2.私の中の私のものではない記憶

 私には今生きている人生とは別の私の人生ではない情報がある。その別の人生の情報はチビによってもたされた。

 小説などでは前世の記憶を思い出すような場面があったりするが、そういうものではなく、チビの異能の余波で植え付けられた、らしい、多分、おそらく。

 小指の長さくらいしかなかったトカゲのチビがドドンとデカい竜になったとき、何らかの余波を被ったというのが私の推論。


 あれは卒論を提出して浮かれていた日だった。

 学院の裏庭でチビの餌になりそうな虫を探しつつ、今日も可愛い可愛いと手のひらに乗せたトカゲのチビを愛でていたら、目の前が急に眩しくなって目を閉じ、なんだったんだと目を開けたら、巨体の竜がいた。鋭く長い爪のある前脚にガッチリ捕獲され、牙だらけの口の中に半身咥えられるように持ち上げられ、ベロンと舐められ、涎だらけになった。


 当たり前だが、突如の出来事に私は大パニック。

 極悪顔の巨体竜となったチビは、どう見てもティラノサウルスで、アロサウルスで、ヴェロキラプトルで、ようやく落ち着いたときに「ティラノサウルスってなんだ? アロサウルス? ヴェロキラプトル?」と、この世界にない情報が頭の中にあることを知り、とても混乱した。

 混乱したのだが、私は早々に原因を突き詰めるのは諦めた。

 チビのほうが、私の中に私の生きてきた時間以外の何かが生えたことを知って私以上に驚き、大パニック。その姿を見ていたらどうでもよくなったのだ。

 はちゃめちゃ慌てるティラノサウルス。なかなか面白い絵面だった。


 チビは何日間も異能で私を調べに調べていたものの、悪影響はない、多分、おそらく……と、私に続いて諦めた。というより力尽きただけとも言う。


 頭の中の未知の世界はチビ曰く前世というものではないという。

 思いだそうとして思い出せるものではなく、ふっと滲むように頭の中に広がる知らない食文化、知らない動植物、奇っ怪な建築物──。

 チビが「前世とかそういうんじゃない」と言っていたのもなんとなくわかってきた。

 一人の人生の記憶というより情報、または知識的なもの。

 例えるなら、目の前に分厚い図鑑があるけれど自分でページを捲ることはできない。何かの瞬間に勝手にページが開いて情報を見せてくる。そんな感じだ。

 私が生きるこの世界と似ているものも多いが、まったく知らないものもあり、ふとした時に浮かんでくる情報たちはなかなか面白い。

 似たもの探しをしてみたら味噌や大豆のひしおに出会い、各地の郷土料理や調味料に興味を持つようになった。

 日がな一日、苔を見ていた私に、行動的な趣味ができたと思われたのでおかしくは思われていない。


 チビの本当の姿が希少な竜種だったことで就職先が決定したのは、棚から牡丹餅とでも言うか、思いがけないことだった。

 学院まで行ったがとくにやりたいこともなく、故郷に帰って商店街のどこかの店番として働かせてもらえないかとふんわりと思っていた身としては、公務員になるなんて思ってもいなかった話。

 スカウトだったけれど、公務員となるため必要な試験は受けさせられた。学院の専門学科の重箱の隅をつついてくるようなイジワルな入学試験よりは優しい一般教養試験だった。

 ただ、高貴なる方々の家名や関係図などを覚えるのは継続課題。覚える必要性がなく生きていたので、王侯貴族のことは学んでこず、管理所に採用されて最初の研修がそれ。イチ職員に上流階級のしがらみや派閥関係などの情報が必要と思えないが、写真付きの貴族年鑑をみても顔と名前が一致しない。


 妖獣についても管理所に入ってから本格的に学び出したところ。学校と学院で一般的なことは習ったが、チビの相棒となったことでより詳しく知らねばならない立場になったからだ。

