第1話 思い出される過去の愚行。

 春の日差しが降り注ぐ気持ちの良い朝。

 

 特別広くはないものの、一応出産を終えた妻を夫婦共用の寝室から、バルコニーのついた個室に変えてくれたのはありがたい。


 飾り気は皆無ながら清潔なベッドと、嫁入りの際に実家から持ってきたらしい数冊の本が収まった本棚、ちょっとした書物に最適な書き物机に、これだけ別の部屋から持ってきてくれたのか、やや他とは趣の違う花のレリーフが彫られた鏡台。年代物だけど綺麗だ。


 家具はこれだけなものの、全てががっちりとした上質なオーク材製。足の小指をぶつければただでは済まないだろうから、夜に歩き回るなら面倒がらずにランプに火を点けるべきだろう。


 壁紙は飴色の家具との対比が取れたクリーム色で、天井からぶら下がる照明はブロンズの厳つい車輪型――と、まぁ明らかに元は男性用の部屋だ。これが跡取りを産まなかったことへのささやかな報復だとしたら、割と可愛らしい嫌がらせだと思う。どれも質が良いから格好良いんだもの。


 そんな家具達の中でも特にお気に入りの鏡台の前に座り、髪を梳かしてもらいながら、ぼんやりと今世の自分の顔を見つめる。


 流石は死に方も決まっていなければ出演予定もないモブofモブ。ドラマとかだとサラッとナレ死に退場させられていそう。というか、何ならプロット的にしてるっぽい?


 茶色に近い癖のある金髪に、笑うと糸みないになる緑色の瞳、小さく薄い唇、幸い鼻筋だけは通っている。ペン入れする前のラフ画的な薄い顔立ちは、特筆すべき点が皆無だ。でも返ってこれくらいがちょうど良いかもしれない。


 キャラクター設定を作者が一切していないから、この世界に私を転生させた何者かが行間を読んでくれたんだろう。無難なビジュアルだ。誰の印象にも残らないということは、嫉妬の標的になり難いということでもある。


「ナタリアお嬢様、本日のご気分は如何ですか? まだお身体がお辛いようでしたら、朝食を軽いものにしてもらいましょう」


「ありがとうマーサ。大丈夫よ。でもまた私をお嬢様と呼んでいるわ。お嬢様はもうアイリーンの呼称だから、私のことは奥様と読んで頂戴ね」


「あら、これは失礼しましたナタリア様」


 鏡越しに映る二十代後半のふっくら侍女は、柔らかく微笑みながらも、決して〝奥様〟呼びしない。彼女はお嬢さまこと私の強火勢で、この屋敷の主人であるモラハラ旦那アンチ勢なのだ。


 産後私が目覚めてすぐ『ご実家に帰りましょう』と座った目で言ってきた時は、疲れていたのに思わず笑ってしまった。ついでに出産の痛みで寝込んでいた間も、屋敷の使用人達は娘を産んだ私を遠巻きにしていたらしい。


 おかげで目覚めない私の傍でずっと世話をしてくれたのは、彼女だけだったそうだ。そんなことは露知らず、起き抜けに記憶が少々飛んだふりをして、このキャラクターとの関係性を尋ねたりしたものだから、真っ青な顔で色々教えてくれた。


 そしてそのせいもあってか、すっかり夫とこの屋敷の使用人達が嫌いになってしまったようだ。娘のことがなかったらすぐにも連れ帰りたいと毎日口にする。そんな私はお人好しで借金持ちな貧乏伯爵家の長女で、まだ家督を継ぐには幼い弟のため、社交界で氷の伯爵テンプレ呼びされている男の元に、跡継ぎを産む契約・・・・・・・・で嫁ぎ、借金の肩代わりをしてもらった――らしい。


 この世界の行間マスターは、付け焼き刃を乱用した私なんかよりも、よほどテンプレを理解しようとする働き者である。いずれ実家に帰ることがあれば幼い弟とやらも見てみたい。娘と一緒に愛でたいから。


「もう、マーサったら頑固ね。まぁそこが貴女の良いところだもの。それと食後はアイリーンにも授乳したいから、しっかり食べるわ」


「またそんなことを仰って。何度も申し上げておりますが、それは本来なら・・・・乳母の仕事です。お嬢様のなさることではありませんよ。今からでも旦那様に申し出てまともな方に変えて頂きましょう」


「だって小さくて可愛いのだもの。それにこの際乳母は関係ないわ。母親が産まれたばかりの娘を愛しく思っては駄目かしら?」


「駄目では……ございませんね、ええ。旦那様は初見でああでしたし、ナタリア様のお見舞いにもいらっしゃらない冷け――いえ、確かにアイリーンお嬢様にはナタリア様の愛情が必要ですわ」


