女王の紅玉と二度めの共鳴


 操縦桿を必死になって握りながら、スカイは頭を痛めていた。何とか飛ぶ方向を操ろうとするが、エンジンから放たれる勢いが凄まじ過ぎて、油断すると手を離してしまいそうである。

 握るのに必死になるばかりで行先を定めることができずに、制御できないクイーンルビーはあちらこちらへと飛び回るばかりであった。


 このままでは制御不能になり、いずれは墜落か激突へと発展するのではないか。そんな恐れが頭を過ったことで、彼女は更に急き立てられる。


「なん、だってのよ。ヨハン、っていうより、あのロリコン、眼鏡の、ってヤバ」


 スカイは目を見開いた。クイーンルビーの高度が下がり始めたのだ。

 流石に会場に落下するような最悪の事態だけは避けたい。それが避けられたとしての、亜音速で飛んでいる飛行機が地表の近くを通り抜ければ何が起こってしまうのか。


 彼女は考えるまでもなかった。


「こん、のォォォッ!」


 歯を食いしばって操縦桿を握り直し、何とか態勢を整えて上昇を狙う。幸いにして恐れていた事態にならない高度を保つことはできたが、それでも余波は酷いものだろう。

 会場の面々に心の中で平謝りをしつつ、上下を逆さまにした機体が会場上空を駆け抜ける、その一瞬。


「ヨハ、ン?」


 新郎席にいる幼い男の子が見えた。

 年相応の不安そうな顔で、申し訳なさそうな表情で、自分のことを見ていた。


 彼の口は、小さく開いていたようにも見える。


「……さい」


 見えたのは一瞬であり、警報とエンジン音がうるさい中では絶対に声なんて聞こえなかった。

 それでもスカイは、彼が何て言っていたのかが、分かってしまった。あの表情から来る言葉は、一つしかないからだ。


「……安心なさい、ヨハン」


 スカイは落ち着きを取り戻す。そもそも自分が何をしに来たのか、何故捨てた筈の昔を引っ張り出してまでここに舞い戻ってきたのかを、思い出したからだ。

 果たすべきなのは、彼との約束である。


「アタシはアンタが原因でなんか、負けたやらないわ。こんのォッ!」


 操縦桿を無理やり引っ張り上げると、機体が一直線に上昇していく。雲へと突入した時、スカイは静かに瞳を閉じた。


「聞こえてる、クイーンルビー? 随分とやんちゃしてるわね」


 スカイはゆっくりと、言葉を紡いでいく。


「はしゃいじゃってるのかしら? 悪いけど、お遊びはここまでよ」


 いつの間にか、フルフェイスヘルメットから不思議な感覚が降り始めていた。本来こちらから一方的に送るだけであった筈の竜玉ドラゴコアから、何かが流れ込んでくる。

 彼女が真紅の英雄スカーレット・イレギュラーと呼ばれるきっかけとなった、あの時と同じだ。


「アタシには果たすべきものがある。それには、アンタの力が必要なのよ」

『…………』


 それと同時に、スカイの手足にクイーンルビーの機体の感覚が重なってくる。首を振らなくても周囲全ての景色がクリアに確認できるようになり、主翼の先端に至るまで手に取るように状態を把握できる。


「かと言って。復讐だなんだでガツガツするのは、もうコリゴリよ。アタシは大人の女。そろそろ余裕を持っていかないとね」


 一度言葉を切ると、スカイは目を開けた。ちょうど雲を抜けたところだった。

 視界に飛び込んでくるのは、群青色の空のみ。


 彼女はその青さに、見覚えがあった。


「空はいつでもアタシ達を見てくれてる。だからいつも通り、クールに決めましょ。クイーンルビー」

『……わね』


 スカイには、声が聞こえた気がした。それが誰のものか考えるなんて、野暮だとも思った。

 操縦桿を握り直した彼女は、頭の中に浮かんだ言葉を自然と口にしていた。


 誰かの声と、一緒になって。


「『共鳴覚醒(レゾナンス)』」


 その瞬間。

 紅い彼女はゲオルクと一体化した。



 空高く上がって見えなくなったクイーンルビーに、ドロシーは怪訝な顔をすることしかできなかった。

 急に暴走したかと思ったら、いなくなってしまい。残された身としては、何をどうしたらいいのかが分からない。雲の向こうへと消えていってしまった時点で、彼女はため息をつくことしかできなかった。


