第2話 ネットストーカーは身近にいる
7月の週末。
異常気象が日本列島を覆った今年の夏。
窓越しから日差しの強さが伝わってくる。
思わず『暑そうだな』と呟きそうになるのを抑え、俺は氷菓子を食べながら、ほくそ笑んだ。
「ああ、幸せだ。氷菓子も冷房も冷てぇ」
眼前には引いたばかりの限定☆5キャラ――ミミの3Dモデルが、長柄武器を振り回している。
「ミミ引いてよかった。何このキャラかわいすぎだろ」
いいのか。俺は良いのか。こんなにも好きな事物に囲まれてしまって。
いや、これでいいんだよ。
これで。
ゲーマーで有名になるとか、インフルエンサーになるとか、大きな幸せはいらない。
この後、俺は推しのVtuberの配信を見て、ゲームをするだけで充分幸せなんだ。
むしろ大きな幸せは災禍を呼び込む。
「万に一つもあり得ないが、推しのVtuberと仲良くなるとかな。断じてあってはいけないわけ」
仲良くなったら、平々凡々な俺は、様々な妬みつらみにより社会的に抹殺されるのさ。
目立たない事が人生を平穏無事に過ごせる必要条件だよな。
そんな達観したことを考えていると、スクリーン右下に通知がポップした。
『朝比奈水瀬さんが配信をしました』
「お、待ってました」
視聴者数が鰻登りの新進気鋭の2.5次元Vtuber。
2.5次元Vtuberとは、リアルの画像や動画を見せるタイプのVtuberのことだ。
水瀬の場合は、リアルの顔のパーツをランダムに、SNSに投稿している。
しかし、鼻部だけ投稿されていないので、素顔は不明だ。
ファンの間ではそれを利用してコラ画像が量産されているが、水瀬は持ち前の愛嬌で許していた。
Vのモデルは、金髪で赤い瞳。耳が蕩けるような甘いアイドル声でいつもこう言う。
『むー。意地悪しないで可愛いの作ってよね』
脳内再生余裕だった。
そして本日。
前々から企画されていたイベント――新作FPS『ハロラント』視聴者参加型トーナメントの当選者発表がある。
もちろん、俺は水瀬の所に応募した。
俺は氷菓子を一気に口に含むと、水瀬の配信画面を開く。
『やっほー! 鼻だけ投稿しない系Vtuberの朝比奈水瀬だよ。今日は、皆さんに大事な発表があります。みんな知っての通り、当選者の発表! みんな楽しみ?』
水瀬がそう言うと、チャット欄は大盛り上がり。
『そうだよね。みんな楽しみだよね。私も楽しみ。じゃあ、早速だけど、当選者の発表をしようかな? ……え? 心の準備? うーん、もう言っちゃおう! え? もう少し? ふふーん。時間は待ってくれないのだよ』
ニンマリと水瀬が笑うと、矢継ぎ早に話した。
『本当に本当に公正公平に私が選んだよ! それじゃあ、いくよ。ハンドルネームミミコさん。ハンドルネーム一ノ瀬エリリさん。ここまでが女の子! 次は男の子だよ!』
水瀬の吐息が聞こえてくる。
その瞬間、チャット欄が荒れ狂った。
『神様頼む!』
『心臓がヤバイ』
『これ当選したら水瀬と個通できる!?』
『水瀬ちゃんはみんなのアイドルだぞ!』
お前ら……気持ちは分かるぞ。
俺は格好をつけて冷静に頷くけれど、心臓は高鳴っていた。
椅子に浅く座り直すと、前のめりでディスプレイを見つめる。
『男の子の当選者は2名です! まずは、ハンドルネームケントくん』
その瞬間、俺は小さくガッツポーズした。
「俺、やるじゃん」
捻くれた俺の性格も、この特別な出来事を素直に祝ってくれているようだった。
しかし……次の人物の名前を聞いたとき、俺は唖然とした。
『同じ事務所の先輩Vtuber永平ユトくん』
おいおい。出来レースかよ。
俺の感想に呼応するように、チャット欄が荒れ狂う。
『視聴者じゃねーじゃん!』
『水瀬だけは純粋だと思ってたのに』
『なにこれデキレ? それとも付き合ってんの?』
『ユトって誰? 企業案件?』
『はいはいみんな落ち着いて! デキレースじゃないよ。ただ大人の事情で事務所案件です。ごめんね?』
水瀬は手を合わせて謝る。正直は美徳とは言うが、この場合は火に油を注ぐだけだった。
さらにユトが乱入してきたこともあり、チャット欄はボーボーに燃える。
『どうも~。プルライブ所属の永平ユトです。改めて僕からも謝罪するよ。水瀬ちゃんは後輩Vtuberで普段から仲が良いしからいつも遊ぶし――』
『ねぇ! ユト先輩!? 誰と勘違いしているの?』