 妖獣はこの世界の全生命体の中でも一線を画す存在で、長年研究されているが未知のことも多い。


 妖獣と相棒契約している者は多くはないが珍しいことでもない。

 また、首都のような人がうじゃうじゃいるようなところではあまり見かけないが、長閑な領地では人と生活の近くに妖獣がいるのは当たり前の光景で、私の生まれ故郷の商店街にも猫というか豹のような姿の妖獣がいる。特定の者と相棒契約はしておらず、商店街に棲み着いている幼児の背丈と同じくらいの妖獣だ。魚屋のオッチャンと酒屋のばあさまを気に入っていて、店先で看板猫になってみたり、気が向くと異能を使って店の配達を手伝っては、誰彼構わずイチゴを強請る。そんなわけで、いつでも妖獣にイチゴを与えられるよう、あの地域一帯ではイチゴの温室栽培をしていて、商店街周辺はイチゴ商品が盛り沢山。商店街を通って山あいにある湯治場までの道のりは、派手さはないが観光スポットにもなっている。

 ちなみに商店街に棲んでいる妖獣はイチゴちゃんと呼ばれている。当の妖獣もそう呼ばれていることは認識していて、呼ぶとピクリと耳が動くが九割は無視される。イチゴちゃんと呼んで必ず応えてもらえるのは、魚屋のオッチャンと酒屋のばあさまだけである。

 イチゴちゃんがいるおかげで、イチゴの名産地となり、観光客の来る地になり、湯治場の知名度が上がり、安定した観光収入は土地を潤す。

 私の曽祖父の時代くらいからいるイチゴちゃん。イチゴちゃんのおかげで街は盛り上がったと言う人もいるが、イチゴちゃんがいなくなっても続けていけるかは人次第。


 人と妖獣の持ちつ持たれつとだと言う人もいる。人視点の言葉で人と妖獣が対等のように聞こえるが、過去の人の過ちの歴史を知れば違うと思う。

 この世界の頂点は人ではなく、妖獣だ。

 妖獣はこの世界を監視している。私個人の解釈だけど、幾人かの学者の説にもある一つの見方。

 旧時代にあった人と人が己の欲に溺れて争い合った大戦争。何もかも奪う殺戮兵器により、人だけでなく、ありとあらゆる命が奪われ、土も海も死に、この世界からすべての命がなくなりかけた。

 人の驕りが世界を殺した大いなる過ち。

 大戦争は妖獣たちによって終戦する。

 妖獣たちは戦争の中心となる者たちを滅した。都市ごと滅した。小さな島ごと滅した。大陸の一部もろとも滅した。

 そしてそのときの妖獣たちが救ってもいいと思った少ない命が今に繋がっていると言われている。

 人が奢り、欲に溺れて同じような過ちを起こそうとすれば、妖獣は人を殲滅するだろう。

 そのために妖獣は人の近くにいる。

 私は歴史を学んでそう思った。

 妖獣を怒らせてはいけない。そう思う。


 しかし、まさか自分が妖獣の相棒になるとは思わなかった。

 チビの世話をしていると、脳天気さに脱力することも多い。妖獣による人類監視説が崩壊しそうな毎日だ。

 山小屋から牧場に戻れば、ゴゴジは完全に土の中で、潜っていった穴の形跡すらない。さすが地竜種。土の扱いはプロフェッショナル。


「ゴゴジ、わかんなくなっちゃった」

「起きたら出てくるから放っておこう」


 潜ったところとはぜんぜん違う別の場所からね。私の山小屋の周辺か、チビの寝ている洞窟か、菜園の農機具小屋の横あたり。


「あのね、コレ、ここにういてたんだけど、ボクのあたまにのっちゃったの。父さんたちさわれなくて、リリカねえならとれる?」

「……ちょっと待ってね」


 ゴードンの頭に乗っているように見えるのは半透明の板のようなもの。何度か見ていて知っている。妖獣が異能で作る伝言板。この管理所でこの伝言板を使うのはゴゴジくらい。読ませる人を限定していると、他の者は触れることもできないし、書いてあることも読めない。板に重さはないが頭の上に違和感はある。

 ゴードンの頭にくっついたのは、ゴードンが接触する誰かに届けたかったからだろう。今回の場合は多分、私だ。

 ゴードンの頭の上にある板に手を伸ばせば拒否されず、私の手で握ることができた。

 ゴゴジの伝言は古代文字。この古代文字が読める人はこの管理所でも数人しかいない。なお、私は読めない。なのに私宛。面倒くさい。


「あ、とれた!」

「うん、気持ち悪かったね」

「ぬあー、きもちわるかった」


 ゴードンは頭のてっぺんをわしわしと揉んで、頭に残る伝言板のあった違和感を取り除いている。なんとも言えない感覚なのだよね。触れないのにそこにくっついている摩訶不思議さ。

