父娘の絆と真紅のお礼
胴体側面の推力偏向ノズルによって垂直着陸をしてきたクイーンルビーは、地上にいた人々から拍手でもって迎えられた。誰も彼もが見たこともなかったようなドッグファイトを制したスカイに対して、尊敬と労いの意を表していたのだ。
完全に降り立ち、コックピットを開けたスカイがフルフェイスヘルメットを取り払う。操縦席を降りた彼女の真紅の長髪が風に靡いた時に、決闘の証人であったネフィが高らかに宣言した。
「決着にゃ~ん。勝者、
「ちょォォォっと待ったァァァッ!」
猫耳を揺らしたネフィに、割って入る者がいた。
セメタスだった。
彼が続け様に声を荒げると、迷彩服姿の屈強な兵士が現れる。十数人いる彼らはマシンガンの銃口をスカイへと向けたまま、クイーンルビーを取り囲むようにして配置についた。
「なんのつもりかしら?」
「何もクソもないだろう。お前のような犯罪者如きに、我がファランドール家は潰させん。決闘は無効だ。このままお縄につくんだな」
目を細めたスカイに対して、セメタスは引きつったような笑みを浮かべている。
「貴族ともあろう者が、法的に認められた決闘裁判をちゃぶ台返しするって言うの?」
「何を言っている? お前はゲオルクを持ち逃げした犯罪者じゃないか。法を破って償ってもいない者が、法を守ろうだなんて片腹痛いわ」
「アンタ。最初から決闘を守るつもりなんてなかったわね?」
鋭いスカイの言葉に腰が引けながらも、セメタスは引かない。
「あ、当たり前じゃないか。犯罪者と取引するのは、同じ犯罪者だけ。私達は身の潔白がある市民だ。お前と取引するつもりはない。お前にするのは、要求だけだ。このように、な」
セメタスが指をパッチンと鳴らすと、一人の兵士が幼い男の子を連れてくる。
「は、離せ、このっ」
「ヨハンッ!」
スカイが声を上げた。連れられていたのは、ヨハンだったのだ。
タキシード姿であった彼は今、ガタイの良い男性に羽交い絞めにされて、身動きが取れなくなっている。彼はバタバタと抵抗しているが、全く効果はないようであった。
「ヨハン君は渡さない。彼は娘と結婚して、ファランドール家の一員として生きていくんだ」
「させないわッ!」
「おっと、動くなよ? ヨハン君はこちらにあるんだからな」
瞬時に臨戦態勢に入ろうとしたスカイだったが、セメタスの声に遮られた。彼がひょいと手を上げただけで、兵士の一人がヨハンへと銃口を向けたからだ。彼女の動きが止まる。
「……堕ちたわね、セメタス=ファランドール」
「なんとでも言え。指名手配犯を捕まえたとなれば、我が家は更に称えられるだろう。ファランドール家の勲章の一つになれ、
「お父様ッ!」
スカイが吐き捨て、セメタスが口角を上げた時、空から違う女性の声がした。黒い落下傘で降りてきたドロシーであった。勝ち誇っていた彼の顔に歓喜が満ちる。
彼女が降り立った時、彼は陽気な声をかけていた。
「おお、無事だったかドロシーッ! 戦いは残念だったが、まあ後は私に任せておけ。見ろ、遂に
得意げになっているセメタスは、ツカツカと歩いてきている愛娘の表情に気が付かない。
喜びなど一切宿していない、不機嫌そうなドロシーの顔に。
「犯罪者との決闘なんざ、なかったことにしてやったさ。これでお前の負けも」
「失礼ッ!」
「ふげふッ!?」
セメタスの真正面に立った時、ドロシーは父親の顔面をビンタで張り飛ばした。
左頬を殴り抜かれた彼の首は、右向け右を強制される。
「わたくしにはお爺様から受け継いできた誇りがあります。貴族としての、気高き心がッ! その心がある以上、決闘を有耶無耶にするこのようなやり方は断じて認めませんわッ!」
娘にぶたれたことのなかったセメタスがあんぐりと口を開けている中、ドロシーは右手を自分の胸に当てて声を荒げている。
「し、しかしだな、ドロシー。お前だって分かっているんだろう? これが破談になったら、ファランドール家はおしまいた。ならば例え犬畜生の誹りを受けようとも、家の為には」
「いいえ。まだファランドール家は終わりではありません。一つ駄目ならば他のやり方を探すまで。わたくし達は、まだ戻れます。お爺様が教えてくださったんです」
父親の言葉を遮ったドロシーは、セメタスの目の前に左手で鈴を突き付ける。かつて彼を呼んだ、銀の鈴を。彼女はそれを揺らした。
「空の戦いで行ってはいけない一歩を踏み出そうとした時に。この鈴が、お爺様が止めてくださいましたわ。この音がなければ、わたくしは廃人同然になっていたかもしれません。わたくしは立ち止まれたのなら、お父様だって止まれる筈。この鈴の音を、思い出してくださいまし」
チリーン、チリリーンと涼し気な音が鳴る。
セメタスは何も言わずに、それを見ていた。
「今まで大変だったことは、よく存じておりますわ。その為にお父様が、どれだけの苦心をなされていたことも……だからこそ、この鈴で呼ばせていただきます」
セメタスの頭の中に思い出されるのは、自身の父でありドロシーの祖父であったアルベルトと過ごした日々である。
この音が鳴った時、よく二人して彼女の部屋に飛んで行ったことを。
苦しくも、忙しくも。笑顔の絶えなかった、そんな日々を。
「あの頃のお父様、わたくしや家の為に正しく努力されていたお父様。わたくしが大好きだった、お父様。どうか、どうか」
いつの間にか、ドロシーの瞳には涙が浮かんでいた。彼女は顔を伏せ、涙ながらに訴える。
「わたくしの元に、戻ってきてくださいまし」
大好きな自分の父親が、戻ってきてくれることを信じて。
決心だなんて言って顔を背けていたあの頃に、また戻れると信じて。
ドロシーはただただ鈴を鳴らし続けていた。
「…………」
その場にいる誰もが声を出せない中、セメタスもただただ銀の鈴を見て、その音を耳にしていた。彼の瞳は揺らいでおり、傍から見ても動揺していることが手に取るレベルで分かるくらいだ。
やがては目線を落ち着きなく周囲へと散らし、それでも銀の鈴をチラチラと見て。項垂れ、空を仰ぎ、もう一度項垂れた後で。
「ずずーッ!」
セメタスは思いっきり鼻をすすった。ドロシーが顔を上げると、そこには自分と同じようにうつむいたまま、肩を震わせて涙をこぼしている父親の姿があった。
「すまん、ドロッセル。本当に、すまん。こんな、情けない、父親で、本当に。お前がいなければ、私は、大切なものを、失う、ところ、だった。ずずーッ!」
「……いいえッ!」
耐え切れなくなったドロシーは、鈴を持ったままセメタスへと抱き着いた。
彼女が抱きしめると、彼も負けじと彼女を抱きしめる。
「そこで踏みとどまれるのが、わたくしのお父様ですわ。お帰りなさい、お父様」
「ああ、ただいま。ただいま、ドロッセル。今、帰った、よ」
セメタスとドロシーの親子は泣いた。
人目も憚らずに、泣いた。
その姿を見た兵士たちは、銃口を下ろし始めていた。
最早戦うことはないのだと、分かってしまったからだ。
「もう一度、言わせて。本当にアンタと戦えて良かったわ、ドロシー」
中心にいたスカイが、彼らへと少しだけ歩み寄る。
彼女もまた、肩の力を抜いていた。
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