チビと私の平々凡々

愛賀 綴

1.一日の始まり

 日の出前の早朝四時、建物の裏手の職員用出入り口から調理場に真っすぐ向かう。調理服に着替えようとして、洗濯部から戻ってきていた調理服が大柄の大人向けしかなく、大柄でも小柄でもない大人の普通サイズがない。間に合わないかもしれないという事前の連絡通りだったので、持ってきた半袖シャツと普段着ている作業用ズボンの予備に着替える。ドーム型の調理帽に髪を押し込み、準備完了。

 初夏でも日の出前の時間帯は少し肌寒い。着てきたのは薄手の作業服の長袖シャツだったから、半袖に着替えてエアシャワーゾーンを通ったら、風が体温を奪っていってブルリと冷えた。


 採集管理所は終日職員が交代で詰めていて、夜中と早朝の間のような時間でも調理場横の食堂で誰かが小腹を満たしている姿があるものなのだが、今日も人気ひとけがない。

 一ヶ月ほど前に大きな採集隊が結成され、かなり多くの職員が採集に駆り出されているからだ。

 所長をはじめとした上層部は、依頼された採集にごねて突っぱねていたが、最終的にのゴリ押しとお金の力に負けた。ごねていた間に依頼されていた植物の採集に最適な時期が終わりになりかけたことで採集の苦労が増し、隣領から採集人員を貸してもらう日数確保もできず、管理所の職員と領主が手配してくれた街の人たちでなんとか人数を確保しなければならなかった。

 ゆえに管理所は只今絶賛人員不足。

 所長たちは人命大事を理由に依頼を突っぱねていたのは知っているけど、もしかしたらと考えて、水面下では採集隊の事前準備はしておくとか、ごねる期間はほどほどにするとか、もう少しできたこともあっただろうに。

 現在の人員不足で駆けずり回っている下っ端の一人として、そんなことを考えてしまう。


 エアシャワーゾーンを抜けて調理場に入ると、隣接する食堂の監視魔導具が人を感知してピョョョョンと気の抜ける音を鳴らした。音以外は正常なので使い続けていると聞いているが、私がこの管理所に採用されたときからこの変な音。調理場のこの気の抜けた音に慣れると、他の場所にある正常なピッと短く小さく鳴る音に感動する。ああ、この音が正常だよな、って。


 さて、食堂のテーブルに放置されている食器が見えたが片付けは後回し。とにかく仕込みが優先。

 管理所の食堂名物の具だくさん野菜スープは、野菜の出汁ベジブロスから仕込んで作る。市場で売れ残りになった廃棄寸前の野菜や、管理所の菜園から採取してきた野菜で作るのだが、今朝は作業台にあったメモに寸胴鍋五つ分の量が記されていた。私が抱えて持ち運べるギリギリの大きさの寸胴鍋五つはなかなかの量だ。世の中には粉末スープや真空パック商品も売られていて味もいいので、効率重視ならそういうもので十分だが、手間のかかる調理工程で提供される食堂の野菜スープは一味違うと大人気のメニュー。そんな理由で、手間のかかる仕込みをやめられないでいる。食品工場に卸すには量が微妙な野菜類を無駄にしないためでもあるので、野菜の出汁ベジブロスの仕込みは続いていくんだろう。


 保冷食材保管庫から野菜クズの入ったボウルや籠をどんどん出して作業台に並べていく。菜園から収穫したものからスープ用にまとめてあったネギやキャベツの外側の葉などもどっさりあった。

 市場から引き取った売れ残りの廃棄寸前のものは、たまに腐りかけのものが混じっているので選別しないとならない。これが一番時間を要する仕事だ。

 昨夕に手伝いに来てくれた人たちでほとんど選別してあったが、一つの籠だけ無分別だとメモがあった。

 調理に使えるもの、調理には使えそうにないもの、完全廃棄を分別する。完全廃棄のものも肥料にするので専用のゴミ箱へ。

 ドカドカと鍋に野菜クズを放り込み、スイッチを入れた魔導具制御付きのかまどは高性能。沸騰したら弱火になるようスイッチを操作して、食堂のテーブルを片付ければ作業は一区切り。

 一度、鍋の様子を見て、保冷庫に作り置きしてあったパエリアと芋団子、トマトベースで仕上げてあるスープを貰って温熱機で温め直し、朝の賄いを貰う。

 調理場の臨時助っ人になってありがたいのは、作り置きしてある料理を賄いとして食べていいこと。ここ連日手伝いに呼ばれて来ていて、私の分のデザートは別途に取り置きしてあったりする。今朝も巨大な粒のブドウが一房取り置かれていた。一房が顔よりも大きい。一粒食べたら驚きの甘さ。幸せだ〜。

