真紅の拒絶と空に幸せを


 親子の姿を目で捉えながら、スカイは表情を緩める。

 敵意も何もない、親交の笑みであった。


「アンタこそ、本物の貴族ね。アタシ、初めて見たわ」

「ずーッ! あ、あらあら。これは失礼しましたわ」


 鼻をすすったドロシーは、セメタスと離れてからハンカチで目元を拭く。その後に気を取り直すと言わんばかりに、スカイの正面に立った。二人の距離は、おおよそ一、二メートルだ。


「貴族ともあろう者が人前で涙するなど、お恥ずかしい限りですわ」

「そんなことないわよ。アンタはそれでいい、それがいいのよ」

「お褒めの言葉と受け取っておきましょう。改めて、宣言いたしますわ」


 するとドロシーはその場で、深々と頭を下げる。


「わたくし、ドロッセル=ファランドールは決闘裁判での負けを認めますわ。また、決闘後の行いについて、謝罪いたします」

「すまなかった」


 ドロシーに続いたのは、セメタスだった。彼もまた、深々と頭を下げている。


「私からも謝らせてくれ。こんなに歳をとっておきながら、娘がいなければ道を踏み外していたような愚か者だ。おい、ヨハン君を離してやれ」


 セメタスの言葉によって、ヨハンは解放された。たたたっと走ってくると、彼はスカイの後ろへと回り込む。

 戸惑ったような表情を見せている幼い彼に対して、親子二人は再度頭を下げていた。


「「誠に申し訳ございませんでした」」

「どうする、ヨハン?」

「……いいよ、もう」


 スカイが笑みを浮かべながら尋ねると、ヨハンは顔を背けながら素っ気なくそう言った。


「それくらい、気にしてないから、さ」

「良い男ね、ヨハンは」

「べ、べつにっ!」

「で、では~。改めまして、証人として宣言いたしますにゃ~ん」


 恐る恐るタイミングを見計らっていたネフィが、ここだと言わんばかりに声を上げた。証人をやらされた彼女からしたら、仕事をしない訳にはいかない。


「勝者、マグノリア=アルスカーレット~っ!」


 ネフィの高らかな声と共に、周囲からは拍手が沸き起こった。

 誰も彼もが先ほどのドッグファイトと、終わってからの謝罪と許しに、敬意を払っている。最早スカイのことを、指名手配犯だとは思っていないのではないか、と思えるくらいであった。


「いやいや素晴らしかった。とてもいいものを見せてもらったよ、マグノリア君」


 その中から一人、前に出てきた人物がいた。白髪交じりのオールバックに、手下を二人従えた黒い軍服姿の壮年の男性、ドリストンだ。

 スカイが目を細める。


「あら来てたの、ドリストン大佐」

「もう大将だよ、マグノリア君。相変わらず美しい髪だ、君は変わらないね」

「ありがと、大佐。そのセクハラ発言、アンタも相変わらずね」


 言葉だけで見れば軽い調子であったが、二人の間に流れている空気は全く軽いものではない。

 一触即発、触れたら破裂してしまいそうなギリギリの風船であるかのようである。


「そうだ、君に謝罪しなくてはな。見せてもらったよ、君の本気を。あれこそまさに英雄(イレギュラー)だ。君の報告に、嘘はなかったんだね」

「あっそ。だからって尋問ばりの取り調べを受けたこと、チャラになるなんて思わないことね」

「ではこれでチャラにならないかな? 君を再び、アルタイル国空軍へと復帰させてあげよう。指名手配も解除しようじゃないか」


 ドリストンの言葉に、周囲にはどよめきが走った。

 彼は現アルタイル国空軍の大将だ。


 その口から放たれる意味の重さを、誰よりも理解している。

 その上で、彼は言い放ってみせた。


 不特定多数の人間がひしめく観衆の中という、言い訳の効かない状況にて。


「本気?」

「本気も本気さ。君の力は、我がアルタイル国に必要だ。ゲオルクを持ち逃げしたことは確かに重罪だが、それ以上に君が必要なんだ。私が取りなしてあげよう。階級は大佐なんかいかがかな? 何ならマスコミにも大々的に伝え、イメージの回復もしようじゃないか」


