第7話 水瀬がずっと傍にいてあげるから

「この部屋、自由に使っていいから」


水瀬手作りカレーを食べた数時間後。

2階にある空き部屋に水瀬を案内した。


ちなみに、アカウントを大暴露したことを咎めてはいない。

FPSでいうところの『my bad』


全ての責任は、事前に言わなかった自分にある。


「こんなに立派な部屋を使ってもいいの!?」

「全然。ベッドとテーブル、本棚くらいしかないけど」

「ううん。凄く素敵な部屋」


水瀬は一周グルリと見渡すと、推理小説を手に取ってパラパラと捲った。


「この本読みたかったやつだー」

「意外。星宮さん本読むんだ」

「星宮だよ」

「ああ、ごめん」

「推理小説とか読むかな? あと、ライトノベルも少しだけ。感動系の」


学校ではファッションやメイクの話をしていたあの星宮水瀬が……


驚きを隠せない。俺は、隣に並ぶと本の内容を横から眺めた。


「結構ハードなやつだ」

「あはは。そうかな? 私は地の文が多い小説好きだよ」

「本を読んでる感はある」

「うん。没入感が違うんだよね」

「没入感かー」

「朝比奈水瀬は、本を読まないから意外でしょ!」

「星宮水瀬でも意外かも」

「あ、そっか。クラスでも本読まないから」


星宮はそう言うと、一番最後のページを捲り、目を丸くした。


「これ! 初版だよ! 健人くん! 初版!!」

「ん? それがどうかしたか?」

小鳥遊たかなしかなえの処女作『遊園地の殺人事件』の初版は超レアだよー」


深紅の瞳をキラキラと輝かせた水瀬は、ベッドにチョコンと座ると、矢継ぎ早に話した。


「借りていいかな?」

「ああ、いいぞ~。その本はあと10冊あるから、あげるわ」

「ええ!? いいの?」

「うん。小鳥遊かなえは、うちの母親だから」

「サイン! サインがほしいかも!」


母さんがここに居たら、多分喜んでいただろう。

水瀬は、前のめりになっていた。


「離婚したからなー」

「あ……ごめん」

「いいよ別に。俺が小さい頃の話だから、あんまり覚えてないし」

「お父さんは?」

「アメリカに出張中。年末年始くらいし帰ってこないから、安心して使ってもらっていいぞ」

「アメリカ……じゃあ、健人くんはずっと一人だったの?」

「星宮もそうだろ」

「わ、私は、事情がちょっと違うから」


水瀬は、苦笑いをした。

聞かれたくないことなのか、矢継ぎ早に話題を変える。


「でも、久しぶりに人と御飯食べれて楽しかった」

「俺も。カレー美味しかった」

「んんんん!!」


水瀬の頬が急激に赤くなる。


「なんか新鮮すぎて恥ずかしいんだけど!」


水瀬は、くるりと180度回転する。

その様子を見ていると、俺まで恥ずかしくなってくる。


「私のカレー美味しかったんだ。そっか。ふーん」

「めちゃくちゃ。ぶっちゃけ母さんのよりも美味しかったよ」


本当に美味しかった。

思い出補正がある母さんのカレーと五分以上の戦いをしていた。

多分、水瀬が隣にいてくれたってのもあると思うけれど。


「お母さんのより?」


ようやく振り向いた水瀬は、少し疑問そうに首を傾げた。


「星宮がいたからかな?」

「そか。私がいたから美味しかったんだ。困るなぁ。まだ付き合ってもないのに」

「あの星宮さん?」


変なスイッチを入れてしまったのかもしれない。


「健人くんは、私と食べたいんだよねー?」

「ああ、うん。それは間違いないな。星宮と同じで、俺も一人が長いから」

「一人が長い……」


一人暮らしの話題は、地雷だったかもしれない。水瀬の表情が急に暗くなる。


「まぁ、もう慣れたから! それより――」

「そんな悲しい顔しないで」

「星宮!?」


腕を背中に纏わりつかせてくる。

柔らかな感触が、俺の胸部に当たった。