 ブドウを試食したあとにトマトスープを飲んだら、酸っぱみが強く感じた。甘々のブドウを食べたためだろう。食べる順番に失敗した。


 それにしても野菜の出汁ベジブロスのストックがゼロなのは手伝い出して初めてだ。

 春から夏になるこの時期は曇天続きでたまに雨がぱらつく雨季。通年の初夏の気温よりも若干肌寒く感じる日が続いている。真冬のような寒さではないが、こういう微妙に肌寒く感じるときは温かいスープの需要が多くなると言うが、人気の具だくさん野菜スープはその筆頭だろう。だから早朝の仕込み量が多めだったのかと想像しながら賄いをもらった。


 トマトベースのスープを飲み干して一息。スープを飲むと野菜の旨味が体に染みていく安堵さがある。

 だけど、少し前から私は別の味のスープにハマっている。

 うーん、思い出したら食べたい。

 そのスープに野菜の出汁ベジブロスはいらない。何か作り置きして貰えると助かると言われているので作ってしまおう。

 この地域では馴染なじみのない調味料で、新しいメニュー作りに悩んでいた調理長が、何かアイデアが浮かぶヒントになるかもしれないと仕入れたものだ。きっかけは私が個人的に買ってあったのを調理長に提供したら、もう少し作ってくれと何度か言われて使い切ることになり、調理場の経費で買い直してもらった。個人で購入するには高くて躊躇していた種類別の少し高いやつも仕入れてもらえたので、元手はしっかり回収した。

 結局、観光客向けに提供するメニューは、できる限り地産地消を優先することが大事だとなり、食堂のメニューの採用は見送られたが、仕入れた調味料は無駄にせず、賄いで作っている。

 調味料の残量を確認したらまだまだある。調理場職員の賄い分くらいを作ろう。


 手早く朝食を食べ終えて使った器を洗うと、野菜の出汁ベジブロスを作っていた寸胴鍋からザルを使って野菜クズを取り出す。丁寧なザル濾しは調理するときにやると聞いているからこれでよし。寸胴鍋はまだ熱いので、もう少し冷まさないと保冷庫に入れられない。竈の横の粗熱取りスペースに移動させ、竈に大鍋を三つ設置した。

 よし、食材保冷庫にある食材をざっと見渡して、賄い用スープに使うものを取り出した。

 ネギ、ウリ、ニンジン、イモなどを切り、ショウガも刻んで投入。キノコも放り込んだ。食肉保冷庫を覗いて、ちょうどよさげな薄切り肉はそのまま、拳大の塊肉は叩いてから一口サイズよりも小さく切って鍋へ。

 根菜類が煮えてきたら火を弱めて、米酒と味噌で味付け。赤みの強い濃い茶色のものと薄茶色の味噌。どちらも塩味が強く、私個人はもう少し塩味を抑えた感じにしたい。何度か試行錯誤してたどり着いたのが米酒を多めにして砂糖もちょっと追加する調整。

 私の中にある記憶では作りたいスープにタマネギは入れないのだが、具材をもう少し増やすついでに、スープに甘みが出ないものかと、タマネギを細く切って軽く炒めてから追加で投入してみた。味見をしてみたらいい感じ。小麦粉で水団すいとんを作って匙で適当な大きさで放り込んで煮れば、味噌スープの完成。


「うん、まあまあかな」


 スープカップ一杯分を食べてみて、可もなく不可もない出来。

 味噌を取り寄せている地域のレシピで作ったことはなく、頭の中にある情報から作っているので正しい完成形を知らない。私の味覚でよしとなり、これまで試食してくれた人たちには好評なのでこれはこれでいいとする。

 私的には水団すいとん入りの豚汁のつもりだったが、放り込んだ肉は多分、魔物肉の何か。肉の色などから牛や鹿、熊の類ではなく兎か鳥に近い肉。煮込んでも固くなりすぎないハズ。多少固くなっても小さめに切ったから大丈夫だろう。