 大盤振る舞いのてんてこ舞いと言える程のドリストンの提案である。

 しかも、彼は本気だ。


 かつて下で働いていたスカイには、それが分かる。彼はこのような冗談を言う人間ではないと。


「どうかね?」

「…………」


 あとは君次第だと言わんばかりに、ドリストンはニヤリと微笑んでみせる。

 周囲の人間の誰もが固唾を呑み、英雄(イレギュラー)のスカイを見守っていた。ヨハンが、ドロシーが、セメタスが、その他大勢が、彼女の次の言葉を待っている。


 しかし、彼女は沈黙するばかりであった。


「お、おばさん、これ」


 たまらずに、ヨハンが声をかける。

 スカイはずっと厳しい目つきのまま、真っすぐにドリストンを見ていた。彼の声など、聞こえていないかのように。その所為で、彼は次の言葉が紡げなかった。


 ――受けるしかないよ。ここまで言われて引き下がったら、それこそ何をされるか分からない。受けなければ犯罪者扱いは変わらない。相手は軍のトップだ。実力行使に出れば、アルタイル国空軍を丸々相手取ることになる。それはもう、ただの自殺行為だよ。

 ――今なら、今だけなら許してもらえる。過去のことを水に流し、地位を保証して、世間への印象操作だってしてくれる。断る理由がないよ、と。


 幼いながらに聡明な彼は、状況を正確に理解していた。彼の想定は正しかった。そしておそらく、その場にいた誰もが感じ取っていたことだ。

 もちろん、当の本人である紅の彼女も。


「……ドリストン大佐」


 少しだったのか長い間だったのか、沈黙していたスカイが口を開いた。

 誰もが彼女の次の言葉を待つ中、呼ばれたドリストンは軽い調子で笑ってみせる。


「ハハハ、大将だよ。その当てつけのような呼び方も、軍に戻るのなら許してあげよう。さて、いかがかね、真紅の英雄スカーレット・イレギュラー君?」

「さっきの話、全部お断りするわ。残念だったわね」


 ニヤリと笑い返したスカイの言葉の後に、場に一気に緊張が走った。

 何を言ったんだ彼女は、死ぬ気か、と各所からボソボソと話す声が聞こえる。動揺していたのは、傍らにいたヨハンも一緒だった。


「お、おばさんっ!? 何を言って」

「アタシは一人の男との約束を果たしにきただけよ」


 ヨハンの言葉を遮って、スカイは力強く言い放つ。傍にいたヨハンの肩に手を回し、彼を抱き寄せた。

 当の彼は面を食らったかのように目を見開き、一気に顔を赤らめている。


「地位だ、免罪だは知ったこっちゃないわ。捕まえたければ、いつでもかかっておいでなさい。まあ、アンタら程度にアタシが捕まる訳ないけどね」

「…………」


 強気なスカイの言葉に、表情を変えないままドリストンが黙っている。観衆は火が付いた導火線を見ているような気分であった。

 燃え進んでいく火花の先にあるのは、間違いなく爆弾だ。それもこの辺り一帯など、簡単に吹き飛ぶレベルの大爆弾だ。惨事は免れない。


 事になる前にこっそりとその場を後にしようとする者がいる中、導火線は思ったよりも早く到達した。


「ハッハッハッハッハッハッハッハッ!」


 ドリストンが大口を開けて笑ったのだ。愉快痛快と言わんばかりのその調子に、周囲は度肝を抜かれる。

 唯一動じていないのは、スカイだけであった。


「そうだそうだ、つまり君はそういう奴だったな。ああ、ああ、忘れていたよ。これだから歳は取りたくないものだな」

「あらあら。天下のドリストン大佐ともあろう者が、もう更年期障害かしら?」

「大将だよ。安心しろ、医者にはこんな健康体見たことないと言われるくらいの身体だからね……行きたまえ」


