第9話 他所の女の子が寄らないためのマーキング

「なんか健人くんの匂いがする!」


部屋に入った水瀬の第一声がそれだった。

クンクンと鼻を鳴らした水瀬は、物珍しそうに部屋を見渡している。


「どんな匂いだよ」

「男の子の匂いとシャンプーの匂い」

「んっ!?」


男の子の匂い!?

それってもしかして……俺はゴミ箱に目を移す。


アルミ缶のようなそれの蓋は、しっかりと閉じている。


「私は好きな匂いだよ」


好きってなんだよ。

じんわりと汗が滲んでくる。


「ちなみに、どんな匂い……」

「体臭って言うのかな? 男の子の匂い」

「あ、そっち」


良かった。

後でゴミ箱を空にしとかないと。


水瀬は深呼吸をすると、瞳をキラキラと輝かせながら、様々な物に目を移していく。


「ライトノベル沢山ある! 『Vtuberに転生したら、同期の子にモテモテな件』」

「星宮さん。男子の部屋を漁らないで……」

「『美少女Vtuberを炎上から助けたら、そいつは同じクラスの氷姫だった』」


ニヤニヤと頬を緩ませながら、水瀬はこちらを向いた。


俺は観念して口を開く。


「Vtuberラブコメが好きなんだ」

「ふーん! 好きなんだ! ふーん!!」


めちゃくちゃ嬉しそう。


「どういうところが好きなの?」

「言わん」

「教えてほしい」


一転。真剣な表情をした水瀬。

俺は断れずに、口を開いていた。


「Vtuberってキラキラしてアイドルみたいだろ。憧れの象徴なんだよ。恋愛出来たら世界変わるかなって」

「う~ん。そっか~」


水瀬はベッドにチョコンと座ると、再び口を開く。


「もう少し具体的な好みが知りたかったんだけどな」

「好み?」

「私みたいに歌・ダンスが得意な子や、雑談の上手さで人気な女の子みたいな」

「そりゃ、水瀬みたいなのがタイプに決まってんだろ」

「へ?」

「好きじゃなきゃ配信見ていない」

「そ、そっか」


褒められて嬉しいのだろう。

顔をスライムのように緩ませた水瀬は、ベッドを手でバンバンと叩いた。


「私のこと大好きなんだ」

「俺の最推し」

「健人くん、卑怯すぎるよ!!」


何故か頬を膨らませた水瀬は、棚の上の方を覗いていく。


「SF・ファンタジーラノベの棚かな」

「そこは興味ないかも」

「ええ……物語の花形に謝りたまえ!」

「男の子にとってでしょ? 私、一応女の子だから」


水瀬はそう言うと、パソコンのデスク前まで移動した。


「何のゲームをしてたの?」

「ハロラント」

「ふ~ん」


ご機嫌斜めの水瀬の態度が段々と分かってきた。

俺はできるだけ刺激をしないように、音声通話アプリを画面に表示する。


「別に契約違反のことなんてやってないって。チャット欄もクリーン」

「右のイヤホン貸して?」

「ちょ!」


強引に右のイヤホンを水瀬は、左耳にはめた。


「女の子の声がする……なんで!」

「知人が招待したんだよ。聞いたところによると、クソ上手いらしい」

「上手い子なんだ」

「ああ、マスター到達しているらしいぞ」

「健人くんには下手糞な人がお似合い」


水瀬は、何が気に入らないんだ?

薄桃色の唇を魔女のように曲げて、俺にミュートを切るように視線で合図をしてくる。


溜息。


仕方がなく、俺はミュートを切った。


「ただいま」

「おっそ! 寝たかと思った」


ネットで一番仲が良いデイジーの声が聞こえてきた。


「ちょっと話してた」

「誰とー?」


あるてまちゃん。と言う子らしい。

クリアなボイスが特徴的な、姫的なゲームガチ勢だと思う。

デイジーたちとよく遊んでいるようだ。


俺はと言えば、その輪に混ざるのが怠いので、今回初めて喋った。


「まぁ友達」

「分かった。女の子でしょ!」


す、鋭い。


「なんでわかった?」

「え~だって~、濁してたから男の子じゃないな~って思った」

「さすがあるてまちゃん!」


デイジーが興奮気味にそう呟く。


「ありがとう。デイジーくん」

「グヘヘ」

「デイジーお前…‥」


趣味が悪いなと言おうとしたけれど、失礼なので喉の奥に言葉を引っ込める。


「ねぇねぇ、この中で彼女いる人ー」


一斉に無言になる俺ら。


「じゃあ、私が立候補しちゃおうかな~。いいよ――」

「健人くん。明日の晩御飯なにがいい?」

「え? 今の声誰!? ケントのスピーカから!?」

「晩御飯……? 同棲中かよ。どうなってんだよ!! おい、コラ!」


急いで右を見ると、水瀬は怖い笑顔をしていた。

俺は急いでミュートボタンをクリックする。


「星宮……どうかしたか?」

「ねぇ、健人くん」

「は、はい…‥」


あまりの剣幕に敬語になってしまった。


「あるてまちゃんって誰ー?」

「さ、さぁ…‥」

「でも、仲良さそう」

「多少は、な?」

「ふーん」


無表情の水瀬は、俺のマウスを手に取った。


「ぽちっ」


ミュートが解除される。


「ゲームしていいよ。健人くん」

「お、おう」

「お前、誰だよその子。朝比奈水瀬に声に似てないか?」

「朝比奈水瀬? 誰それ?」

「あるてまちゃん知らんの?」

「うん」

「新人Vtuberで声が甘くて透き通ってて。おまけに顔もかわいい子。あ~俺も、ああいう女の子と付き合いてー!!! あ……」


デイジーご愁傷様。

俺は、お前の雄姿を決して忘れない。水瀬のこと、今後も推してくれよな。


再び静寂が訪れる、と思っていた。


水瀬は体を押し付けるように近づくと、マイクに向かって喋る。


「デイジーくん。いつも応援してくれてありがとう!」

「星宮!?」

「「朝比奈水瀬です。いつもケントくんがお世話になっています。今後もよろしくねー!」

「なっ……」


後方を振り返ると、下をペロリと出す。


勢いそのまま、水瀬は頬を膨らませて、俺の右耳にイヤホンを突っ込んだ。


音量が急に増す。


「今の本物の水瀬ちゃんだよな……!?」

「ああ……」

「なんで! なんでお前の家にいるんだよおおおお!」


枯れるほどの大声。


「落ち着け!」

「顔見たんだけど、めっちゃ可愛いんだけど!」

「だろ~。はぁ俺も会いたいなああああ! 健人くううううん」

「う、うるせえ!」

「私、結構モテるのに」

「星宮? 今なんて」

「健人くんモテそうだから、悪い子が近づかないようにマーキング!」

「ん? 何言ってる?」


俺はイヤホンを耳から外すと、水瀬は頬をプクリと膨らませた。


「健人くんって意外と交友関係広かったんだね!」


そう言うと、スタスタと扉まで向かってドアノブを回した。


「星宮さん……なんか怒ってる?」

「べっつにー! なんでもないよー!」


最後に再び膨れた頬を見せた水瀬は、不機嫌な雰囲気を纏わせながら扉をゆっくりと閉めた。


推しはやっぱりかわいい。けれど、水瀬の気持ちは分からん。


「まぁ……いっか」


デスクの上に置いてある、コーラを流し込むように口に入れる。


これから数時間。

コーラを飲みながらアニメを見てゆっくりするんだ。

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