第5話 水瀬、それは見せちゃダメ


ザーザーと弾く音。シャンプーの匂い。


俺は今、風呂場の扉の前にいた。

水瀬のために、コンビニで買った黒い無地の下着を丁寧に脱衣所に置く。


「星宮、下着置いといたから」


俺がそう言うと、シャワーが止まった。

そして、チャプンと風呂に入る音が聞えた。


「何から何まで本当にありがとう。でも本当に良かったの?」

「汗が付着したパンツを履かせているわけにはいかないだろ。ファンとして」


ファンに見つかればボコボコにされそうな状況だから、下着を買わない選択肢はなかった。

それに、星宮には綺麗でいてほしい。俺の欲求。


「ファンとしてじゃなく、健人くんがってことにしとく」

「俺、そんなに変態に見えてたのか」

「ああ! そうじゃなくて!!」

「そうじゃなく?」

「今はクラスメイトとしての水瀬でしょ?」

「あー確かにそう言ったな」

「そっちの方が自然な関係だから、だから健人くんに言ったことにする」


手でお湯をかき回しているのだろう、チャプチャプと音がした。


「まーどっちでもいいけど。それより、体調はどう?」

「うん。少し落ち着いた。その間、湯船に浸かって色々と考えてたんだー」

「俺も考えてみた。ユトのことはニュースになるに違いない。もしかしたら、違約金は発生しないかも」

「うん。案外何とかなるかも」


水瀬は、上の空な感じでそう言った。


「星宮、本当に考えてた?」

「考えてたよ」

「そか」


風呂に入ってから20分強。未だに癒えぬってところか。

まだ時間が欲しいだろうし、俺はさっさとここから退散して、新しく引いた限定☆5キャラを堪能しますか。


早く『ミミ』が使いたいからな。長柄武器何を持たせようかな。青龍刀かスイス式ハルバードか。

いや、クーゼも捨てがたい……


「じゃ、俺はリビングでゲームしてるから。何かあれば大声で呼んでくれ」

「私よりゲーム?」

「え?」

「いいもん。どうせ私は一人かー」


え!? なんかまた怒られてる……なんで?


「星宮、なんで怒ってるんだよ……」

「一人でお風呂とか寂しい」

「だとしても、俺が入るわけにはいかんだろ」

「そこにいてほしい」


ゲームを取るか。星宮の願望を叶えるか。天秤は互角の戦いをしていたが、僅差で後者が勝った。


敗因は同情心。


事件に巻き込まれたクラスメイトの女の子を、放っておくことはできなかった。


「分かった。ここにいる」

「ありがとう。夕飯は私に任せて。料理だけは得意なんだー」

「まてまて。男の家に泊まる気か? クラスメイトとは言え、俺は男子だぞ。まぁ、両親はいないけれど」

「私も一人暮らしだから、行く当てがないし」

「た、確かに……」

「パソコン貸してくれれば、生活費だって払えるから!」

「……Vtuber続けるのか?」


あんな事があったのに、水瀬は強いな。

俺は絶対に配信なんか開きたくない。どんなコメントが来ているか想像するだけで、ブルッと震える。


「うん! どんなことがあろうと続けたい。私一人暮らしって言ったでしょ。最初は寂しくて配信始めたんだー」

「ああ、そういう」


寂しくて配信を始める人間は多い。

インターネットは心の隙間を埋めるために最適なツール。

父親は出張。母親はいない。

俺だって心のどこかでは、そう思っているのだろう。


完璧な星宮水瀬に親近感を初めて感じた瞬間だった。


「でも……Vtuberってもっと素敵な職業だと思っていたよ。皆を幸せにできる職業だって。でも、七瀬ちゃんもユト先輩も……ねぇ、健人くん。私、誰を信じたらいいのかな」