水瀬の慌てふてめいた声が聞こえてくる。上ずった声に少し怒りの感情が込められている気がした。
当然ながら視聴者は、そんなところまで感知してくれない。
『あれ? 勘違いだっけかなー? 待って今思い出すから』
チャット欄は更に燃える。
『推し止めます』
『なにこれ放送事故? おもしろ』
『水瀬ちゃんだけは黒い噂が無かったから推していたのに……金返せ!』
水瀬の声音を聞けば白だと分かるだろうに。俺は冷静になるためにペットボトルのお茶を飲み干すと、チャットに入力した。
ケント:『落ち着け。水瀬の声音を聞けば、白だと分かる』
『ケント信者すぎる』
『ケントの配信ってこれ? URL:kento.zwitch』
『うわケントも配信者かよ。デキレじゃね? 事務所推しっやつ?』
『でもケント、底辺やぞ』
『み、みんなっ! 他人のURL公開はBAN対象からね』
鶴の一声でひとまず収まったが、拡散された事実は変らない。俺の配信のフォロワーは急激に増えていた。
おいおい冗談じゃねぇ。
ヤレヤレ系主人公じゃないけど、俺はどうやら進むべき道を間違えたらしい。
配信者とゲームする小さな幸せすら、俺には許されないってないらしい。
とりあえず水瀬可哀想だから、応援のコメント投稿し続けるか。
水瀬がんばれ、と。
『と、とにかく、私とユト先輩の間には何もないよ!』
『僕からも訂正する。時々コラボする七瀬ちゃんと水瀬ちゃんの名前間違えちゃったよ』
なーんだそうなのか。とはならない。水瀬『ちゃん』呼びしたこともあって、チャット欄は更に火力マシマシに加速していく。
『ユト先輩の言う通り本当に本当に違うからね! 私は付き合う人ができたら前もって言うもん! 私はファンと色々な事を共有したいから、正直に言うよ! 私は嘘をつきたくないから!!』
吐息が混ざる甘い声だから何を言っても柔らかく聞こえるが、水瀬の中では相当に強い語気だった。
そうだよな。俺もそう思うよ。俺は、水瀬の正直なところが好きだ。
それでも、清純派が好きなファンは、その言葉を許してくれない。
『え~私、水瀬ちゃんが付き合うとか無理~。ずっと綺麗でいてほしい』
『ガチでファン止めます』
ケント『水瀬頑張れ。俺は応援しとく』
俺にとって、Vtuberとは画面内にいるだけの推し。結婚出来るとか付き合えるとか思っていないのだ。そう、大きな幸せを期待していないのだ。
それはそうと、俺は辞退をしたい気分なのだが、配信の雰囲気がそれを許してくれなかった。
水瀬の雰囲気はドンドンと暗くなった。
軽い放送事故だ。
しかも、配信が終わった後の音声ミーティングにて、その事故を超える事が起こりつつある。
ユトは俺たちがいる場で、堂々とプライベートな話を始めた。
どうやら守秘義務があるから良いらしい。
「あのさ、水瀬ちゃんさ、前に言ってたこと覚えてる?」
「え??」
「だから、付き合う件。最初はお試しでいいからって」
「あの……悪いが、聞こえてるぞ」
「ケントくんだっけ? ファンボは黙っててくれる? 今重要な話をしてるから」
とは言っても、視聴者の女の子は怯えている。
水瀬も笑って誤魔化しているが、ユトに対しての拒否反応が空気を伝っている。
陰キャの俺でさえ把握できる空気の悪さ。
とはいえ、不器用なので空気を変えることもできない。とすれば、直接不満をぶつけてターゲットを俺にずらすか。
「まずは配信を炎上させた謝罪じゃないのか?」
「あれくらいどーってことないよ。底辺ゲーム配信者は黙ってろよ。ゲームだけ上手くても視聴者は伸びない奴に言われてもね」
「あれ? ゲームが上手い事なんて一度も言った覚えが」
「誰か上手い人を入れておかないと企画が成立しないんだ。だから上手い人枠で君が選ばれた。残りの三人は、水瀬ちゃんのファンの心境を害さないように女の子」
「わ、私そんなこと聞いてないですよ!?」
「水瀬ちゃんは新人Vだからね~。僕が根回ししといてあげたよ♡ 前にも言ったよね? 僕は君の家を知ってるんだ。君の配信も壊すこともできる。僕と付き合ってよ」
水瀬は動揺しているのか、音声をミュートにした。
うわぁ……。流石の俺でも、怒りが込み上げてきた。
やっていいことと悪いことの区別は付けなくちゃいけないよな?
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