第3話 お話聞いて下さいますか?
「本日はどのようなご要件でしょうか?」
ひとまず再会一発目の
すると無視されるとは思っていなかったらしい相手は、一瞬眉を顰めたもののすぐに体勢を立て直して口を開いた。
「乳母から苦情がきている。貴女が連日
おーん、仕事ね。それはそうだけど、せめてもうちょっと言い方があると思うし、第一あの乳母に仕事という意識があったことにまず驚いた。主人同士の会話に口を挟んでこそこないけど、マーサの顔が怒りで赤くなるのが見えた。
でも分かるよ。私もムカつきました。一応これでも妻なので、こっちに話を聞く前に乳母の話を鵜呑みにする夫に。どうやら本格的に冷遇夫と契約結婚妻の食い合わせ悪いな。
そもそも乳母がいるのに毎日奪取しに行くのは何故か。この腕の中で眠る天使に一瞥でもくれて、その辺を少しで良いから想像してほしかった。
「まぁ、それはそれは……ご公務でお忙しい中でご足労頂いてすみません。では申し訳ありませんが、旦那様から乳母に暇を出して頂くようお願いしてもよろしいでしょうか?」
「解雇するとして理由は何だ」
おや意外。てっきり馬鹿を言うなとかって突っぱねられると思ったのに、理由は聞いてくれるらしい。それだけでほんのちょっとだけ見直した。おかげでこっちも喧嘩腰にならないで理由を述べられる。腕の中にあるアイリーンの温もりに意識を向けつつ口を開く。
「娘では跡取りになれないので、彼女も世話のしがいがないのでしょう。私が目覚めてからマーサに頼んでアイリーンを連れて来てもらっておりますが、ここに連れて来たばかりの頃、この子のお尻は酷くかぶれておりましたわ。要するにオムツをこまめに交換してもらえていなかったのです」
あれには本当にびっくりした。当然ながらこちらの世界にはパン○ースなんてないから、オムツは全部布製。通気性も吸水性も無きに等しいので、お漏らしをした後に放置していると確実にかぶれる。肌が弱い子は特に注意だ。
今は春だからまだ良いものの、夏だったら目も当てられないくらいズル剥けていただろう。これだけで乳母を殺……おっと、規制規制。それにこの人は娘に興味がないし、だからどうしたと聞き返される前に話を終わらせよう。
「授乳は辛うじてしてくれていたようですが、回数が充分ではなかったらしく、マーサが連れて来てくれた時は泣きすぎて声が枯れておりました。毎日引き取りに行っていたのは、旦那様に仕事をしていないと思われてはいけないとの気遣いでしたが、無駄だったようです。以上の点から解雇して下さいませ」
極力時間を取らないように淡々と説明すれば、彼は変わらず険しい表情でこちらを見下ろしたままだ。ん、伝わらなかったかぁ。そっかぁ残念。でもここは母として引き下がるわけにはいかないし、別方面から交渉してみよう。
「彼女の解雇が無理なようでしたら、次か、その次にでも男の子を産んだ際にお願いします。ああ、ですがまだ産後すぐで体調に波がございますので、夜の渡りは半年ほど待って頂ければ嬉しいですわ。それで如何でしょうか?」
苦肉の策ではあるがそういう契約だ。娘が可愛い。
そして私はいつ何で死ぬか分からん母親というポジ。
だったらこの身体が無事な間に出来ることをするしかあるまい。自分で愛のないキャラクター設定したくせに、愛情を持っちゃったので。マーサが息を飲む気配がしたけれど、視線はアイリーンに向けたまま夫からの答えを待つ。
――が、肝心の返事がなかなか返ってこない。
アイリーンは女の子で軽いとはいえ、三千グラムを超えている。流石に抱えて揺する腕が痺れてきた。
「えぇと……旦那様が私との子供をこれ以上お望みでないのなら、契約金の三分の一を頂ければ離縁してそこの侍女と実家に帰りますが」
契約満了するには男児が産まれたらという大前提があるものの、身体の相性の不一致があった時のことを考えて、一応そういう契約にしてあったらしい。書類の作成を誰がしてくれたのか知らないけど、良い仕事してますね。感謝。
ご褒美のノートと一緒に契約書の写しをもらっていたから、その項目を持ち出してそう言うと……頭上から「解雇しておく」と低い声が降ってきた。
一瞬聞き間違いかと思って上を向けば、深く青い瞳と視線がかち合う。そこからは何の感情も読み取れないが、その薄い唇が再び「乳母は、解雇しておく」と動いたので、思わず嬉しくなって笑みが零れてしまった。
「お聞き届け下さりありがとうございます」
「ああ。ただし、そこまで言ったからには金輪際乳母は雇わん。解雇した乳母の部屋から赤子に必要なものは下げ渡す。今後はそこの侍女と貴女の二人で面倒を見るように」
「はい、この子と同じ部屋にいさせて下さることに感謝いたしますわ。では、私達はこれにて失礼いたします。マーサ、行きましょう」
言質取ったどー! 今夜からは夜泣きとの戦いになるけど、乳母からの虐待を心配しなくて良いという高揚感のまま、さて次は日向ぼっこだなとウキウキ彼の横をすり抜けようとしたら、いきなりガシリと肩を掴まれた。
痛くはないけどびっくりして再び彼を見上げれば「どこへ行く?」と、尋ねられる。別に隠す必要もないので「庭園の木陰の近くで、この子と日向ぼっこをしようと思いまして」と答えたところ、彼は眉根を寄せて「日には焼けるな。今以上に見窄らしくなる」と吐き捨てた。
ほぉん、こちとら前世は兼業農家ぞ? と若干カチンとはしたけれど、今世は伯爵夫人ですからね。
にっこり笑って「畏まりました」と答えたけれど、こちらの返事を聞き終えないまま踵を返して立ち去る背中に内心溜息をついた。隣でマーサが小さく「クソ野郎が」と呟いた声は聞こえないふりをする。
前途はなかなか難あれど、今日も私は元気だし、これだけ近くで大人が殺気立っても起きない娘は大物だ。
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