 ゴゴジなら直接私に伝言を飛ばせるだけの異能力があるのに、眠くて面倒くさがって近い者に託すことにしたのだろう。ゴゴジが起きてきたら幼児に伝言を託すなと説教しなければ。

 ゴゴジの伝言板を私の頭の上に翳すとヒタリと頭にくっついた感覚。手に持っているのも邪魔なのでこうして運ぶ。もう慣れたものだ。


「はい、ぶどう。もらったから半分あげる」

「わあ! おおつぶぶどう! やったあ!」

「そろそろ学校の通信繋がなきゃ遅刻しちゃうぞ?」

「うん! きょうはね、すうじのべんきょうなの! またねー!」


 数字、数学か。頑張れよ。

 ゴードンが牧場の建物に走って帰るのを見送り、えんえんと喧騒が聞こえてきていた斜め後ろを振り向く。

 視点の先ではトーマス先輩や牧場の従業員数名が草の上に座って上空を見ている。

 上空ではオパール一号が体に小さな雷を纏わせていて、オパール二号の周囲にも朧に白炎が見える。対峙するのは腹がぽっこり膨れているチビとオニキス。二匹とも腹を上に向けて寝そべって浮いていて、その姿だけ見ると一触即発には見えないが、空気は非常にピリピリしている。チビとオニキスがオパールたちに「落ち着けよぉ」と説得をし続けながら、蜘蛛の糸のような檻の範囲をジリジリ縮めてオパールたちを地面に戻そうと頑張ってくれている。こう高い上空だと人では手の出しようがない。


「リリカ、すまんがチビと連携してくれ」

「何があったんですか?」

「わからんのだ」


 急にオパールたちが叫び、離れて見守っていた牧場の従業員に向かって突進したのだという。従業員とオパールたちの間に障壁を作って事故を防いだのは地に潜っていたゴゴジだと思うが未確認。

 異様な雰囲気を察して、食事後の水浴びをしていたチビとオニキスが駆けつけて今に至る。どこにもオパールたちが爆発した理由を推測する事柄がない。


「チビーッ、オニキスーッ、穏便にーッ」

「今だって随分穏便だけど?」

「これ以上、どうやって穏便に?」


 ヘソ天の二匹が上空からぶつぶつ言ってきたが、オパールたちはやんごとなき方のところから預かっているお客様なので怪我は避けたい。そのあたりはチビもオニキスも理解してくれている賢さ。人の事情をわかっているから今この状態なのだろうが、オパールたちを見ると瞳が真っ赤に変化していて、凄い怒ってる。うっわぁ、どうしよう。本当になんで?


「いっ! 痛い痛い痛いってば! 何なんだ! ゴゴジ!」


 頭の上にくっつけた伝言板が頭を叩くように跳ねる。素直に痛い。この状況でなんなの! 早く読めってことか? だったら古代文字で書くなって! 前にも読めないって言ったのに!


「ち、ちびぃ〜、これ読んで〜! ぎぃっ、痛い痛い痛いっ」

「……」


 この場で古代文字が読める人はいないが、チビとオニキスなら読める。

 呆れた視線を感じるが、チビが高度を下げて伝言板に鼻先を触れると私の頭から板が離れた。

 チビが読んでいる間、しばし落ちた無言。オパール一号が纏う雷のバチバチとした音が空気を震わせていて若干ピリピリする。


「……えぇぇ……」

「何が書いてあった?」

「メンドウクサイことがオキルヨカンしかしない」


 ……だろうね。チビの棒読み加減で凄く伝わってきたよ。


「隠すことじゃないからトーマスや所長にも言えばいいと思う。あとリーダーとか、もう全員でいいよ、全員」

「?」


 宙で寝そべっていたチビは顔をオニキスに向けると異能で何かを伝えた。オニキスが「はあああっ?」と素っ頓狂な叫び声を上げたので、多分、チビから異能の交信で伝わったんだろう。

