第4話 推しが家に来ることになった

「健人くんがケントくんだったんだ……」


閑静な住宅街。を手櫛で解きながら、水瀬は口を開いた。


「ごめんな。平々凡々なクラスメイトで」

「ううん! そんなことないよ!」


右手をブンブンと左右に振った水瀬は、矢継ぎ早に話した。


「びっくりしただけ。その、助けてくれたんだよね?」

「一応そのつもり。配信していなかったら、ユトの悪事を暴く手法がなかった。延々と脅されてたかもしれないと思った」

「確かにそれはそうかも。実はさ、最近誰かに付けられてた気がしてたんだー。まさかユト先輩だとは全然思わなかったよ」

「いつから?」

「数日前から。気配がするだけだったから、気のせいかなって思ってた」


俺がそう言うと、気を使わせたくないのだろう。

水瀬は、右手を素早く突き出した。


「まぁ、水瀬パンチでストーカーなんて一撃だけどね! でも……皆迷惑かけちゃった。健人くんにも」


水瀬は申し訳なさそうに笑うけれど、ユトのことは完全にアクシデント。

自宅まで知られていた上に、相手の言動がヤバすぎた。


「ユトが悪いよ」

「健人くんって優しいんだね。ありがとう」

「どういたしまして?」

「もっとクラスで絡んでおけば良かった」

「いや……十分交流してたって。ゴールデンウィークの前日にも話したし」


学校一有名な水瀬と話していたら、ライフが10万あっても足りない。

脳裏には、様々な人間関係のいざこざに巻き込まれる様子が浮かんだ。


「それ3カ月も前!」

「そうだったけか。1カ月までじゃないか?」

「どっちでも同じ! これからは絶対に毎日話しかけるよ! あ……でも、こんなこともあったし嫌かな?」

「いや……ではないけど。それより、星宮さんはVtuberだったんだな」


俺は強引に話題を切り替える。

思いのほか食いつきが良いみたいで、水瀬はオーバーに頷いた。


「うん! 見てくれてたんだよね? 嬉しい」


向日葵のようにパーッと笑った水瀬。手を後ろで組み、体をこちらに向けながら矢継ぎ早に話す。

吐息が近づきそうな距離まで体が近づくと、ふわりと柔軟剤の香りが漂う。


洗剤系の匂い。

うちのはすぐに匂いが取れるというのに、凄いな。


いや……水瀬効果だろうか。

艶やかな金の髪。白い頬に高揚した頬。皴一つない唇とパジャマ。


清潔感の塊だ。


しかも赤色の瞳までキラキラしてるし。俺の淀んだ目とは全然違う。


「新参、だけど、俺の推しVtuberかな? 星宮さんだとは思わなかったけど」

「あはは。そうだよね。モデルと全然違ってた?」

「瓜二つ! 性格から容姿まで全部」

「という割に、私のこと気にしてなくない? あ……もしかして」


水瀬はハッとした表情をすると、一メートル程右方にズレた。


え!? なんで……なんかちょっと傷つく。

しかも、俺が近寄ってこないようにチラチラ警戒してくる。


「近寄らないって」

「そういうわけじゃないんだけど……」

「そか」

「え? 気にならないの!?」

「なんか逆に驚いてる!?」

「だって! いやなんでもない!」


今度は怒られてる!?

近寄った時に鼻の下でも伸ばしていたのかもしれない。

それくらい許してくれよ。柔軟剤の匂いが凄かったんだ。


「その、健人くんも配信者だったの?」

「あ、ああ。底辺だけど、FPSや新作ゲームの配信をしてる」

「ゲーム強いんだ」

「まぁまぁだよ。プロよりも下手なくらい」

「それって超強いじゃん! 私なんて未だにシルバー帯を抜けられない。ここ最近は毎日ゲームしてるんだけどなぁ」

「星宮は、最近パソコン買ったばかりだろ?」

「うん。キーボードとマウスで操作するのって難しいよね! 一所懸命に動かしても棒立ちになっちゃう!」

「十分上手いと思う。初めて3カ月でシルバーは、才能あるよ」

「練習してて良かった~。それでさ、プラチナに」


そう言った瞬間、水瀬はクラリと前方によろけた。


「それで……それでさ。あれ、言葉が……」


緊張が解けのだろう。蓄積した感情の波が押し寄せているように見えた。


水瀬の瞳は少し潤んでいた。


しかし、必死に笑顔を作り、俺に何かを呟いている。


悪いが水瀬、声が小さすぎて聞こえない。


薄桃色の唇を一所懸命に動かしても、声が出ていないんだ。


「無理に話さなくていいと思う」

「で、でも、健人くんは私のファンだから」


微かに聞き取れた。ファンの扱いが第一か。

平常時に聞けたのなら、歓喜して投げ銭していたかもしれない。


それでも、


「今はVtuberの水瀬じゃなくて、現実の水瀬だろ? 気を使わなくていいよ」


俺がそう言うと、水瀬はコクリと頷いてくれた。


そのままコツコツと靴音だけが響く。一メートル程の距離を開けられながら。


あれ? そういえば、なんで俺はこんなにも距離を取られてるんだろう。


そんなことを考えていると、いつの間にか家に着いていた。

しかも十数分ぶりに水瀬は、肩が触れある距離まで近づいていた。


「星宮が近くに!」


俺の発言を無視して、星宮は更に近づくと、俺の耳に吐息を漏らした。


「汗かいちゃったから、シャワー借りてもいいかな?」


こそばゆい!

耳が死ぬ! 普段の明朗な声ではなく、しっとりとしたウィスパーボイス。


全俺が震えた。これバイノーラルじゃん。


「と言うか、そんなことで避けていたのか」


俺がそう言うと、水瀬はプクリと顔を膨らませた。


「そういうこと言うんだー。へー。ふーん。女の子にそんなことを」


これ、怒ってるやつだ。

ウィスパーだから全然怖くないけど、怒ってるやつだ。


「別に私が汗臭いままでいいのなら、それでいいけど?」

「あ、ごめん。シャワー使っていいから!」

「ちなみに~汗臭くなんてないんだからね」

「分かってる! 分かってる! 星宮水瀬さんは、柔軟剤のいい匂いがしますから!」


でもシャワーか。ユトの事件で頭がいっぱいで、星宮が汗だくだったことを忘れていた。


下着とか購入した方が良いのかな?





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