 軽口の後で、ドリストンは手の平を上にして右手を差し出していた。どうぞご自由に、と言わんばかりだ。


「君の愉快さに免じて、今ここだけは勘弁してあげよう」

「どうせ空には包囲網を敷いてる癖に」

「もちろんだよ。勘弁してあげるのは、今ここだけだからね」

「行くわよ、ヨハン」


 スカイは楽しそうなドリストンを一睨みすると、ヨハンを促して操縦席へと乗せていく。言葉の通り、彼は全く邪魔してこなかった。


「マグノリア君」


 いよいよ飛ぶぞ、となったその時、ドリストンがまた声をかけてきた。


「また会おうじゃないか」

「二度と御免よ、ドリストン大佐」


 吐き捨てるようにそう言った後、スカイはクイーンルビーを垂直離陸させた。


「……まあ。もう一人、いるからね」


 誰にも聞こえない声でそう呟いたドリストンは、一瞬だけチラリとドロシーの方を見ていた。

 ゆっくりと機体が上昇していく中、一連のやり取りを見ていたセメタスは不安そうな顔を浮かべている。


「大丈夫なのか、彼女? 見ろ、いつの間にか軍の飛行機がこんなにも集まってきている。こんな中で、逃げられるのか?」


 首を振ったセメタスの視界に映るのは、アルタイル国の国旗を掲げた空軍の飛行機の姿だ。中には独特な甲高いエンジン音も聞こえてきており、ゲオルクまで持ち出されていることが伺える。

 その場で見逃してもらったからと言って、ここから逃げるヴィジョンが彼には全く思い浮かばなかった。


「心配ないでしょう」


 対して、彼の娘であるドロシーの口調には信頼があった。本気で戦った相手だからこそ分かるものが、彼女にはあったのだ。


真紅の英雄スカーレット・イレギュラーともあろう者が、この程度で捕まったりはしないでしょう。それに、援軍もあるみたいですし」

「は? 援軍?」


 セメタスが娘の言葉に首を傾げた際に、遠くの方から別のエンジン音が聞こえてきた。


「オラオラオラオラァッ! ガールズハウスのお出ましだーァッ! んだこりゃァ、空軍の食い放題かァ?」


 白とピンクの迷彩柄に塗装された航空戦闘機、リトルプリンセスに乗った空賊、ガールズハウスの一団だ。助手席から身を乗り出していたゴリが、周囲を徘徊している空軍を見て楽しそうに笑っている。


「さっきの四色団子じゃ食い足りなかったからなァ。もうひと暴れさせてもらうぜェッ!」

「姉御ーッ! こんな数の空軍なんか無茶っすよーッ!」

「うっせェッ! 女は度胸だ、ヒヨってんじゃねーぞテメーらァッ! 飛ばせケイテッ!」

「はいよッ!」


 機内で弱気になっていたミラをゴリが怒鳴りつけた後、ケイテは操縦桿を捻って迷わず空軍の網へと飛び込んでいった。

 現れた空賊の相手に機体が割かれ、張っていた網にほころびが生じる。


 その隙を見逃す程、真紅の英雄は甘くはなかった。


「恩に着るわ、ゴリ」

「んなもん着てんじゃねーよ。女ならもっと洒落たもん着てみせろや、このババア」


 すれ違い間際に軽くやり取りをした後で、クイーンルビーは紅の機体を翻して包囲網を抜け、群青色の大空へと飛び立っていった。

 後から後から空軍の飛行機が大挙して追跡していく中、会場に残っていたドロシーは大空に向かって口を開く。


「ごきげんよう、お空。貴女の空に、幸あらんことを」


 かかっていた雲はなくなった群青色の大空へと、彼女の呟きは解けていった。その日はいつにも増して、快晴であった。

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