 浮いたままのチビが前脚をちょいちょいと動かしてきたので額をチビのゴツゴツした体にくっつければ、頭の中に直接チビの声がした。


 ──オパールたち妊娠してる。イライラが増しているのは悪阻だから優しく。妊娠しているこの時期につがいと離れ離れにするなんて馬鹿なのか? 隊はまだ帰らない? byゴゴジ


「はあああっ?」


 オニキスと同じように叫んでしまった。

 ゴゴジの『馬鹿なのか?』の愚痴は、採集依頼をゴリ押ししたやんごとなき方の人たちのことだとすぐに分かった。オパールたちを預けていくときも揉めたのだ。だってオパールたちの私ら世話係への警戒度が凄かったんだもん。

 やんごとなき方々とは正しくは貴族だが、尊敬する貴族のことは『高貴なる方々』、バカにするときは『やんごとなき方々』と言い出したのは前所長だと聞いた。管理所の職員間だけの隠語である。前所長の時代にも面倒くさい何かがあったのだろう。紐解く気はしない。

 そんな風に私たちがこそこそブチブチと愚痴を言っているから、公の伝言板にしなかったのかな。私個人宛だったのはゴゴジにも事情があって、人との交流は限定的。私以外だとリーダーくらいになる。


「リリカ?」

「あー、えー、トーマスせんぱい、タスケテください」 

「リリカに先輩呼びされるのは、ろくなことではないときだよな」

「ははは……」


 トーマスに隠すことではないというチビからトーマスにもゴゴジの伝言をそのまま頭の中に流してもらったら、トーマスのデスボイス「はあああっ?」が響き渡った。

 トーマスパイセン、お怒りごもっとも。


 オパールたちは雌だったのね……。

 妖獣は雌雄がないものが多く、番う生態かどうかも個体差があるのでわからない。番う妖獣なんて希少な研究対象になるレベルで相当稀だと思う。妖獣の番う生態などの詳細はわかっていないが、番う仲の個体がいるなら離れ離れにしないほうがいいという情報は、妖獣に関わる者なら基礎で知っている。恋路をジャマして、異能の暴力にやられたくない。


「……チビ、オニキス、オネェサマたちともう少しお話してみてくれないかな?」

「えー」

「えー」

「私とトーマスで所長たちと話し合ってくる間、頼む!」

「えー」

「えー」


 人の事情で番と離れ離れにされたオパールたちは、人に対して怒っている。あの真っ赤に変化した瞳はそうだと思う。人の私やトーマスが声をかけても雷と炎の雨が降ってきそう。せめて瞳の色が正常に戻るくらいに落ち着かせてほしい。

 妖獣には異能による交信でコミュニケーションがとれるので、チビとオニキスに説得を頼む。


「よし、落ち着かせることができたら、チビとオニキスにはフォレストサーペントを振る舞ってやろう」

「ほんと?」

「まるごと?」

「ああ、丸ごと」


 トーマスがご褒美を出すと言ったらチビとオニキスは俄然やる気になった。

 前回、脂の乗ったフォレストサーペントは秘蔵の甘口の大豆の醤をベースにしたタレで蒲焼きにして美味しく食べた。普段はスプラッターな血だらけ生食を好むチビとオニキスが珍しく味付きをむしゃむしゃ食べてハマったほど。

 ……まさか?


「え、もしかして」

「リリカの甘ダレは絶品だったなー!」

「だったーっ! よし! オパールねえさん、オパール姐さん、おちつこー!」

「俺たち姐さんたちの食べたいものなら何でも狩ってきまっせー!」


 あの醤油は高いのにーっ!


「さ、リリカ、今のうちに所長たちを呼び出すぞ」

「たかいのにぃ〜」

「……経費で落ちる! 多分!」

「しょうゆぅ〜」


 オパールたちの雷と白炎が飛び交う異能の檻の中、綿あめのような何かをポンポンと生み出して、胡散臭い物売りのように前脚を揉み手するチビと、パステルカラーのシャボン玉や花をポンポン生み出して、三尾ある尻尾で揉み手しているオニキスを頭上に放置し、私は「醤油は経費、絶対経費」とつぶやきながら、トーマスに背を押されて管理所に向かうのだった。

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