英雄の彼女と青い空


 前線基地の廃墟に戻ってきたスカイは、その日の夜に缶ビールを開けた。

 ドロシーを負かしてリベンジを果たし、元クソ上司の復縁の誘いに三下り半をつけ、自分を慕ってくれた男の子をカッコ良く諭して颯爽と去ってきたのだ。


 まさに出来る女のコンプリートボックス、これで飲まなきゃいつ飲むのだと、彼女はゲオルク専用のボディースーツのままで飲みに飲んだ。

 飲んで爆睡して夜を明かし、次の日になる。太陽が頂点に達しそうな時刻に、猛烈な頭痛で二日酔いを体感しながら起きた彼女は、ムクムクと湧いてくる自分の中の感情を隠しもしなかった。


「あーッ、なんでアタシ、カッコつけちゃったかなーッ!? あんな将来有望で金持ちのショタなら全然アリじゃないのよーッ! かーッ!」


 水を飲み、顔を洗って酔いを醒ました後で、気分転換にと外に出たスカイは一人で頭をガリガリと掻いている。ヨハンを振ったのが、今さらながらに惜しくなってきていたのだ。

 その日も快晴であった。外に停めていたクイーンルビーが、太陽光を反射して紅く輝いている。


「いやでも、正体明かしちゃったら一緒には居られないし……いやいや、あの子なら匿ってくれる可能性も全然……あーッ、もう。っていうかさっさと髪の毛とクイーンルビーを青くしないと」


 スカイはプロペラ音を耳にすると同時に、視界に一機の航空戦闘機を見つけた。空賊ガールズハウスが操る、リトルプリンセスだ。

 白とピンクの迷彩柄の機体から紐が垂らされ、白いビキニアーマーを着た女性が一人、マシンガンを片手に降り立ってくる。


「起きてっかァ、スカイのババア?」

「何よゴリ。朝っぱらから何の用よ?」

「もう昼間なんだけどなァ。それはいいとして」


 ポニーテールリングを揺らしたゴリは、マシンガンを肩に担ぎ、鼻で笑ってみせる。


「ヨハンをマジで奪い返せるたーなァ。ま、テメーを落とすのはアタイらだ。あれくらい勝ってもらわねーと、張り合いがねーってもんだ」

「何よ。わざわざそんなこと言いに来た訳? ってか、なんでここが」

「いざとなったら割って入る気満々だった癖にっす」

「ここを知ったのだって、ちゃんと帰れたのか見守ってたからで」


 空からミラとケイテの声が聞こえた気がしたが、舌打ちをしたゴリが即座にマシンガンを宙に向かって乱射したので、すぐに聞こえなくなった。

 そんな様子を見て、スカイは顔を緩ませる。


「アンタらのお陰よ、ありがと」

「うっせェんだよ、このババアが」


 そっぽを向いたゴリは、素直に受け取ろうとはしなかった。スカイはそれでいいと思った。こいつはこのくらいで十分だと。


「んじゃ、カネの話にすんぞ。おら、寄越せよ」

「はい?」


 唐突に話題を変えたゴリに対して、スカイは間抜けな声を上げる。


「何すっ呆けてんだァ? カネだよカネ。アタイらを雇った分、とっとと出せや」

「何言ってんのよ? アタシ、仕事する機会をあげるとしか言って」


 そこまで口にした際に、スカイははたと思い出した。確か話を持ち掛けた際にリーナ辺りが渋ったので、金もくれてやるからと説得したことを。


「あー、ね。そう言えばそんなことも、あったわねぇ」

「目ェ泳いでんぞ、ババア」


 ゴリが半目で睨んでくるが、スカイは視線を合わせることができない。彼女らに払える現ナマがないからだ。

 元は用意していたのだが、クイーンルビーの再塗装に思った以上にかかってしまい、手元に残しておく筈だった分は吹き飛んでしまった。


 時系列的にゴリらに依頼、再塗装を検討、見積もり上乗せ、支払いという順であり、支払いの際には彼女らへの報酬のことをすっかり忘れていたのだ。


「いーからさっさと出せよ。こちとら慈善事業じゃねーんだぞ」

「そ、そうね。ま、まあ、金については、おいおい」

「アァ? おいおいだァ?」


 ゴリの眉間がしかめられた時、車の音が聞こえてきた。

 二人が振り向くと、丸みを帯びた車体を持つ銀色の車、エアフローが到着したところだった。


「スカイ姉さんっ!」


 停車してすぐに飛び出してきたのは、金色の髪の毛を揺らしたミヨだった。スカイを見つけるや否や、彼女目掛けて飛びついていく。


「ありがとう、スカイ姉さん。ヨハン君を助けてくれて」

「ミヨちゃんこそ、色々教えてくれてありがとうね。ってか、わざわざそれを言いに来てくれたの? そもそもなんでここが」

「人の噂に戸は建てられませんからね。その気になれば、調べられます」


 続いて現れたのが、いつもの白衣にフレームレス眼鏡の長身男、ランバージャックである。彼の言葉から、スカイは彼が持つファミリーによってここを見つけられたことを知った。