 なんだかんだ時間がかかってしまった。七時になるのでそろそろ戻らなければ。

 なんちゃって豚汁の大鍋一つは、これから行くところへ届けることにした。


「鍋はまだ熱いのでこのままにしますが、あとで保冷庫にお願いしまーす」


 監視魔導具に伝言を録音で残しつつ、寸胴鍋と大鍋の中身は調理場の人が見ればわかるが、走り書きでメモも残して置く。通常であれば通信端末で情報共有するが、今の忙しさでは大量の通信通知を見逃してしまうことが多い。

 こういうときこそ紙で残すのが一番。

 もうそろそろ誰か出勤してくるはずだが、待ってはいられない。

 鍋たちの蓋にズレがないか、竈の火がしっかり消えているかを二度確認。

 ブドウと大鍋を運搬用ワゴンに乗せて調理場を飛び出し、急いで着替えて裏口から出て隣の建物までワゴンを押しながら小走り。

 その距離三十秒。

 管理所の隣の建物に入っても行き着かねばならない場所までが遠く、浮遊バイクに乗って移動しなければならない。

 後ろの荷台に大鍋、前の荷物かごにブドウを置いて浮遊バイクを低速で発進させた。


 格安で譲り受けた小荷物運搬向きの浮遊バイクはなかなかいい。浮遊バイクの操縦ライセンスは一般車両より実技が難しかったが、高度五十センチまでの初級ライセンスは二週間で取れた。上司からは高度十メートル超えの上級ライセンスを取るよう言われているが、中級ライセンスの実技訓練で停滞中。今後の仕事で必要になるとわかっているものの、今は調理場や菜園などの助っ人業務が優先で、訓練の時間が取り切れない。調理場が落ち着いたら訓練再開の予定だ。


 私が通り過ぎている建物は研究棟兼職員寮。二十五階建ての大きな集合住宅で、ここに専用の研究室を持っている人は研究棟と呼ぶが、大半の人は職員寮と呼ぶ。生鮮食品から衣類、生活用品などを扱う何でも屋のような売店やカフェ、ジムなどもあり、日常生活だけなら街まで出なくてもこの職員寮の建物の中で生活を完結できてしまう。

 この大きな建物をまわりこんで移動すると遠回りなので、職員は建物一階を突き抜ける専用通路で行き来するのが常だ。

 車両専用通路に入ってすぐに鉄柵があり、鉄柵は近づく人物と乗り物を自動認証して照合し、解錠してくれる。毎度鉄柵のガチャンという開閉音を聞くたびに牢屋みたいだと思ってしまう。牢屋に行ったことはないけれど。


 浮遊バイクの低速でも人の駆け足より速い。スイーッとひた走り、職員寮の建物を通り過ぎて外に出ると森を切り拓いたような長閑な光景が広がる。見える範囲すべてが管理所の敷地。

 管理所は領都の外れの森に埋まるように立っていて、あっち山もあっちの山も山の向こうも管理所の敷地というか管轄区域。

 なかなか暑い地域にもかかわらず、氷河を抱く山脈がある。今朝は雲に隠れて見えない遠いあの山脈までが管理区域であり、隣領との境。果てしなく広い。


 管理所で事務仕事をすることもあるけれど、今の私の主な仕事場は目の前に見える山の中が多い。

 職員寮を抜けて鬱蒼とした森に突き当たる手前で左に反れ、しばらくすると山に登る道が見えるところに全身鱗の馬や三つの尾がある狼など、大きな妖獣たちが佇んでいた。その中でも一番大きいのが私に向かってドタドタと走ってくる。


「おーそーいーッ」

「ちょっと遅くなるかもって言った!」

「お腹空いたーッ」

「あー! ぶつかったら餌抜きだからねーッ!」


 私の言葉に、向かってきたドデカい図体が緊急停止した。

 巨体で体当たりしたら私が大怪我するのは認識しているので実際はぶつかってこないが、今、万が一にも浮遊バイクを揺らされたら大鍋のなんちゃって豚汁が溢れてしまう。そっと後ろを見たら溢れなかった。よかった。


 ドドンとデカい顔。パカッと開いた口には鋭い歯がズラリと並んでいて、ワニの顔を縦に膨らませたらこんな感じにな……らないが、わかってほしい凶悪な顔。

 私の中にある不思議な記憶では『ティラノサウルス』がパッと思いつくが、『ヴェロキラプトル』の雰囲気もある顔つき。『アロサウルス』でもありかもしれない。目の前にいるのは『ティラノサウルス』でも『ヴェロキラプトル』でも『アロサウルス』でもない。そもそもそんな名前の生き物はこの世界にはいないのだけど。