「そうでしょう? だから、ね、お願いよ」


 内心羞恥に悶えながらもあざとく両手を組んで振り返れば、艶のあるクルミ色の髪を大きなお団子にまとめた、丸い垂れ気味な同色の目を持つテディベア系侍女は、困ったように苦笑した。癒し系すぎる。


「はぁ、分かりました。ではナタリア様が朝食を召し上がっている間に、乳母からアイリーン様を取り上げて参ります」


 やや眉間に力が入っているから完全に賛成という表情ではないけれど、それでも協力はしてくれる。本当に私には勿体ないくらい有能な侍女だ。


 部屋を出る前に「もしこちらのお屋敷のメイドが嫌味を言いに来たら、ちゃんと教えて下さいね。無駄でしょうけど後で旦那様に告げ口しますから」と念を押してくる彼女にお礼を述べ、一人になった部屋で朝食を摂る。


 ちなみに三週間前に産みの地獄を味わってからというもの、夫とは一度も顔を合わせていない。朝食も別々。だけど初産直後なのに鬱になる暇もない。普通の貴族の若奥様ならショックでそうなるだろうが、何せ彼の妻への無関心はデフォルトだからだ。


 因みに娘のキャラクター裏設定では、唯一の味方だった母を早くに亡くし、元々契約結婚だった父は妻を亡くしても気にも止めず、幼い娘を放置して政治というパワーゲームに明け暮れ、野心家で仕事人間の父の感心を買いたくて、自らが政略の駒となるべく頑張る健気な一面もある。


 ――が、しかし。


 担当からは『断罪される悪役が可哀想だと読者のストレスになるので、こういうヒューマンドラマ要素はいりません』と、あっさり没。でも商業に乗せる以上、言い分は完全に担当が正しい。そこに作者の癖はいらないのだ。


 そして当然彼女の父親である彼、今世での私の夫なわけだが、彼にも役柄設定はある。最終的にラスボスになるよう設定した悪役キャラクターで、血も涙もない冷遇ハラスメント男〝ジェラルド・アンバー〟だ。


 爵位は伯爵で、確か歳は今年で二十五だったかな? 私は今年で二十一だから、彼の方が四つ上だ。


 出産直後の彼の発言も、恐らくキャラクター設定に忠実だからだろう。悪役はモラハラ冷遇系であればあるほど断罪が盛り上がる。従って彼は生まれながらにその不名誉なレッテルを貼られたのだ。他ならぬ作者に。


 何でこんな世界に転生してしまったのかと思うけど、まぁ大体自業自得な地獄ではある。とんでも舞台設定をした責任を取らねばならないのは私だ。間違えても娘じゃない。


 しかし幸いにもと言うべきか悩むが、あんまりにも普段の作風と違いすぎて筆が乗らなかったので、苦し紛れに断罪シーンから書いたものの、この世界はまだほぼ何も始まってない。謂わばふにゃふにゃのプロットの状態だ。


 どれくらいふにゃふにゃかと言えば、私の死に様すら分からない。テンプレ作品において母親というものは、何故かいつも若くして死んでいる。その方が楽だからだ。病でも事故でも理由は何だって良い。とにかく死んでる。


 その存在はゲームで言うところのバフ。そして舞台装置として死んだ時、作中の誰かが覚醒するのだ。今回の場合だと私の娘が。


 ヒロインがヒーローと結ばれて幸せになるという大前提があるだけで、舞台装置の悪役令嬢がどう破滅し転落していくのかなどの肉付けはなかった。ぼんやりとした結末が決まっているとはいえ、断罪までの道筋を回避する設定を今から生やせば回避は不可能ではない――のかもしれない。


「でも、そっかそっか……プロット修正作業中に死んじゃったのか私」


 改めて口にしてみても現実感も悲壮感もないけど、死因は薄っすら予測がついている。たぶん主食をカロリー○イトとレッド○ルとモン○ナ、各種ビタミン剤に頼り切り、ストレスフルな毎日をほぼそれしか食べなかった上に、ぶっ通しで五徹したからだ。心臓発作かオーバードーズか脳梗塞辺りだろう。


 独立心旺盛な家庭に産まれた七人兄弟の次女だったから、家族もそこまで引きずらないものだと信じたい。


 ただあの汚部屋を訪ねて来て一番最初に私を見つけるのが、せめてオタク趣味に理解がある末の妹でありますようにと祈りつつ、監視がないことをこれ幸いにスープにパンを浸して食べた。これでいてこの身体がテーブルマナー履修済みなの、ほんと助かるわ。


 

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