「所詮は犯罪者崩れ、でしたのね。噂に聞く英雄様というものも、尾ひれが素晴らしかっただけなのでしょうか。決闘を反故にしたのであれば、罪も上乗せされて」


 そこまで口にしたドロシーは、言葉を切らざるを得なくなる。何故なら、ゲオルクのエンジン音が再び聞こえてきたからだ。

 彼女は顔を引き締めると、操縦桿を握る手に力を込めつつ注意深く上空を見やる。暴走状態のゲオルクが愛機に衝突してこないとも限らなかったからだ。


 もしくは、結婚式場へと墜落する恐れもある。その場合は、落下前に上空に撃ち落とすことも考えていた。

 様々な想定をしていた彼女が空を睨んだ時、真紅のゲオルクが雲を割って降りてきた。


「待たせたわね。さあ、再開と行きましょうッ!」


 しかし様子が更に変わっていた。こちらへ向けて飛び始めたクイーンルビーは確かに速かったが、暴走に翻弄されている様子がない。

 放たれたスカイの言葉と相まって状況を把握したドロシーは、機体を傾けて迎え撃つ形を取った。


「あら。一人遊びは終わりなので?」

「ええ、ホントにこのじゃじゃ馬には困ったものよね」

「貴女の愛機でしょう? 竜機兵ドラグーンの顔が見てみたいものですわ」

「じゃ、見せてあげましょうかッ!」


 互いに向かって直進しながら飛び、クイーンルビーとシルバーベルは機関砲と機関銃を撃ち合おうとする。


「ッ!?」


 直後、ドロシーに嫌な予感が走る。

 彼女は引き金から指を外し、回避の為に操縦桿を捻って機体を斜め下へと降下させた。


「あら残念」

「い、今そのままであれば。撃たれて、ましたわ」


 通り抜けたクイーンルビーからは、スカイの悠々とした声が響き渡った。

 ドロシーは返事をする余裕もないまま、首を捻って相手の位置を確認する。クイーンルビーは急旋回しており、すぐにでもこちらへ向かってこようとしていた。


 何故か、彼女は嫌な汗が止まらない。


「は、花びらがそう舞っただけですわ」


 ドロシーは機体を逆方向に急旋回させると、再度クイーンルビーへの突撃を敢行した。

 偶然だ、たまたま相手にとって上手くいっただけだ。風に揺蕩う花びらが、向こうに有利に舞い上がっただけなのだと、自分に言い聞かせるように呟いている。


「ここね」

「だッ!?」


 もう一度ぶつかり合おうとした際も、ドロシーは機体を降下させて回避を選んだ。嫌な予感が、再び彼女の身体を走り抜けたからだ。

 あのままぶつかっていれば、撃ち落とされていたと。


「よく逃げたわね。正解よ」

「チィッ!」


 以前の決闘の、あるいはこの決闘の最初期の激突では、ドロシーはそのような予感など覚えていなかった。むしろ肉薄することで自分が一撃見舞えるのでは、という期待感すら抱いた程だった。

 だが先ほどまでの二度の激突では、自分が落とされる未来しか見えなかった。


 避けなければ、確実に敗北していた。

 冗談にならないくらいの、実感があったのだ。


「だ、駄目ですわ。一度距離を取って」


 ドロシーが首を振った時、彼女の目に恐ろしいものが映った。

 クイーンルビーは横転して上下逆さまになるとそのまま逆宙返りをして、こちらを追ってきていた。スプリットSと呼ばれる、すれ違った相手を追う際の空戦機動だ。


 距離を置く暇など与えない。そんな声が、聞こえてきそうであった。


「は、爆ぜなさい、シルバーベルッ!」


 ドロシーは最大限の加速を行った。

 流れが悪すぎる、いっそのこと振り切ってしまおうとさえ考えていたからだ。


「逃がさないわよ」


 スカイの悠々とした声が聞こえてくる。ドロシーにまで、聞こえて、くるのだ。

 ギョッとした彼女が首を振れば、すぐ近くへと迫ってくるクイーンルビーの姿がある。全力で逃げている筈なのに、距離を縮められているのだ。


「ま、まだ。まだですわッ!」


 シルバーベルが動いた。横転と機首上げを同時に行い、螺旋を描くかのような軌道を取る。先ほどスカイが行った空戦機動、バレルロールだ。

 これで後ろを取ってやろうとしたが、クイーンルビーが急激に機首を上げて減速する。コブラだ。航行距離を伸ばして背後を取るバレルロールよりも、コブラの方が急停止する。


 空戦機動を終えたシルバーベルを、クイーンルビーが再度加速して悠々と追い始めた。


「やっぱアンタ、良い腕してるわ」

「そ、そんなッ!」


 ドロシーの声は悲鳴に近いものであった。

 先ほどまでであれば、まだ振り払えそうな程度であった。一度は油断こそあったものの、趣向を凝らし、熱意を持って迎え撃てば勝てそうな気がしたのだ。


 それがどうだ。今は全くと言っていい程、勝つヴィジョンが見えない。

 何をしても動きを読まれているかのような、あるいは見てからでさえ対応可能であるかのような勢いで追われ、真正面からの決戦を挑めば敗北は確実である。


「こ、これが真紅の英雄スカーレット・イレギュラーなんですの? 数十体の機械竜ドラゴロイドをたった一人で全滅させた、本物の英雄。こ、こんなもの勝てる訳が」


 逃げに全力を尽くしている為に、まだ辛うじて生き永らえている。しかしそれも、長くは続かないだろうとドロシーは見ていた。

 いずれは動きの癖を掴まれて先回りされるか、あるいは先のようにハイ・ヨーヨ―等の動きで一気呵成に攻め立てられる未来が、ありありと見えている。相手から遠ざかろうとして一発も撃っていない機関銃では、勝ちを拾うことができないのは当たり前だ。


 だが一念発起をしようにも、可能性が見出せない。

 彼女の内心に弱気な心が芽生える。

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