 デカい体は鱗に覆われていて、背中にゴツゴツした突起となっているところがある。

 飛竜種だが翼はない。妖獣特有の異能で空を翔けるが、ドタドタと地面を蹴って足音を響かせて走ってくるのは甘えているとき。


 飛竜どころか全竜種のなかでも極悪顔ナンバーワンだと思うコイツは私を相棒とした、チビ。

 チビと名付けた過去の私を殴りたい。

 出会ったときは小指の長さほどのトカゲだった。小さな体でチョロチョロと動くさまは可愛かった。チビと名付けても仕方ない姿だった。こんな極悪顔のバカデカい竜に化けるとは誰もわからなかった。いや、トカゲだったときの姿を見て、誰も妖獣だとわからなかった。

 竜に化けて以降、チビに何度も改名を訴えてみるものの、チビでいいと拒否されていて名前と見た目のギャップが酷い。


「お待たせー。そんじゃ、餌をもらいに行こう」

「待ってたー!」


 チビよりは小さいものの、図体が大きい妖獣たちを従えて妖獣たちの餌をもらいに移動。

 私の仕事は管理所で預かる妖獣の世話。比較的図体がデカい妖獣ばかりを担当している。理由は相棒に巨体竜のチビがいるから。図体のデカいチビの世話のついでに、他の図体のデカい妖獣の面倒もよろしくと言うのが担当となった理由。


 そもそも私がこの管理所の職員にスカウトされた理由が巨体竜となったチビにある。


 私は学院卒業後の進路もまったく決めないまま、がむしゃらに勉強だけして飛び級しまくって専攻課程も履修し終えててしまい、師事する教授の下で研究生になるのか、どこかに勤め先を探すのかも何も決めず、うっかり卒業しないとならない状態になっていた。

 研究生は将来研究者になりたい人が進む道で、師事する教授や先輩方との研究や観察、フィールドワークは楽しかったのだが、それを自分の仕事としていけるのかは不安だった。

 とにかく卒業はしなければならない。

 どうしようと悩んでいた私だが、進路も決めずにいた私のことは教授も先輩方もよくわかってくれて、教授からは「一度研究生になってから進路を考えてもいい」と言ってもらえた言葉に甘えて、学院を卒業し、研究生試験にむけて勉強をしているときだった。

 トカゲだったチビが巨大竜に大変身。

 そりゃもう大騒ぎとなり、チビの存在を知ったこの管理所がいち早く私にスカウトの打診があった。チビを拾ったのがこの管理所が管理する森だったのもスカウトされた理由の一つだったりする。

 図体のデカいチビと暮らせる住居を街中で探すのは非常に大変。餌も大変。

 チビが一方的に結んだ相棒契約を解除してもらうことも考えたが、迷いに迷って小さなトカゲだったチビへの気持ちが上回った。

 巨竜となったチビとどう暮らすか。故郷の山奥に住まわせてもらうか。でも山奥でどうやって稼ごうか。

 どうしようと途方にも暮れていたので、住居問題とチビの餌の問題が解決する管理所職員になる話しに飛びついた。

 採集管理所は軍管轄で職員は公務員となる。福利厚生もしっかりしていて安定の手当。

 無計画だった私の未来になかった進路。

 ものすごくいい職に就けたと思っている。


「みんなもお待たせ。行くよ~」

「行こ行こ行こー!」

「ホラ、行くぞー」

「……」

「……」

「……」


 集まっている妖獣たちに声を掛けると、ご機嫌でハイテンションなチビとしっかりものの一匹を除き、他は無言。安定して無言。一匹は寝ていたのをチビに起こされている。なぜかクセの強い妖獣ばかり担当させられる気がしてならない。

 普段の妖獣たちは朝七時が餌の時間。

 今朝は私が調理場の助っ人からの戻りが若干遅く、八時近くになってしまった。私が調理場の朝の仕込みに行く日は八時くらいになると説明はしてあるから、チビの軽い愚痴もコミュニケーション。

 私が操縦する低速の浮遊バイクの後ろに続く図体のでかい妖獣たちの列。一番後ろをチビが務めて、歩きながら寝そうな妖獣を起こしてくれる声を聞きながら進む。

 職員寮からどんどん離れて森を背にずんずん進んでいくと、広々とした農場と一部水田が広がる向こうに草原のような風景が見えてくる。


「トーマスさーん、おはようございまーす」


 草原に大きな倉庫のような建物や二階建ての住居などがあるここは、行政的には畜産管理施設と呼ばれるが、早い話が牧場。浮遊バイクを静かに停車させて、倉庫のような大きな建物の受付に声を掛けた。

