覚醒の代償とついた決着
動いたのはドロシーだった。いや、正確に言えば、動かされたのが彼女だった。
「――あッ!?」
世界の全てがクリアに見え、自分より更にその上から俯瞰しているかのような感覚で飛んでいた矢先に、突如として訪れた凄まじい頭痛に、彼女は顔をしかめて目を閉じてしまう。
「あ、あ、あああああああああああああああああああああッ!?」
二度と離さないくらいの勢いであった操縦桿は放置され、ドロシーはフルフェイスヘルメット越しに頭を抱える。しかし、航空中には外せない。
兎にも角にも痛みから遠ざかろうと、目をギュッと閉じたまま、大口で叫びながら首を振り、足をバタつかせていた。
何も考えられない、何も感じない。
素手で脳みそを捻り込まれたかのような鋭い痛みが、彼女の認識を塗りつぶしていく。
当然、操縦を手放されたシルバーベルは、振動であちこちに動く操縦桿の手前勝手によって空中での制御を失い、墜落を始めていた。
錐揉み状に回転しながら、機首から海へと突進していく。
『――ってっ!』
「ッ!?」
不意に、誰かの声が聞こえた。
ドロシーは目をカッと見開くと、両手で操縦桿を握りしめて思いっきり引っ張り上げる。直後、落下していたシルバーベルが態勢を立て直し、海面ギリギリでエンジンを爆発させて再び飛び上がった。
海水が割れるかのように左右へと舞い上がり、水面すぐ上に薄っすらとした虹をかける。
「い、痛い。痛い、ですわ。ああ、あああっ」
再び飛んだドロシーだったが、未だに頭痛に悩まされていた。
指をこれ以上曲げたら折れる、折れたら二度と元には戻らない的な身体的恐怖が襲い掛かってくる。この状態を続けたら、取り返しのつかないことになると、生存本能が叫んでいた。
「し、しかしッ!」
ドロシーはそれを無視して、痛みの中で目を見開いた。
痛む頭にクリアな視界が広がっていく。
「負けません。わたくしは、負ける訳にはいかないのですわッ!」
何処だ、紅い彼女は何処へ行った。頭の痛みが目にまで広がってくる中、ドロシーは歯を食いしばって探し続ける。
「ファランドール家の為に、お父様とお爺様の為に。もう二度と、あんな後悔をしない為に。わたくしは、例えこの身が醜く散ろうとも。負ける訳にはまいりませんの。わたくしの家族の、家を、潰しません、潰したくありませんわッ! わたくは負けない。負けない、負けない、負けない、負けな」
――チリーン。
うわ言のように繰り返していたドロシーは、言葉を切った。
切らざるを得なかった。
涼し気な音が、懐かしい音が、耳に届いてしまったのだから。
――チリリーン。
再び鳴った時、彼女はその正体を知ることになる。機内で舞い上がり、前を見ていた彼女の視界に右側から飛び込んできたのは銀の鈴だった。
先ほどまで左腰につけていて、戦いの余波で外れていた、彼女の決意の依代だ。
フロントガラスに当たり、操縦桿の横を掠め、時には彼女のフルフェイスヘルメットに直撃し続けた結果、鳴らないように内側で留めていたブラックテープが剥がれ落ち、固定されていた
放物線を描いて右から左へと飛んでいく銀の鈴から、彼女は目が離せなかった。
「お爺、様?」
ドロシーは祖父の顔を思い出していた。鈴の音は彼女の心をも優しく揺らしていく。玉砕覚悟であった激情を、空へと散らしていく。
そんなことしなくてもいいんだよと、語りかけるかのように。
彼女の身が、彼女自身が、何よりも大切だと言わんばかりに。
「――初めてにしては、よくここまで保ったわね」
「ッ!?」
不意に響いた女性の声に、ドロシーは我に返った。戦いの最中であることを思い出したのだ。焦って周囲を確認してみても、紅い機体は確認できない。
しかし、痛む脳内に広がる視界は、その姿を捉えていた。
彼女は顔を上げる。真夏の太陽の中に、一つの黒い点があった。
「アンタも来たのね、この領域に。でも、今回はアタシがもらうわ。経験の差ね」
黒い点が、一気に大きくなっていく。それが太陽を背に、上空から急降下してきているクイーンルビーだとドロシーが気づいた時には、もう手遅れであった。
装備された二十五ミリ機関砲が放たれる。弾丸はシルバーベルの右主翼にあったジェットエンジンを撃ち抜いた。直後、機体の傍らをクイーンルビーが通り抜けていく。
「ドロシー。アンタと戦えて、本当に良かったわ。ありがと」
通り間際に敵機からかけられた言葉は、感謝であった。
撃ち込まれた弾丸はわずか二、三発だ。ジェットエンジンは爆発することなく機能を停止させ、シルバーベルはゆっくりと降下を始めている。
針が徐々に落ちていく各計器に目をやったドロシーは、未だに頭痛が収まらない中、ゆっくりと息を吐いた。
息と共に痛みが引いていく感覚がある。
どこかから『――さい』という声も聴こえたが、ドロシーはかぶりを振った。
「今回は、相手が一枚だけ上手であっただけのこと。貴方の所為ではありませんわ」
誰かに語り掛けるような口調になっていたことに気が付いたドロシーは、あら、わたくしとしたことが、と独り言を恥じるように口元に手をやる。
その後は自分より高い所を飛んでいく紅いゲオルクの姿を見て、もう一度、息を吐いていた。
「お見事ですわ、
機内に転がっていた鈴を拾い上げた後で、ドロシーは非常脱出用のレバーを引く。
決闘は、終わった。
「そ、そんな馬鹿な。わ、私の娘が……い、いや、まだだ。まだ終わらせてなるものか」
座席ごと飛び出した後で真っ黒な落下傘で降下している間、未だに先ほどの余韻が残っていたから、ドロシーは父親の呟きを聞いたような気がした。
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