読み忘れてた^p^ すいまそん
おまきさんらしい? エキセントリックな設定ながらどこかほのぼのとした良い時代のお話みたいでよかよか
主人公が大人でも子供でもない中3~高1くらい? という年齢でのカミングアウトだったからこんな感じに落ち着いたかもですね 良いかどうか解らんですが時期は良かったかも^p^
これからも母ちゃんさんは主人公を振り回していくのでしょうなー
作者からの返信
お読みいただきありがとうございます。
エキセントリックにするつもりがなくても、なってしまうのが私です。笑
多少、大人の事情もわかるお年頃だと思うので、彼は母ちゃんに振り回されつつも、なんとか折り合いをつけて大人になっていくことでしょう。
混乱はしました、それは認めます。
でも、
『何かあった時、最期を看取れる人間がいた方がいいだろ』
『俺は持てると思ってなかった家族が持てたし、お前という息子を育てることができて幸せだよ』
『家族ってこんな形があってもいいと思うんだよ』
この言葉がすんなりと心にしみました。
もともと、こういう家族を求めていたはずだったんです、私も。
あたしも、家族という枠組みを解体した世界の物語を書いておりますので、そのへんは理解があった「つもり」だったんです。
でも、私の作品のようにSFではなく
現代ドラマとしてこの作品を目の当たりにして、
恥ずかしながら……私の中で躊躇が生まれてしまったんです。
常識や柵は、私の中でもまだ燻っている。
こういう枷は取り払ったほうがいいといつも思っていても、現代というフィルタを通して見たこの新たな家族の形は、まだ私の中で自然ではなかったようです。
この偏見、この柵が私の中から消えて無くなるのはいつのことか……
自省を与えてくれた、一作でした✨️
作者からの返信
お読みいただきありがとうございます。
まず、私の生い立ちのお話をさせてください。
私の育った家庭は、実父の方針でたくさんの「他人」と暮らしていました。
独立していった人もいるし、結婚の仲介、最期まで看取った人もいました。
家族というより、小さな共同体として生活していたのです。
父はその共同体のことをファミリーと呼んでいました。
幼い私にとって、それは自然なことであり、血の繋がらない他人も親戚や兄弟のように思っていました。
そんな訳で、作中のセリフは、父の言葉でもあります。
作中の家族は世間一般で見たら、変わった家族かもしれませんが、世代や性別を超え、それぞれの違いを認め合い、幸せであるのなら、それでいいと思います。
お邪魔します。
LGBTQと家族を持ちたいという思いと、いろんな”家族”ってありますよね。
これからこういう形も増えてくるのかもしれませんね。
それこそ大きな愛で包み込める幸せが見つかるのが一番です。
作者からの返信
お読みいただきありがとうございます。
表に出ていないだけで、様々な形の「家族」がいると思います。
明治の西洋化以前、戦後の核家族化以前など、多様性という言葉もない頃は、画一化されることのない人間関係があったと思うのです。
『母ちゃんが幸せを感じるのはいつになることやら』
これを考えられるってことは、きっと母ちゃんが好きなのですよねぇ。
そして何があっても帰ってくるのは、母ちゃんも家族が好きで、ここに幸せがあるんだなぁ…なんて想像しました。
なんだか朝ドラでいけそうな…(笑)。
読ませて頂きありがとうございました。
作者からの返信
お読みいただきありがとうございます。
子供は生まれてくる場所も環境も選べませんが、無条件で親を愛しますよね。(どんな形で現れるかはそれぞれですが)
無償の愛と言うのは親側でなくて、子供側のものなのかもしれないと常々思っています。
もしこれが朝ドラになったら、爽やかな朝に相応しくないとお叱りを受けそうな気がしなくもありません。笑
これからこういう家族も増えてくるのかもしれませんね(女性に子を産ませてその子を忘れ物のように引き受けるのは、現実に起きたらプロセスとしてよろしくないですけどね)
幸せのカタチは一つではないということですかね
面白かったです!
作者からの返信
ありがとうございます。
子供の頃、実家には何人か居候がいたのですが、私はその人達のことを親戚とか兄弟のようなものだと思っていたのです。
実際は赤の他人でしたけど、みんな仲良くハッピーに暮らしてました。笑
家族というのは、血の繋がりが全てではないと思うんですよね〜。
編集済
幸せだなあとしみじみ思う、なんてのは
気忙しいときにはそんなヒマ?はないものだ。
この二人の親のもとで暮らしていたら、
どんなイレギュラーも幸せにかえていけそうな気がする。
受けいれるまでは情緒ぐしゃぐしゃになりそうだけど。
お母さんはすでに幸せなんじゃないかな……違うかなあ……
『火の点いていないタバコを咥え』というあたりでそう感じました。
作者からの返信
そうなんですよね。
青い鳥の話ではないですが、幸せは後から気づくものかもしれません。
思春期の青少年には厳しい話かもしれませんが、彼は愛されて育ったと思うので、なんとか折り合いはつけられるのではないかと思います。
そして、さすがですね。
『火の点いていないタバコを咥え』の前に消した一文があるのですが、まさに『母ちゃんは既に幸せを手にしている』という意味の文章だったのです。
重複になるかと思い消しましたが、気づいていただけて嬉しいです。
雑で、間違ってて、常識なんて皆無。
非日常を日常として生きる主人公。
受け入れることを自覚しながら、でもそれでいいという両親(?)
こうして、物語として読むと、それは楽しくも苦しい。矛盾を正当化するという、小説だからこそできる表現だと思いました。
素晴らしい作品です!
作者からの返信
ありがとうございます。
常識や世間体は表現の枷となる場合もあると思います。
主人公の心情を思うと複雑ですが、こういう形の家族がいても良いと思うのです。
「ダリア」でも書きましたが、人との絆は血の繋がりだけが全てではありませんよね。