 トーマスは私の兄と同年齢とまだ若いがここの牧場主。以前は大型妖獣の世話係をしていたので、先輩指導員としてよく相談にも乗ってもらっている。

 トーマスとその妻、マドリーナには公私ともにお世話になっていて、今では堅苦しい言葉なく話せることができる先輩でもある。


「遅くなりました!」

「思ったより早かったんじゃないか? 調理場の助っ人もなかなか大変だなあ」

「でも、調理は嫌いじゃないんで、できるときは手伝いを続けよう思ってます。賄いタダですし!」

「無理はすんなよ」


 トーマスと話しながら渡された妖獣向けの食材リストを見て、妖獣たちの体調を思い出しながら何を食べさせるかチェックしていく。

 今、私が面倒を見ているのはチビを含めて五匹。

 チビは雑食。おもに食べるのは肉だが、たまに野菜や果物を食べたがる。チビが食べたがるときに野菜や果物は与えればいいという助言に従い、元気いっぱいのチビに肉を選ぶ。


 光の加減で紫紺の輝きとなる真っ黒な毛のオニキスは狼に似た姿で、管理所の職員を相棒としている妖獣の一匹。三つの尻尾をブンブン振って待っている。狼よりも遥かに大きく、たいがい宙に浮いて翔けているので、うっかり狼と間違えられることはない。ほぼ肉食。チビと同じ肉を選択。


 全身が輝く鱗の馬の姿の妖獣二匹は、から預かっている。私たちを世話係と認識しているが、近付くと威嚇してくるし、のところで呼ばれている名で呼ぶことを拒否され、ここでの仮の名付けも拒否され、仕方ないので鱗の煌めきからオパール一号、オパール二号と呼ぶことで妥協した。一号はブラックオパール的、二号はガーネットオパール的な輝きなので間違えることはない。

 雑食で肉の他に草や果物、野菜も食べる。草は森のものを勝手に食べていいことにしているが、他の妖獣たちとも交流せず、威嚇してばかり。なかなか困っている。

 オパールたちが食べる肉には偏りがあり、一番食べるのは兎肉だが、ここのところ肉の食事量が少ない。森の中で草だけでなく何か小動物を狩って食べている可能性もなくはないが、狩りをしていそうな感じもない。トーマスと相談して何かのストレスで消化不良の可能性を考えた。

 オパールたちは預かっているお客様。体調を崩されては困る。

 途中からマドリーナも交えて相談し、竜種の妖獣の栄養源として摂らせることがあるヘビ系の魔物肉を混ぜてみることにした。食べなかったら大食漢のチビとオニキスに処理させよう。


 地面に穴を掘って顔だけ突っ込んで寝ている妖獣はゴゴジ。巨大なカメにしか見えないが地竜種で、私が採用される前からいる。相棒の人が病気で長期入院中のため、この管理所で預かっている。

 ゴゴジは地中に潜って寝てしまうとどこにいるか探しようがない。長年の世話班との関係から、朝の餌の時間には姿を見せる約束は守ってくれいて、今日も来てはくれたがまた寝ている。食べる気はなさそう。雑食だがネズミやヘビをたまに食べるくらいでほぼ草食。今は寝かせておこう。


「ゴゴジの昼夜逆転はなかなか治らんな」

「そうですね……」


 もともと夜型の生態なら心配しないが、そうではないので睡眠不足が続くゴゴジの体調も不安定続き。オパールたちが来た一ヶ月前くらいから昼夜逆転が悪化した。でも、様子見を続けるしかない。

 トーマス夫婦と話していたら、チビとオニキスの涎が酷いことになっていた。


「チビ、オニキス、お待たせ。今日はあっちで摂ってきて」

「オオオッ!」

「おおおっ!」


 チビとオニキスは久々に生きた状態から食べるスプラッターな餌にした。巨大なチビも入ることができる餌場の建物を指さしただけでわかったのか、飛び上がって喜んでいる背中に「食事後の血汚れは洗って来い」と叫んだが聞こえただろうか。

 建物の入り口で待っていてくれた牧場の従業員が手を挙げてくれたのと、トーマスの五歳息子のゴードンがひょっこり顔を出してきてサムズアップを返してくれたので、血だらけ姿で出てきたら容赦なく水をかけてくれるだろう。