「それに用があるのは私の方です。ミヨさんはおまけです」

「えー、ランバージャックさんひどーいっ!」

「着いていくと聞かなかったのは貴女でしょう? それよりもスカイさん。昨日のデータをください」


 ミヨには弱そうだが、ランバージャックの調子はそのままだった。

 そう言えば彼もデータが欲しいのどうのと向こうの屋敷を出る前に言われていた気がすると、スカイはまた思い出していた。


「や、やばいよ姉御~。空軍のゲオルクの音が~ッ!」

「ああァッ!?」


 新たな登場人物で隅に追いやられていたゴリが、空から聞こえたエマの言葉に声を荒げている。

 スカイも耳をすませてみれば、ゲオルク特有の甲高いエンジン音が遠くから聞こえるような気がした。彼女の背中に嫌な汗が流れる。


「な、なんで空軍が、ここに?」

「もちろん、ランバージャック君の後をつけていたからだよ」


 スカイの疑問に答えたのは、その場にいる誰でもなかった。外から投げかけられた言葉に、一同が振り返る。

 姿を現したのは、白髪交じりのオールバックを携えたドリストンであった。周囲には、軍と思われる兵士が構えている。


「彼の姿を式場で見て、合点がいったよ。軍以外でゲオルクの整備ができる人間なぞ、限られている。網を張るのは造作もないことだ。そう簡単に逃げられると思ったのかね?」

「なるほど、道理ですね」

「納得してんじゃないわよ、この原因ッ!」


 すっ呆けているランバージャックに怒鳴り声を入れた時、スカイはこの周辺が既に囲まれているであろうことを予想した。大将にまで上り詰めたこの元クソ上司が、その辺に抜かりがある訳がない、と。


「あーったく、さっさとカネ寄越せやババアッ! 時間がねーぞォッ!?」

「それよりも早くデータをください。検証したいことがあるので」

「昨日は見逃してあげたが、今日はそうはいかないよ。さあ、観念して空軍に戻ってくるんだ、マグノリア君」

「    」


 ゴリの恫喝、ランバージャックの催促、ドリストンの最後通告に、スカイは言葉を失うばかりである。

 金は払えないし、データを渡している場合ではないし、古巣に連れ戻されるのなんて真っ平ごめんだ。


 そうなると、彼女の取るべき行動はただ一つだ。


「逃げるわよ、クイーンルビーィッ!」


 傍にあった愛機に乗り込み、急いでエンジンを点火させることだけである。フルフェイスヘルメットを被ってクイーンルビーを起動させると、心なしかいつもより早く飛び立つ準備が完了する。


「あっ、逃げんなババア、テメー、ゴルァッ!」

「待ってください。どうしてゲオルクがそんなに早く起動したんですか? 調べさせて欲しいです」

「ほう、飛ぶか。だが今日の包囲網は、昨日とは一味違うぞ? 逃げ切れると思わないことだな」


 三者三様の反応だが、スカイは誰にも応える気はない。

 彼女が声をかけるのは、一人だ。


「ミヨちゃんッ! またケーキ食べに行きましょうねッ!」

「えっ? あっ、うん」


 状況の変化についていけず、ぼけーっとしていたミヨだけである。

 言いたいことを言い終えた後で、スカイはクイーンルビーを垂直離陸させた。


 浮き上がった機体は一定高度まで達した時、彼女の視界に無数の航空戦闘機が映る。ドリストンの言っていた、軍の包囲網だ。


「昨日より多いじゃないのーッ!」


 スカイは泣きながら操縦桿を倒した。クイーンルビーが全速前進する。

 飛び交う数多の航空戦闘機の合間を縫って、彼女は真紅の機体で飛んだ。


 飛んで、飛んで、飛び続けた。

 絶対に捕まりたくなかったから。


「なんでこうなるのよーッ!?」


 声を上げたスカイは、空へと逃げた。

 繰り返しにはなるが、今日も快晴である。雲一つありはしない。


 群青色の空は、駆け抜ける真紅のゲオルクとスカイのことを、いつまでも見ていた。

 例えそれが、どんな様であろうとも。


 空だけがずっと、彼女のことを見てくれているのだから。

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