「健人くんが寂しい顔をするの見たくない」


視線を右に向けるけれど、表情が見えない。

何を考えているのか分からなかった。

絹のように滑らかな金色の横髪だけが見える。


「星宮……」

「でも、告白じゃないからね!」

「なんで急にツンデレ系ヒロインに」

「だって……女の子から告白とかあり得ないもん」


水瀬の甘い囁きは、小さすぎて聞えなかった。

その代わりに心臓の鼓動がドクドクと聞こえてくる。


「なんて?」

「恥ずかしいからって言った」

「なら放しても――」

「ううん。放さない。お母さんの話のとき、辛そうだったから」


水瀬の細い腕が、俺の胸部を圧迫する。

俺、そんな顔をしていたのか。


ポーカーフェイスで過ごしてきたというのに、水瀬には通用しないってことらしい。


「だ、大丈夫だって」

「ううん。だめ。ファンでも、クラスメイトでも私はこうする」


水瀬は、俺の背中を優しくさすっていた。

そんなことをされていると、段々と緊張が解けていく。


「どんな人間でもか。やっぱり星宮は優しいな」

「やっぱり女の子限定」

「俺、いつの間に女の子になってたの……」

「健人くんは特別だよ。私のこと助けてくれたから」


水瀬と目が合った。


日本人にしては堀が深い顔。

くっきり二重に長いまつ毛がトッピングされている。


「その台詞、Vtuberとして聞いてたらヤバかった」


薄桃色の唇が俺を試すように弧を描いた。


「それはダメかな? 朝比奈水瀬は、皆の水瀬だし。健人くんは特別なんて言えないよ」


再び、薄桃色の唇が弧を描く。


……水瀬ってこんなにかわいいかったのか。


「そうじゃなくて、『誰々は特別だよ』なんて言われたら、ファンなら誰でも落ちるって意味」

「そういう意味!?」

「それ以外にあるか?」

「……それより、健人くんもぎゅーした方がいいよ。その方が落ち着くと思う」

「いや……」

「いいから!」

「わ、分かったって」


俺は、水瀬の背中にゆっくりと手を回した。


暖かかった。うちのシャンプーの匂いがした。

全てが優しく柔らかい感覚だった。


「同じシャンプーの匂いがする」

「不思議な感覚だな……でも懐かしい感じがする」

「落ち着いた?」

「ああ、うん」

「良かった」

「ありがとな」

「ううん。よしよし」


髪をそっと撫でられていた。

女の子って柔らかくて優しい。


「私がずっとハグしてあげる。毎日ずっと。だから元気出して」


甘い吐息が耳を刺激する。くすぐったかった。


「星宮。ありがとう……でも」


もう限界だ。色々と。


このままでは別な意味で水瀬を見てしまう。


俺は、咄嗟に手を放して距離を取った。


眼前にいるのは、クラスメイトの星宮水瀬。

俺のブカブカのTシャツを着ている。

これは小さな幸せなんかじゃない。大きな幸せだ。


イヤホン越しに、朝比奈水瀬の癒し配信を聞いているのとはわけが違う。


現実の肉体を持った星宮水瀬だった。


「もう、大丈夫だわ」

「うん。そっか」

「なぁ星宮」


それでも、小さな幸せなら、許されるよな。


「んー」

「また明日から、晩御飯一緒に食べようぜ」

「うん! もちろん!」


あまりにも嬉しそうに笑ってくれるので、こちらまでポカポカした心になる。


やっぱりウチに人がいるのっていいかもしれない。


「あ……でも」

「ん?」

「制服や荷物を取りにいくのに付き合ってほしい」

「そういえば」


水瀬の所持品は、ピンクのパジャマとスマホだけだった。

制服や他の衣服など何もない。


一度マンションに戻らなければならないわけか。


ユトと出くわさないといいけれど……













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