 ゴードンの背中に張り付くように顔半分見せてきたのはゴードンの弟ヘンリー。兄のゴードンの真似をしてサムズアップしてきたが、まだ一歳半では何もわかっていないはず。随分歩けるようになったんだなぁと思うが、これからスプラッターな餌場になる場にヘンリーがいていいのかとトーマスとマドリーナを交互に見てしまった。いいのか、そうなのか。


 オパールたちは桶に塊肉を盛ってもらって外で食事。人が離れないと食べないので遠くから見守る。

 ゴゴジはジリジリと地面に潜っている。うん、もう放っておこう。


「コレ、私が作った味噌スープ。朝イチの仕事後の小腹満たしにみんなで食べて」

「お、また味噌を仕入れたのか」

「食事の差し入れは本当に助かる! わあ、美味しそう!」

「調理長が大樽で仕入れたのがなかなか使い切らないから、今日は気が向いて賄いでこれ作ったの。そのお裾分け。鍋は管理所の調理場に返してね」


 味噌はだいぶ離れた地域の調味料で、この管理所に来てから私も存在を知った。味噌と一緒に、私の中にある不思議な記憶が教えてくれた醤油と呼ばれる大豆のひしおは、マイブームの調味料だ。

 牧場の仕事も明け方前から始まっていて、水団すいとん入りは小腹を満たすのにちょうどいいだろう。大鍋にしたので牧場の従業員にも行き渡るはずだ。

 

「あの、一度山小屋に戻るので、ゴゴジを見てもらっててもいい?」


 妖獣の世話係として担当している個体ではなく、勝手に私が住まわせてもらっている山小屋に棲み着いてしまい、結果的に面倒を見ている──訂正、面倒をかけさせられている一匹が何をしているか、……予想できるが非常に気になる。


「ああ、いいぞ。チビとオニキスが朝方大笑いして言いに来たが、棲み着いたスライムがまたいい仕事をしたらしいぞ」

「うちにも一匹棲み着いてくれたらいいのに、ふふふ」


 はっはっはっと笑うトーマスは褒めているように聞こえるけど、それは他人事だから。

 ふふふと笑い始めて止まらなくなったマドリーナも、欲しがっているように言いながら、実はいらないと拒否なのも知っている。


 粘液状のスライムが私の住む山小屋に棲み着いてしまったのは一年ほど前のこと。スライムの研究をしている者たちが押し寄せて観察したり持ち帰ってく研究してくれた結果、スライムの機嫌を損ねて物品を溶かされたことはあっても人を含めた生き物を襲うことはなかった。紆余曲折を経て、駆除しなくていいだろうとなったのだが、悪さはしないが悪さではないことはやってくれる。

 どんどん地面に潜り込んでいるゴゴジの見守りを頼んで、私が住んでいる山小屋に向かった。


 私の住む山小屋は、以前はシダ植物の研究をしていた職員が住んでいたが、結婚して子どもができたため職員寮の家族向けの部屋に引っ越し、空き家となっていた。山小屋は使う者がいなければ解体の話もあったそうだが、私をスカウトした管理所がチビと一緒に過ごせる場所として提案してくれた。

 私は学院で師事した教授の下、苔の研究をしていて、管理所に勤務することになっても苔の研究は続けることになったので、山小屋にあるシダ植物観察用の部屋はそのまま苔の観察のために使わせてもらっている。

 当初チビは山小屋の前の広場に蹲って寝ていたが、山小屋から少し森に入ったところに洞窟があり、今はそこをねぐらにしている。

 山小屋のすぐ近くには真夏でも冷え冷えとした湧き水の泉があって、森の中という立地から少しだけ涼しい。生活排水などの設備も整っているのでなかなか快適だ。唯一欠点があるとすれば、管理所と職員寮からの道のりに外灯がなく、真っ暗闇になることだろうか。

 この山小屋を拠点にして預かる妖獣を昼寝させたり、遊ばせたりするのを見守るので、私の住居ではあるが妖獣の世話をするメンバーの休憩所兼仕事場にもなる。一人住まいには大きい山小屋だが、妖獣の世話とセットでたまに山小屋に先輩が泊まることもある。しかし、スライムが棲み着いてからは泊まってくれないのが悲しい。


