二人目の共鳴と権力者の笑み
「だ、駄目。駄目、ですわ。わたくしでは、もう、勝つことは。ファランドール家の未来を、わたくしが、閉ざして……」
不意に、ドロシーが乗っているコックピット内に、何かが落ちた。クイーンルビーの位置を探ろうと首を振り続けている中で、ふと、彼女は視線を落とす。
そこに落ちていたのは、左腰につけていた鳴らないベルであった。
かつて祖父と、父を呼んだ、大切なベルである。
二度と鳴らさないと決めた、彼女の決意の証だ。
それが今、彼女の足元に落ちている。彼女の視線が、磨かれた白銀の表面を捉えた。彼女の目が見開かれる。
「……失礼ッ!」
ほんの一瞬だけ目を奪われた後に、ドロシーはフルフェイスヘルメットをフロントガラスへと叩きつけた。固いもの同士がぶつかった甲高い音が響き渡り、すぐに沈黙する。
振動が自身の頭を揺らす中、彼女はゆっくりと両手で操縦桿を握り直した。
「わたくしは、ドロッセル=ファランドールですわ」
ドロシーは目を閉じたまま、一人で呟いている。俯き加減の今は、周囲を全く見ていない。
そのままであれば飛行が単調になり、スカイによってあっという間に撃ち落とされてしまいそうなものであったが。彼女が握っている操縦桿は、絶え間なく動き続けていた。
まるで、見ていないのに、見えているかのように。
「我が偉大なる祖父、アルベルト=ファランドールの孫。現、ファランドール家が当主、セメタス=ファランドールの一人娘であり、次期ファランドール家の当主。それがわたくしですわ。何を弱気になっているのです。わたくしはあの日、誓ったではありませんか」
被っているフルフェイスヘルメットから、何かが流れ込んでくる。不思議な感覚がドロシーの身体に満ちていき、手足の先がシルバーベルと一体化していくような感覚を覚えた。
初めての筈であるのに、どこか懐かしい。
「お爺様に恥じない貴族になると。お父様の為にこの身を捧げると。代々続くファランドール家の一人として、家の為に飛ぶのだと。わたくしは、こんなところで終わりません、終わらせませんわ。例え相手が本物の英雄であろうとも……わたくしは、負ける訳にはいきませんのォォォッ!」
『……いで』
ドロシーの中の執念が極限まで高まった時、かすかに誰かの声を聞いた。
彼女の身体は機体と一つになった。
目を開けた彼女の視界はクリアなものであり、複数の瞳で見た周囲全ての映像が一つにまとめられたかのように見える。クイーンルビーの位置も、結婚式会場も、自分も、シルバーベルも、何もかもが。
行ける。
そう確信した彼女が次のステージへの扉を開く、最後の言霊を唱える。
誰かの声と一緒に。
「『共鳴覚醒(レゾナンス)ッ!』」
直後、シルバーベルの動きが一変した。
・
・
・
会場で空を見ていた観衆達は、誰もが息を呑んでいた。
真紅のゲオルク、クイーンルビーと、漆黒のゲオルク、シルバーベル。二機のゲオルクのドッグファイトはある時を境に、その様相を一変させたからだ。
「な、なんなんだよ、あれ。両方とも、本当に航空戦闘機なのか?」
「こんな空戦、一生に一度しか拝めないぞ」
「飛行機じゃないみたい」
シルクハットを被った紳士が、炒飯を配膳していたコックが、招待されたヨハンのクラスメイトの子が、空を駆ける二機のゲオルクから目を離せないでいる。
コブラ、シャンデル、スプリットS、ハイ・ヨーヨ―、バレルロール等、互いにありとあらゆる空戦機動で空を駆けている。かと思えば急停止からの方向転換や、水平状態のままでの落下、直角に近い形でのジグザグの軌道等、時々は飛行機の性能を越えたかのような動きさえ見せていた。
青い空の下で、真紅と漆黒がぶつかり合っている。
「ら、ランバージャックさん。すごい、すごい、よ」
「ええ、凄いですね。これがスカイさんの真の実力。それに食らいつく彼女も、既存のゲオルクではあり得ない出力を出しています。興味深い」
長い金髪を風に揺らしながら、ミヨが口を開けている。その隣ではフレームレスの眼鏡を通して、ランバージャックが感心したかのような声を漏らしていた。なお彼の中には、それ以上の好奇心も芽生えている。
「行け、そこだドロシーッ! やれ、撃てッ! あー、惜しいッ! だが良かった、良かったぞーッ! お前ならできる、できるぞドロシーッ!」
少し離れた所ではセメタスが拳を握り込み、汗まみれになりながら愛娘の応援に精を出していた。その姿は娘を応援するただの良い父親であり、膨らんだ腹の中には何も抱えていないように見える。
戦いの熱意に当てられて、彼の中にあった企みや覚悟の何もかもが吹き飛んでいた。
「素晴らしい。ああ、素晴らしい」
誰も彼もが感心する声くらいしか出せない中、一人で拍手をしていたのがドリストンであった。白髪交じりの眉の下にある瞳には、歓喜の色が宿っている。
「何という戦いだ。まるで二頭の竜が互いを喰い合っているかのようではないか。これがゲオルクか、これが
ドリストンはずっと、スカイの戦果を信じていない部分があった。いくらゲオルクの操縦に優れているとはいえ、挙げた結果が規格外過ぎたからだ。
彼女が軍を脱走したことによって、その信ぴょう性が上がっていたことすらあったが、彼はその疑惑の全てを撤回した。
「信じよう。だが何故かね?」
一人、ドリストンは続ける。
「何故そんなことができる? 君は、いや、君たちは一介の
彼は立ち上がっていた。空を、彼女らをゲオルクごと抱くように両手を広げて、問いかける。
「知りたい。いや、知らなければならない。こんな力は、技術は、他国の諜報員からも報告がないからね。いずれは
ドリストンの顔には、恍惚にも近い表情が現れていた。
「必ずや君たちの秘密を暴いてやろう。さあ、存分に見せてくれ。我が国の希望の力を」
彼がそこまで言った時に、戦況が動いた。
ほぼほぼ互角の戦いをしていた最中、シルバーベルの動きに異変が起きたのだ。
戦いは、いよいよ最終局面を迎えることになる。
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