第3話 有名Vtuberから水瀬を助ける

水瀬は動揺しているのか、音声をミュートにした。

うわぁ……。流石の俺でも、怒りが込み上げてきた。


やっていいことと悪いことの区別は付けなくちゃいけないよな?


俺は、録画アプリを立ち上げた。


「ユト先輩今なんて? なんで私の家を知ってるんですか……」

「七瀬ちゃんから聞いたよ。古参の僕が企業案件を紹介してあげるって言ったら、簡単に。あ、これ内緒だよ」

「……え?」

「まぁ僕がいるから、そんなに悲しむ必要はないよ? 前々から君の事が本当に好きだった。配信も初期の頃からずっと見てた。君が同じ事務所に所属したと聞いたときは、とても嬉しかったなぁ……」


ストーカーは身近にいる場合が多いらしい。

可哀想に。水瀬は唖然とした吐息をもらすと、無言になってしまった。


そりゃそうだ。俺が女の子だとしても、恐ろしい。

多分自宅から一歩も出れないだろう。


「あの……ちょっといいですか? ……このことばらしますよ? 流石に女性として許せません!」


ハンドルネーム一ノ瀬エリリ。17歳の美少女オタクらしい。

歯に衣着せぬ言い方をした。


「外部に情報をもらしたら数百万円払ってもらうことになってる。高校生の君に払える?」


ニチャッと音がしそうな声だった。

登録者30万人のイケメンVtuberの裏の顔がこれか。


「それは……」

「あの、ユト先輩」

「ん? なにかな?」

「まずはお試しって言いましたよね? 付き合えば配信を妨害しないと約束してくれますか?」

「水瀬!?」


俺は、思わずそう呟いていた。

お試しなんて言葉は、実質存在しない。


「大丈夫だよ。だって只のお試しだし!」


水瀬……

未経験の俺でも分る。水瀬の中の人は、恋愛経験が少ないに違いない。

こういう要素も視聴者に好印象だとはいえ、不安になるぞ……


と考えていたとき、「フゥン! フゥン!」と微かに鼻息が聞こえてきた。


一ノ瀬エリリやミミコさん(28)のアイコンが光っている。


「水瀬ちゃんのその発言もう一度聞きたいわ!」

「え!? ミミコさんどうして?」

「いや……その、な、なんでもないわ」

「やっぱり水瀬ちゃんなんだよねー。君はやっぱり天使で未経験のアレだ?」

「アレ?」

「いやなんでも。そ、それより、さっきの質問に回答するけど、約束は守るよ」

「分かりました。じゃあ、配信では絶対に変な発言はしないでください。私の配信は、嘘をつかないルールで始めたんです。事務所に入ったときは、何故かその文言を消されてしまいましたけど、不誠実な対応だけは絶対にしたくから」

「水瀬……」


ファン思いの良いVtuberだ。

心のどこかで、芸能人は不誠実な存在だと思っていた。


俺の心が浄化されていく。


少しくらい巻き込まれても大丈夫だよな……


血迷った俺は、配信アプリ『obss』を立ち上げた。


「うん。じゃあ決まりだね」

「とりあえず、1週間でいいですか?」

「うん。何週間でも」

「水瀬ちゃん! ダメ! こんな奴の言うことなんて聞く必要ないよ!」

「だって、お試しだし。それに配信が壊されるのは嫌だから。大丈夫~安心して」

「水瀬ちゃん……安心できないよ」


一ノ瀬エリリの泣き言を無視して、ユトは話す。


「今夜、DMで僕の住所送るから、そこ来てよ」

「急すぎますよ! でも、分かりました。私も会って話をしたいし」


その初心な発言に、ユトは笑いだした。


「本当にかわいい。僕、君みたいな何も知らない子大好き」

「ユトさん! 私がお金を出しますから」


ミミコが大声を出した。


「そうしたら潰す」


委縮したのかミミコは、黙ってしまった。

もはやユトに対して口出しできる人間は、同じくらい卑怯な俺しかいなかった。


『録画中:20分58秒』

『倍速で配信を開始する』をクリック。


「ユト先輩。今の発言を撤回してください」

「うん。ごめん――」

「ちょっといいかしら? そのね、水瀬ちゃん。これだけは言わせて」

「んー?」

「『お試し』の意味をちゃんと理解したほうがいいわ」

「お試しの意味? 恋人になるかどうか決める期間だよね?」

「余計なことを言うな」

「いや、言わせてもらうわ」

「お試しなんて体のいい言葉で、この人は貴方とえっちがしたいだけよ」

「え、えええええ、えっち!? で、でもお試しだし。外で会うよ?」


裏表がないVtuberって存在したんだな。最初に脳裏に浮かんだ言葉は、悲しくもそれだった。

心配していないわけではない。それでも、こんな配信者がいるとは思えなかったんだ。


「それは建前。どうせこんな奴、何かしらの方法で水瀬ちゃんの貞操を狙ってるだけよ」


ミミコがそう言うと、ユトは大声を上げた。


「水瀬ちゃんに対する愛を疑うな! 配信を1回も見逃したことはない。それどころか、SNSの通知設定までしている。いつも欠かさずマンションの前で彼女をみるよ。あ……今の発言は忘れて♡」


