね、相棒が消えそうなんだ。

　契約しているからわかるんだよ。

　人は誰かに見送られて逝くのだろう？

　われが代わりに見送ってやるのさ。

　そのときが来たら、われは消える。

　ここには戻らない。

　黙っていてくれたことで最後に大きな迷惑をかける。

　許せ、と……

　ゴゴジが管理所を脱走して相棒さんに会いに行っていたのは内緒のこと。ゴゴジが昼夜逆転していたのも夜に見舞いに行くことが多かったから。

　ゴゴジに地中深く潜られたらどこにいるかわからない。地中探索ができる他の妖獣に依頼しても、ゴゴジの異能のほうが上で見つかることはなく、ヒョコっと出てくるゴゴジを叱るふり。

　私は一回だけゴゴジの相棒の人に見舞いにいったことがある。ゴゴジの世話をしている人はどんな人物なのか会ってみたいと要請があったから。

　療養していたのは病院でも完全独立の簡易住居ところ。病院の建物の中の入院部屋だとゴゴジが会いにこれないから。

　酷く痩せていた。こんな姿を相棒のゴゴジに見せたくないんだと強がったことを言っていたけど、時間があるとこっそりと管理所を脱走して見舞いに行っていたゴゴジ。私がゴゴジの脱走を見逃していることに、小さくありがとうと言ってくれた。ゴゴジとゴゴジの相棒さんと私の内緒だったけれど、とうとうバレてしまった。

「ゴゴジ、間に合ったかな……」

「彼のベッドの傍らに、竜の骨があった、と」

　一緒に、逝ったんだね。

「始末書は明日でもいいでしょうか」

「……明日は休みだろう。明後日でいい」

「わかりました。失礼します」

　ゴゴジに頼まれたときから、ゴゴジが密かに管理所を脱走していた始末書に書く内容はもう決まっている。

　この管理所にチビと来て、妖獣の世話とは？　となっていた私に、大仰にため息を吐きながらも誰よりも丁寧に教えてくれたのは、実はゴゴジだった。預けられているお客様なのにベテラン指導員のようで、この二年あまりやってこれたのはゴゴジのおかげ。

「リリカ」

　グズグズと泣きながら管理所の裏手に出たらチビたちが待っていてくれた。

　別れはくる。

　わかっていても悲しいものは悲しい。

　チビともいつかは別れる。

　人よりも遥かに長く生きる妖獣。いつか私もチビを残して逝く。

　私にとってはまだまだ先の未来。

　チビの寿命の長さにしてみれば、私が逝くのはすぐかもしれない未来。

「暗いこと考えてるだろ。前も話したけど、リリカはリリカの番を見つけることからだぞ。万が一、番が見つからなかったら、オレっちが見送ってやると約束したろう？」

　首をグイッと私の顔の高さまで下ろして見つめてくるチビ。

　チビは人の営みを優先しろとよく言う。

　惹かれ合う人と出会い、運がよければ子に恵まれ、親しい仲間や家族に見送ってもらえるのが理想だろう。それが人だろう、と。

　能天気なようでいてチビは死に別れに冷静だ。私との出会いはあんなに小さくて、正直には教えてもらっていないけれど、おそらくチビも数百年と生きている。それ以上かもしれない。

　たくさんの命と出会い、たくさんの命を見送っているのだ。

　オニキスもキィちゃんも。

　ゴゴジは長く長く本当に長く生き過ぎて、しばらく寝続けたいと言っていた。

　オパールたちのように新しい命を宿す妖獣は珍しく、通常、妖獣は自分を再生する。その認識のほうが強い。再生にかかる年数は数日だったり数ヶ月だったり数百年だったり、その妖獣によると教えてもらった。再生と言うけれど、前の記憶を引き継ぐのか、引き継がないのかも個体差がある。新しい時間をまっさらな記憶から始める個体も多いらしい。

　そんな妖獣の生態について教えてくれたゴゴジは、まっさらになりたそうな感じだった。

　──彼のいない世界にいたくない。

　そう言っていたから。

　妖獣は本当に不思議な生き物だと思う。

　人の営みの側で、人とともに生きてみたり、窘めたり、人がこの世界を壊さないように監視している尊き存在。

「帰ろ？　姐さん（オパール）たちも心配して起きちゃってるし」

　チビが広げてくれた前脚に体を預ける。

　鋭い爪の檻に守られて体が浮く。

　寝そべった姿で宙をゆっくり飛ぶチビの腹の上。

「私ね、明日は休みなの」

「リーダーとサリー姉さんが来るって言ってたな」

「言うこと聞いてね？　私、ゆっくり寝たい」

「ずーっと朝早くから調理場の手伝いしてっから疲れてきたんだよ。寝ちゃえ寝ちゃえ」

「うん、あしたは、リーダーとサリーせんぱいが、きて、くれる、から……」

　オパールたちのことはリーダーとサリー先輩が見てくれるから、明日は一日中寝たいなと、言ったか言わないか。

　私はチビの腹の上で寝てしまった。

「寝かせたのか？」

「んー、起きてっと、くら〜いこと考えて泣き続けそうだから」

「そだな。そういや俺の相棒がそろそろ帰ってくるから、また見守ろうや」

「だな」

「なになにコイバナ？」

「キィ、変にかき回すなよ？」

「へいへい」

「なぁ、どうやってリリカをベッドに寝かせんの？　このメンツで異能制御がうまいのいないじゃん。俺は鍵どころか扉ごとぶっ壊す自信がある」

「アタシがどっか潜り込める場所があれば潜り込んで鍵を開けるけどー」

「スライムに窓開けてもらう」

「その手があった！」

「は？　……ほーんとあのスライム規格外ね」

「便利ちゃ便利だぞ？」

「綺麗好きすぎるけどな」

「おーい、スライム〜、リリカの部屋の窓開けてくれ〜」

「……開けた、本当に開けた」

「スライム、リリカはすっごく落ち込んでるから、しばらくはあちこち汚してもそう怒るなよ？」

「そうそう、多少の汚れで人は死なない」

　ブヨンブヨン。

「……スライムってこんなに意思疎通できるもの？」

「知らん」

「あのゴゴジすらこのスライムは理解不能って言ってたぞ」

「理解するのやめるわ」

「ちょっとー、リリカ布団ぐちゃぐちゃじゃん。こういうのはスライムは怒らないわけ？」

「ぐちゃぐちゃに見えて密かにスライムクリーニングされていると思う。キィ、その上の薄っぺらいのどかしてくれ」

「スライムクリーニングって新しい言葉ね。ほいよ。あ、本当だ。この布、洗濯したあとみたいにキレイ。ナニコレ……密かにこんなコトされてるの逆に怖い……」

「リリカ起きてないよな？　よし、キィ出てこい。スライム、窓閉めてくれ」

「……閉めた、閉めたよ。あ、空調確認してるよ。保護者かな」

「リリカを浮かせるので疲れた～。オレらも寝よ寝よ。明日はのんびりな〜」

「だな〜」

「明日も遊んでよ？」

「えー」

「えー」

「何か？」

「……ナンデモナイデス」

「……寝よーぜ」

「おっと、姐（ねえ）さん方〜、明日のリリカは放置で。世話係のリーダー来ますから」

「わかったわ」

「番もいるから大丈夫」

「寝よー」

「寝よー」

「じゃーなー」