 中身をこぼさないように気をつけていた鍋がなくなったので、牧場から浮遊バイクの速度を高速に上げてひた走り、山道を登れば山小屋はすぐ。

 見えてきた山小屋の様子に浮遊バイクに乗ったまま脱力しそうになった。

 ほぼ木材でできている山小屋がキラッキラに輝いている。何をどうしたらここまで輝くのか。


「あああああ〜」


 浮遊バイクを止めて、近くで山小屋を見上げる。玄関まわりの外壁の木材を触るとツルツル、ピカピカ、キラッキラ。


「とうとう外まで……」


 ザッと見える範囲にスライムはいないが、多分、玄関の扉の向こうにいる気がする。

 そっと玄関の扉を開けると、ホラ、いた。

 顔はないのに完全にドヤ顔の粘液状スライム。完全に透明なわけではないが、半透明とも言い難いスライムを何と説明すればいいのだろう。だらりと床にいて、雫型でもボール状でもないアメーバー状態だが、表面がブヨンブヨンと揺れている。


「外壁と屋根を掃除したのね?」


 さらに大きくブヨンブヨンと波打つスライムはご機嫌のようだ。

 このスライムは山小屋にいつの間にか侵入して風呂場をピカピカに掃除していた。シャワーを浴びようと風呂場に行ったら、風呂場の大半を覆っていた何か。それがスライムだとわかったときの恐怖。恐怖に直面すると喉が締まって声が出ず、悲鳴もあげられなかった経験はもうしたくない。それでも相棒契約している繋がりで私の恐怖を察したチビが駆けつけてくれて、風呂場の壁をぶっ壊して私を助けてくれた。

 山小屋の修繕改築期間、最初の数日は職員寮の空き部屋に泊まっていたが、チビが寂しがったので二週間くらいチビの塒の洞窟でテントで過ごした。学院時代のフィールドワークを思い出して、あれはあれでよかった。


 スライムは種類によっては第一級の討伐対象であり、種類によっては保護観察対象という判断の難しい生き物。

 大騒ぎになった。

 研究棟で魔物の討伐スキルの高い職員が集まって討伐対象となる危険なスライムかを確認。とにかく観察となった。そうしてわかったのが、掃除が大好きなスライムだったこと。そんなスライムは聞いたことがないと研究職の職員が大興奮。分野外の職員たちも押しかけてきて「研究だーっ!」と連泊したり、研究室に連れ帰ったり、国のお偉いさんがやってきたり。

 観察と研究の結果、無駄に掃除力を発揮するのは私の住む山小屋だけ。他の場所に連れて行っても掃除はしないし、機嫌を損ねて物を溶解してしまう。物を溶解するのはスライムの特徴ではあるのでそれは普通なのだが、研究室のあちこちをまだらに溶解して脱走し、この山小屋に戻ってくること数度。

 しつこく観察していた職員はかなり嫌われ、スライムに服を穴だらけに溶かされたり、実験器具を溶かされたりした。

 管理所の上層部の招きでどこかから学者も来たが、学者の前にはスライムがまったく姿を現さない。監視装置を設置しても装置を壊してしまうので、姿を捉えることができないというスライムあるまじき知能犯。

 根負けして帰られた。

 そうしてかなりの人たちに諦められ、保護観察対象候補のスライムとして観察を押し付けられた。

 害はない、多分、と。


 その言葉通り、今のところ命の危険に至るような害はない。しかし、私の精神面への被害は募るばかり。

 掃除をしてくれるスライムではあるが、勝手に掃除をするときと、私に掃除を強要するときがある。多少の埃があっても気にしない私は、スライムからの「掃除しろ」の強要がつらい。

 体の一部を鞭のようにしてバチンバチンと床を叩いて掃除しろと言ってくるだけでなく、私がなかなか掃除をしないと、スッと消えて愛でている苔の水槽を溶かして脅すのだ。テーブルや台所用品などを溶かされたが、それらだと私にダメージが与えられないとわかったのか、苔の水槽に目をつけられた。これまで二回水槽を買い替えた。温度管理バッチリの魔導具制御の水槽は高いのに! 人の弱みをよくよくわかっているスライムである。どこで私の弱みを知ったのかは本当に謎だ。


 掃除をしろというスライムからの圧力に耐えかね、これまで何度か研究職の職員のところに持ち込んで事情を話して引き取りを求めたこともある。「なかなかの特殊個体だ」と褒めるだけ褒めて、そのまま山小屋に帰された。

 この管理所にいる職員は至極冷静で、マッドサイエンティスト的な人はいなかった。スライムの観察は任せたとばかりの第三者的な冷たさ。なんてこったい!