これは本当に近寄っちゃダメな奴だ。

音声通話アプリ:バィスコードに共通認識の沈黙が訪れる。


「この業界いると心が荒むんだよねー。みんな猫被っちゃってさ。でも水瀬ちゃんは本当に純粋そうで、もう逃すわけにはいかないって思ったんだ」

「嘘もつかないしな」

「ケンタ、よくわかってんじゃん」


ユトの発言に、再び妙な沈黙が流れる。


「それでも、人としてやっていいことと悪いことがあると思う」

「僕は常識人だよ。この子は天使。僕が必ず愛す! だからみんなは心配しないでほしい」


話が通用しない。このまま説得しても、事態をエスカレートさせるだけだろう。


でも、俺の狙いはそれだ。

警察に通報しても、まともに取り合ってもらえない。

それに何もしなかったら、確実に水瀬は襲われていただろう。


だから、


「お前! ふざけんなよ!」

「こうでもしないと、ネトストは止まらないだろ?」

「どれだけこの時のために時間を費やしたか分かってるのか! 俺は絶対に、水瀬ちゃんと幸せになる――」


ドガドガと物音がユトのマイクから聞こえてくる。


俺はそれを無視して、水瀬のかわいい声に集中した。


「ケントくん……今なんて?」

「水瀬を守るために、俺が配信した」


その瞬間、野次馬たちが一斉にコメントする。


『ケントくっせ~!』

『ケント(笑)』

『ケントカッコいいぞ! ところで水瀬って誰?』

『最近流行りのVtuber』

『ケントは?』

『しらない』

『またやらせ? それとも炎上商法?』

『やっぱりケントをプッシュする企画だったんじゃね?』

『それはそうと、水瀬ちゃん推せる!』

『本当に水瀬ちゃんマジ天使! 付き合いたい! 女だけどいいかな!』

『やっぱり水瀬ちゃん処女だったんだ……』


どうやら水瀬の名誉は、解決できたようだ。

あとは、ネトストの対応のみ。


「むぅー! ……その話題は無し!」


元気を取り戻してくれた水瀬は、明朗かつ耳がくすぐったくなる、いつものアイドルボイスを出した。


「それより、ケントくん! 例の契約――」

「ま~なんとかなるでしょ」

「ならないよ!! ……私だってまだそんな大金ないし。それにユト先輩は、実質事務所の権力者だし」


再びコメントが活性化する。


『俺が全部出す!』

『クラウドファンディング』

『1万円なら出す!』

『え? 待て待て。これガチなやつじゃん……』


「嘘偽りを、水瀬は言わないだろ。でも、水瀬は今すぐそこから離れた方がいい」


ユトのアイコンは、消失していた。

おそらく是が非でも水瀬に接触したいのだろう。


そして、けしからんことをするに違いない。


もしくは、誘拐とか。


そうはさせない。小市民な俺でも、成すべきことくらい分かっている。


自連絡先と待ち合わせ場所を水瀬のチャット欄に書き込む。

同じ女性であるミミコやエリリにも協力を要請すべきかもしれないけど、事態は一刻を争うので、俺は彼女たちに伝えないことにした。


「わ、分かった!」

「うん早く」

「で、でも、これだけは言いたい。みんな、ケントくん助けてくれてありがとう」




そうして俺も待ち合わせ場所――最寄りの駅に向かった。


眼前には、汗だらけの星宮水瀬が、ピンクのパジャマ姿で立っていた。

急いでいたのかパジャマがはだけている。


「ほ、星宮……さん? なんでここに?」

「ケントくん? あ……」

「水瀬……」

「こんなことってあるの……」

「と、とりあえずさ、ボタンちゃんと閉めた方が良いよ? あと、その姿だとかなり目立つからウチ来る? 親もいないし」


俺がそう言うと、星宮は顔を赤くして体をピンと硬直させた。


そこでようやく自分が変態と同じ事を言っていることに気づいたのだ。


できる事なら、やり直したい。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る