第6話 良いこと思いついた。

 前世の自分の馬鹿ぶりに歯噛みしていたら、ちょうど良いタイミングで掃除を終えたマーサが迎えにきてくれたので、娘と一緒に部屋へと戻ったのだけれど、勘の良い彼女は私が落ち込んでいることを察して紅茶を淹れてくれた。


 その優しさに感謝しながら香りの良い紅茶に癒やしを求めていると、急にあることを閃いた。オタクの魂は三つ子の魂とほぼ同じ。前世のことを憶えていなくても、今世も何かしら引きずっている可能性はある。

 

 その可能性に一縷の望みをかけて、ベビーベッドに寝かせたアイリーンに顔を蕩けさせている彼女に、質問をしてみることにした。


「お輿入れする前の、ご実家でのナタリア様のご趣味ですか。勿論存じ上げておりますが、どうして急にそんなことを……まさか産後鬱でまた記憶が?」


「あ、ううん、そうだけど、そこまで深刻じゃないのよ。ただまだちょっと記憶が曖昧らしくて。お父様達への手紙を書くのにも、記憶違いがないようにしないと不安だし、ね? だからどんな趣味があったか、マーサの憶えている範囲で良いから教えてほしいの」


 決して軽い気持ちで聞いたわけではなかったものの、思ったより不安そうな返しをされて申し訳ない気分になる。そうだよね、目覚めてすぐに自分の年齢を聞いた時は真っ青になってたもの。重ね重ね心配をかけます。


 渾身のあざとい上目遣いおねだりに困った風に笑った彼女は、一つ頷いて口を開いた。


「そういうことでしたら……刺繍と読書と、歌うことと、あとは物語を考えるのがお好きでしたわ。ちょうどお嬢様の成長記録をつけられているノートのようなものが、何冊か本棚に収まっておりました」


 やっぱりビンゴだ! 思わず「それだわ!」と叫んで部屋を飛び出す。


 背後からは「何が〝それだわ!〟なのですかナタリア様!? まだ産後五ヶ月目ですよ!? 走られては危ないですわ!!」というマーサの声が追いかけてくるけれど、無視して廊下を走る。今後はあんまりやらないから許して!


 目指すは夫の執務室だ。全然会話も顔合わせもない夫婦関係ではあっても、屋敷の見取図くらいは記憶している。屋敷が広いとトイレの場所を覚えとかないと大変ですからね。


 普段は決して本館の方まで来ない契約妻が廊下を走っていると、当たり前だけどすれ違う屋敷の使用人達が驚いた顔をしている。しかし誰一人として暴走伯爵夫人を止めるために声をかけてくる猛者はいない。面倒事の匂いしかしないからだろう。


 産後五ヶ月で走るのはキツイけど、可愛い娘の将来がかかっているとなれば、結構走れるものだ。もしくはこの身体、意外と頑丈なのかも?


 そんなこんなで息は切れたけど、到着しました執務室前。少しだけドアの前で乱れた呼吸を整え、今更すぎるお淑やかさでノックする。しかし返事がない。スケジュールをきっちりしていて、突然の来訪者がいないタイプとみた私は、怒られることを覚悟で返事を待たずにドアを開けた。

 

「ご公務中に失礼します旦那様」


「失礼だという常識があるのなら後にしろ。それとも……そのようにはしたなく息を切らせて、金の無心でもしに来たのか」


 いきなり来た妻が悪いにしてもどうよ。凄いガン飛ばすじゃないですか。でもこれがこの人の通常運転ですからね。元を辿れば自分のせいだと分かっていれば、腹を立てるほどのことでなし。なのでサラッと流す。


「まぁ、流石は旦那様。その通りでございますわ」


「――は?」


「ですから、はしたなくもお金を貸して頂きたく参りました」


「……早速浪費か。何に使うつもりだ」


「はい。今すぐ実家に帰りたいので、その旅費としてです」


「ほう、それは――……契約を破棄するつもりということか?」


 そっちが皮肉を言ってくるから素直に返しただけだというのに、夫は眉間に深い皺を刻んだ。ひと目で激怒していることが分かる。貴族だというのに素直に顔に出しすぎではないだろうかこの人。