水瀬でも悩み事はあるんだ。

星宮水瀬とVtuber朝比奈水瀬は、少しだけ違っている気がしてきた。


ま、そりゃそうか。だって人間だもの。


「少なくとも」

「んー?」

「風呂を覗かない俺は信じていいんじゃないか」

「うん。信じる。覗きたいけど覗けない健人くんを!!」

「……」

「無言はやめよう! うん!」

「……覗きたくはないぞ」

「え! 違うの!」


パシャンと水面が叩かれる。

驚きすぎだろ……


「ち、違う。断じて違う」

「……なんかショック!」

「じゃあ見たいかも」

「じゃあは余計すぎだよ!」


水瀬はそう言うと、クスクスと笑った。


「でも、月曜日から絶対にクラスでも話そうよ」

「え? なんで!」

「だって話したくなると思うし。お弁当も作るから感想聞きたいし」

「弁当!?」

「お世話になるんだから、それくらいしないと悪いから」

「い、いやいやいやいや、いいよいいよ!!」


弁当の中身が同じだとしたら……


『えぇ、水瀬ちゃんと健人くん弁当の中身同じじゃない?』

『え? なんで? どういうこと? まさか付き合ってる?』


しかも、水瀬のことだから素直に状況を説明するに違いない。


『私たち今一緒に暮らしているんだー!』


うん。絶対に厄介事が舞い降りてくるに違いない。


却下だ。


「なんか凄く必死!?」

「だって、水瀬を匿いたいのは俺の意思だから。恩とかどうでもいいから!!」


少しだけ間があった。


水瀬らしくないしっとりとした声音で口を開く。


「意志?」

「うん。俺の意思」

「Vtuberとしての私を救いたかったってこと?」

「間違いなく!! だから、お礼とか全然いらんぞ」

「そっか。へーふーん。そっか。お礼もいらないほどに!」


にっこにっこの声音の水瀬さん。何か勘違いしている気がする。


「もう一度言うけど、お礼とかいらないから!! な!!」


俺がそう言うと、水瀬は「分かった~」と呟いた後に意味不明な事を言い放った。


「じゃあ、私も意志で作る!」

「……はい?」

「んー?」

「んんんん!?」

「悶えるほどに喜んでくれるんだー。ちょっと嬉しいかも」


え、いや、違う!

なんて否定できなかった。


母さん。押しに弱いDNAは、しっかりと俺に引き継がれているようです。


「じょ、条件を付けていいか?」

「条件?」

「そう条件」

「どんなー?」

「空き教室で食べる。二人で」


俺がそう言うと、水瀬はジャバンと風呂から立ち上がった。


「大丈夫か?」

「あ、うん! 大丈夫。それより」

「それより?」

「今の言葉、本当? いつまでも一緒に食べようって!! ……そういう意味だよね?」


意気が凄い。というか、そんなこと言ったっけ。

まぁ、言ったか。


「ああ、うん。ほんとほんと」

「……」

「星宮?」

「じゃ、じゃあ……」

「う、うん?」

「毎日連絡もして、御飯をも作って、それからえーと……毎夜忍び込んで一緒に寝たい!」


爽やかに言ったなぁ。流石Vtuberと言ったところか。

声の張り良し。澄んだ萌え声良し。感情の籠った声も良し。


じゃなくて、


「何言ってるんだ?」

「……えぇ?」


私、何か変なこと言いました? みたいな間がきつい。

もしかして、本音とか?


あの純粋無垢な水瀬がクラスメイト相手に軽度ヤンデレ発動?


んなわけない。ナニコレ。俺騙されてる系?

まだネット配信続いているの?


俺は脱衣所をグルリと一周見渡すがそれっぽい機材はない。

あるのは、脱ぎ捨てられたパジャマと水色の下着だけ。


「あの……星宮さん」

「さん付けは、いや」

「ほ、星宮」

「んー?」

「今のって冗談だよな」

「……」


長い長い沈黙だった。


換気扇の音が妙に緊迫感あるように聞こえた。


「星宮さん?」


声が聞こえていないのかも。もう少し声を張った方が良いか。


「星宮の冗談面白かったぞ! 流石天才Vtuber! 演技も上手い」

「……」

「星宮? おーい」

「も、もしかして……全部私の、勘違い???」

「なんて?」


その瞬間、星宮、は扉を勢いよく開け放った。


「今の言葉は嘘だったの!? なんで! なんで騙すの!」


すらりとした体躯と白い肌。推定Dカップの胸部。それと言ってはならないあの場所。


頬を紅潮させた星宮水瀬は、目をクルクルと回し、唇をわなわな震えさせていた。









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