悪役家族の原作者◆転生先はテンプレ冷遇伯の妻でした◆

ナユタ

◆プロローグ◆


 ベッドの天蓋からぶら下がるロープを掌が裂けるほど強く握り、舌を噛み切らないように布を噛まされて、膝立ちしながらかつて味わったことのない、文字通り身を裂く痛みを感じながら、白い太腿を晒したままいきむ。


 その度に命の色が汗と涙と一緒に流れ落ちる。

 〜〜〜〜痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い!!

 死ぬ、死んでしまう、こんなの頑張れない、何で私がこんな目に!!


 ロープから手を離して暴れて、狂ったように叫びたいのに、布を噛んでいるせいでそれも出来ない。もうこのままベッドに倒れ伏して失神してしまえたらどんなに良いか――そう思うのに。


「もう少しでお子様が出ていらっしゃいますよ!」


「お辛いでしょうが、あと少し頑張って下さいませ!」


 嘘つき、嘘つき、嘘つき!!!

 ここまで何回それ聞いたと思ってる!!!


 でも、赤ちゃんはこの手に抱きたい。

 その希望だけを頼りに、何度目かの気力を振り絞った――直後。子猫のようなふわふわとした泣き声が甘く耳朶を擽る。


 わっと歓喜の声が上がり、急に熱した鉄の棒で掻き回される違和感が胎内から減って、熱心に声をかけてきた人達が一斉に私から離れた。支えを失ってがくんと傾いだ身体を、生家から連れてきたふくよかな侍女が抱きとめてくれる。額からは汗が噴き出すのに、身体は凍えそうだ。


 冷たい汗を拭ってくれながら「ナタリアお嬢さまは、本当に良く頑張られました」と涙ながらに慰めてくれる。それだけでこの空間での味方が彼女だけなのだと分かった。それと同時に漠然と自分の名前はナタリアではないという不思議な感覚を覚えた。


 でも、度重なるストレスのせいでもう目を開けているのも無理そうだ。もう頑張らなくて良いのかと思ったら、急激に意識が混濁し始めた。


 彼女の胸に抱きしめられたまま眠ってしまおうとしたその時、ここから一生出られないのではないかと思っていた部屋のドアが開いて、そこから一人の美丈夫が入って来た。銀よりくすんだ鈍色の髪に、深く青い瞳と、酷薄そうな薄い唇。気難しそうに顰められた表情の彼に、皆が「おめでとうございます旦那様、お子様はこちらに」と言う。


 その言葉から察するに、彼はこの家の当主で、たった今産まれた赤ちゃんの父親で、たぶん私の夫なのだと分かる。こちらを見ようともせずに、産婆に取り上げられた赤ん坊を覗き込んでたった一言。


「なんだ、娘か」


 そう言って死線を彷徨ったこちらに、労いの言葉を一つもかけずに部屋を出ていった。その瞬間の静まり返った部屋と、この感情をどう表現しようものかと悩んだものの、その前にせめて私と同じく顧みられなかった哀れな命に名付けようと、戦慄く唇を動かす。


「その子は……アイリーンよ。皆も、そう呼んであげて、」


 何故か妊娠を医者から告げられた時から、絶対に女の子だろうという確信があった。そして今日こうなることも知っていた。これはそう定められた運命・・だ。

 

 そこで最後の意識の糸が途切れて。私への処遇に嗚咽を漏らす侍女の胸にもたれたまま、深い眠りに落ちた。産みの地獄を味わって昏睡状態になった私は夢を――というか、恐らく前世とやらを思い出した。


 そこには天を突く灰色の塔の数々、馬を必要としない馬車、階級差だけでは説明のつかない変わった服装の人々、騒がしい街並があって、その世界の中での私の立場は、今にも契約を打ち切られそうな売れない兼業小説家だった。


 背伸びをして書いた重めのヒューマンドラマが初めての受賞に至り、中堅出版社で担当者もついて、そのまま続編で二作をシリーズとして刊行。やっと作家としての入口に立ったと思ったのに、次が書けなかった。


 最初の担当は、刊行してから売上が芳しくなかったためかすぐに連絡が取れなくなり、途中まで一緒に考えていたプロットを残して途中退場。引き継ぎされた新しい担当は〝担当代わります〟のメールから、半年以上経って初めてファミレスで顔合わせ。


 その時に前任者の担当と考えたプロットを提出したら、新担当はそれには一切触れずに笑って口を開いた。


『〇〇先生には新しいのを書いてほしいんですよね。ヒューマンドラマも良いんですけど、うちのレーベルでも異世界転生系のものとか出したくて』


 そう言って渡された資料内容は、確かに大変納得な発行部数と売上だったので、初めてのジャンルで右も左も分からないくせに、つい『頑張ってみます』と言ってしまったが運の尽き。


 取り敢えず売れてる先輩作家さんの作品を読み漁り、ツギハギの知識を総動員して愛され系主人公を作るために、彼女の境遇を盛りに盛った。境遇は不幸であればあるほど巻き返したシーンでの高揚感が増す。


 その彼女を輝かせるために、これまたテンプレートな舞台装置とも呼ぶべき役者を用意した。それが悪役伯爵令嬢としての〝アイリーン・アンバー〟の役目であり、今世で〝ナタリア・アンバー〟として生を受けた私の娘だ。


 十五分で作ったキャラクターにさしたる愛情はなく、パッと思いついた設定をそのまま走り書きして、序盤は陰湿さと醜悪さを全面に押し出し、後半では簡単に悪事がばれ、取り巻きに裏切られていき過ぎた断罪をされて死ぬ。


 細かく言えば花の十八歳で王都を追われ、四十歳はなれたサディストの後妻に送り出されるはずが、途中で乗っていた馬車が賊に襲われてそこで純潔を散らされ、挙げ句に娼館に売られて酷い環境下で性的に搾取され続け、三十歳を迎えられぬまま病気で死ぬ。


 あまりにも鬼畜すぎる。なかなか企画が通らなくてストレスがMAXだったとしても、なんという設定を書き散らかしてしまったんだ。それは冒頭の生みの苦しみも止むなしだろう。


 加えてこのままいけば、愛情の欠片もない作品を生み出そうとしたそのツケを、自分がお腹を痛めて産んだ我が子が、その身を以て悲惨な死で精算させられるわけだ。のせいで。


 これはきっと創作を舐めた私への創作神からの罰に違いない。でも前世ではこの先も絶対に縁のなかった結婚と出産を経験してしまった以上、あの子も彼も私の世界の一部。というか、犠牲者だ。


  ――守護まもらねば。私が創作始めてしまったこの地獄から。

 

 なんて格好つけたけど都合が良いって怒られようが、可能であれば欲しいよ家族の出来た第二の人生! 夫との関係修復が無理なら、せめて悪役令嬢(予定)の娘を連れての円満離婚を目指す!

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