 持論ではあるのだが、小説を書く人間というのは、完結させられなかった作品内で作ったお気に入りのキャラクターの名前を、次の作品に横流ししたりすることがある。だからこれまでの創作ノートを回収したいだけなのだ。


 その用事が済めばすぐにこの冷遇夫の元へ帰って来るつもりである。


「いえ、実家の方に忘れ物をしたので取りに戻るだけで、用事が済めばまたこちらのお屋敷に戻ってまいりますわ」


「そのような戯言を信じられると思うのか。第一その間子供はどうする。屋敷の人間の手は借りぬのだろう」


「はい。皆様のお手を煩わせるなどとんでもございません。娘のアイリーンもマーサと私と一緒に実家に帰ります。ついでに父母と弟にも会わせたいので、ちょうどよろしいかと」


「却下だ。馬鹿馬鹿しい。貴女の要件がそれだけなのであれば、早くこの部屋から出ていってくれ」


 何と……素直に交渉に来たのに駄目らしい。とりつく島もないというやつだ。でもこれくらいは予想の範疇内。もともとお金の貸し借りって、仲の良い身内同士でも揉める。最初から高感度ゼロの関係性なら尚更だ。


「そうですか、分かりましたわ。お仕事の手をお止めしてしまい申し訳ありません。契約妻の身でありながらお金の無心など、はしたないことを申しました。お忘れ下さい」


「分かれば良い」


 それだけ言うともう興味が失せたのか、再び書類に視線を落とす夫。いつの間にか廊下から執事が心配そうに室内を覗いているし、他の使用人達も遠巻きにこちらを窺っている風である。潮時だな。おねだりも失敗したし、マーサを巻き込むことにはなるけど、自分で金策しよっと。


「ではこちらに嫁ぐ際に持ってきた宝石を、マーサに頼んで街の質屋で換金してもらって、そのお金で実家に帰らせて頂きますわね。この方法だとはしたないかと思ったのですが、その方が確実ですもの。それでは失礼しました」


「なっ――待て馬鹿者!」


「まぁ、大きなお声。それと私の名はナタリアでございますわ旦那様」


 今ちょっとお名前のせいでナイーブになっているので、思わず言い返してしまった。こちとら途中でナレ死に退場するとはいえ、名前付のモブで原作者だぞ。馬鹿者呼ばわりとは何事か。


「旦那様。そのように大きな声でお呼び止めになられるからには、何かご要件があるのでは? 如何なさいましたか?」


「それは…………取り寄せるのでは駄目なのか」


「どこに片付けてあるのか分かるのは、マーサと私だけですので。それに(恐らく)量も重さもあるものですから」


 書くのが好きだという証言が身近な人間から出たのだ。物書きというものは、作品が完成しないまでも書き散らかす生き物。だとしたら一冊本棚で見たら、室内に十冊はあると思うべきだろう。そしてマーサの証言から複数冊が本棚で確認されている。要はそういうことだ。


「はぁ……分かった。では貴女の侍女の旅費はこちらで払おう。荷物が多くて馬車に乗り切らない場合は、追加の馬車の費用も出す。返済も必要ない。ただし帰るのも侍女だけだ。それで納得するんだな」


「本当ですか、ありがとうございます!」


「だが金の工面をする代わりに、こちらからも貴女に交換条件を出す」


 あ、はい。ですよね。流石に愛妻でもないのにただでお金は貸してくれないですよね。そうそう美味い話は落ちてない。


 ここまで散々グイグイ押したので、少ししおらしくしようと「私に出来ることでしたら、なんなりと」と答えたら、旦那様は舌打ちせんばかりに顔を顰めてこちらを睨んだまま言った。


「来月に夜会がある。産後のみっともない姿を人前に出すのは憚られたが、それだけ体力が有り余っているのだ。妻としてわたしと共に出席してもらうぞ」


「か――……畏まりましたぁ」


 めーーーっちゃ嫌でーーーす。とか言える身分だったら良かったのだけど、残念ながら伯爵夫人ですからね。でもめーーーっちゃ嫌でーーーす、と内心で思うぐらいは許して下さい。

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