 国中を探せばスライム研究にのめり込んでいるクレイジーな研究者はいると思うが、私の住む山小屋だけというピンポイントな事象となると、そういうクレイジーな人と一緒に過ごさないとならなくなるのでは? と気付き、接点を持つのは止めたほうがよさそうだとなった。クレイジーな研究者と山小屋で共同生活は遠慮したい。そう考えると上層部が招いたあの学者さんは真っ当だった。定期的に観察レポートを強請られるので、引き続き粛々と観察するしかない。


 そんなこんなで仕方なく渋々ズボラな私もこまめに掃除をするようになった。

 ある人にはそれが普通だと言われたが、ある人には埃の一つや二つあっても死なないのにと同情され慰められた。ありがたかった。世の中には適当な掃除でよいとする人もいるのだ。スライムよ、わかってくれ。

 おかげさまで山小屋の中はだいたい常にピカピカだ。

 玄関から土足禁止とする生活にも変えた。

 スライムが棲み着く前までは一階は土足で、二階に上がるところに靴脱ぎ場があったのだが、床の土汚れに対して、スライムによる掃除しろ攻撃が多く発生。そこで玄関で靴を脱ぎ、一階も裸足で生活できるよう改修をした。希望通りに改修してもらえてなかなか使いやすい。

 この地方の住宅でも玄関で靴を脱ぐ生活スタイルはある。私の故郷は玄関で靴を脱ぐ生活の住居が多かった。玄関に足洗い場があるところもあったほど。そんなわけで違和感なく生活スタイルを変更できた。


 勝手にスライムに侵入されてからのことを走馬灯のように思い出していたが、目の前には褒めて褒めてと言いたげのスライム。私が外壁と屋根の掃除をしたことを認識したら満足したらしく、ズルリズルリと台所に移動し、シンクの横にある専用ベッドにされたボウルに入って、おそらく寝た。


「じ、自由……」


 自分で掃除をしたわけではないのに疲れた。

 ブドウを保冷庫に入れて、山小屋の外をぐるりと見回れば、外壁と屋根の掃除で集めたらしいゴミが裏玄関のそばに丸まっていた。ヤツは掃除中の埃などをぎっちりと丸める。石のように丸める。丸めたゴミは裏玄関の一ヶ所にまとめるので、私は丸まったゴミを回収して、一部は研究棟に研究材料として提供し、ほとんどはゴミ収集所に持っていく。

 今回の丸まったものは外壁と屋根のゴミ。砂や土汚れ、黴、苔だと想像。燃えるゴミでいいだろうが、このままそのへんに埋めてはだめだろうか? 悩む。

 ブルルと通信魔導具のイヤーカフが振動したので通話を許可すると、ゴードンの幼い声が聞こえた。


「あいつらには水ぶっかけといた。みそのスープおいしい!」

「ふふふ、また作るね」

「あんね、おとうがね、オパールたちなんかへんだって。つたえてって」

「うん、わかった。今からそっちに戻るって伝えて」

「でね、ゴゴジがね、どんどんもぐってみえなくなっちゃったの」

「……。五分くらいでそっちに戻るね!」

「うん!」


 いい子だ。

 ゴードンは採集隊が出発してからてんてこ舞いの大人の様子を見て、学校の授業を遠隔通信に切り替え、管理所や牧場の細々とした手伝いを優先してくれている。大きなことはできなくても、小さな手伝いの積み重ねは大きい。積極的に弟の世話もしている非常にできる子。

 昼過ぎにはゴードンの学友たちがお小遣い稼ぎを兼ねて遊びに来るのだが、その友人たちの中でもリーダー役でもある。

 管理所の手伝いに採用された子どもには些少だがお小遣いが支給されるので、子どもたちも楽しくやってきてくれる。とくに菜園の雑草抜きや収穫の手伝いは人手が必要なので本当に助かるのだ。


 持っていたゴミ団子の処理は後回しにして手を洗う。

 オパールたちは預かっている妖獣なので何かあったと聞くとビクッとする。

 台所で寝ていると思われるスライムに牧場に出かけると言うだけ言っておく。そもそも私の言葉をどこまで認識しているのか不明だが、ブヨンと揺れたので多分わかってくれた、……はずだ。


 日の出前は若干肌寒さがあったが、薄曇りの向こうに日が昇ってきたら、気温は急に夏の暑さ。薄手の上着はいらないかな。

 浮遊バイクに跨り牧場に戻る。

 今日もまだまだ頑張ろう。

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