初戦の衝突と幼い彼の困惑
空に雲がかかり始めた頃。最初に後ろをとったのはドロシーだった。シルバーベルがクイーンルビーの後ろにつき、後を追う。
「紅い機体は青い空に映えますのね。是非とも、青い海に浮かべて差し上げたいですわ」
ドロシーは引き金を引いていた。二十ミリ口径の弾丸が、クイーンルビーを襲う。
「そう簡単に落とされて、溜まるかっての」
機体を回転させながら、スカイは右斜め下へと降下して回避する。続けて発射される弾丸の雨あられを、操縦桿をあっちこっちへと倒しながら避けていた。
「相変わらずいい腕ね。そろそろ行くわよ」
スカイが動いた。紅いクイーンルビーが、大きく左へと旋回していく。逃がすかとドロシーもシルバーベルの機体を傾け、左へと舵を切った。
その最中、クイーンルビーが突如として挙動を変えた。横転と機首上げを同時に行い、螺旋を描くかのような軌道を取る。バレルロールという名の空戦機動だった。
ギョッとしたドロシーの視界にて半円を描くように飛んだ紅い機体はその分航空距離が長くなり、後ろを飛んでいたシルバーベルが追い越してしまう。互いの前後が入れ替わった。
「後ろいただきッ!」
「お甘いこと。ステップ、ワン、ツー」
今度は後ろを取った。スカイがそう思った時、ドロシーがすぐにレバーを引いた。シルバーベルの両翼についたエンジンの噴射口が真下を向く。同時に機首が急激に引き上げられて、機体が九十度上に傾いた。
以前の戦いでも見せた空戦機動の一種、コブラだ。
シルバーベルが急停止に近い挙動をしたことにより、後を追っていたクイーンルビーは追い越してしまいそうになる。
「その手は食わないわッ!」
確認したスカイの手は早かった。同じくコックピット内部のレバーを引いた後に操縦桿を捻り上げ、機首が急激に上へと引き上げる。胴体側面の垂直離着陸用推力偏向ノズルが九十と五度まで傾き、急激に減速した。シルバーベルと全く同じ挙動だ。
二機のゲオルクが真上を向いたまま、空中で並んでいる。
「チィッ!」
すぐに態勢を戻したシルバーベルが、ドロシーの舌打ちと共に急発進する。その後を、同じく態勢を戻したクイーンルビーが追った。
「同じ手が通用するようじゃ、戦場では生き残れないわよ」
「同じ手を食らう羽目になってる時点で、負けてらっしゃるのではなくて?」
「死ななきゃ負けじゃない。生きてる限り、戦いは続くのよ」
「愚か者につける薬の、開発が急がれますわね」
口でこそ軽い調子であったが、ドロシーの額には汗が滲んでいた。
コブラ以外にも急旋回や、宙返りの頂点で機体を回転させて元の水平飛行に戻る空戦機動、インメルマンターン等を駆使して振り切ろうとするも、クイーンルビーは全く同じ挙動でもって後を追いかけてくる。
だがまだだ、もう少しで振り切れそうな手ごたえはある。彼女は次の挙動を考えて、思考を巡らせていた。
「こんなに出力が安定してるなんて。ヨハンに感謝しなくちゃ」
追いかけながら、スカイは視界の隅にあった部品にチラリと目をやった。
彼にもらった黒い機器は問題なく作動しており、クイーンルビーの一部となっている。複雑な空戦機動をすると出力が落ちていたかつてや、暴走しかけてつい先ほどと比べれば、安定感は雲泥の差であった。
「流れはアタシにある。一気に決めるわ」
前を飛ぶシルバーベルが右へと旋回した時、スカイはクイーンルビーを加速させつつ機体を上昇させた。かと思えば機体を右へと捻りながら宙返りし、天と地を逆さまにしたままで急降下を始める。ハイ・ヨーヨーと呼ばれる動きだった。
一度上昇を挟んで速度を落とすが、その後に降下する際に落下速度を加えて一気に加速する動きである。逆さまのクイーンルビーは、怒涛の早さで逃げるシルバーベルへと肉薄していく。
「これで決めるッ!」
「しまッ!」
スカイが勝利を確信し、考えがまとまる前であったドロシーが反射的に操縦桿を握りこんだ時、異変が起きた。
クイーンルビーが急加速したのだ。
「なァッ!?」
「な、んですの?」
加速を目論んでいたスカイでさえ、想像だにしない勢いだった。そのまま驚くドロシーを追い越して、クイーンルビーは加速し続ける。
「どうしたってのよ、このじゃじゃ馬ッ! 一体何が」
コックピット内に目をやったスカイは、すぐにその異変の元凶に気が付いた。異常な速度で機内が揺れる中、一つだけ赤いランプを激しく点滅しているものがある。
ヨハンからもらった、
・
・
・
観衆のほとんどが首を捻っていた。彼らの上空で撃ち合っていたクイーンルビーとシルバーベル。クイーンルビーが後ろを取ってからは、見事は機体捌きによって逃げるシルバーベルに食い下がり、ハイ・ヨーヨ―の動きによって一気に迫った筈だった。
決まったと、誰もがそう確信したのに、クイーンルビーは不意の急加速を見せた。撃たずにシルバーベルの横を通り過ぎていった後は、胴体後方部に白い雲さえ携えている。速度がマッハを越えた際にベイパーコーンと呼ばれる現象だ。
撃たなかったな、余裕のつもりか、とあちこちから声がする中で、新郎席に座っていたヨハンは顔を強張らせていた。
「お、おばさん?」
クイーンルビーは異常な速度のまま、会場上空を旋回している。時折舵が効かないのか、変な挙動を見せており、そのままいなくなってしまうのではないかと思われるくらいであった。
ヨハンはその動きを見て、唾を飲み込んでいる。
「ま、まさかぼくの」
「突然すみません。ちょっとお伺いしたいのですが」
「うわぁっ!?」
いつの間にか、ヨハンの傍らには背の高い白衣姿の男が立っていた。フレームレスの眼鏡の向こうにある細い瞳が、彼を真っすぐに捉えている。
「先ほどスカイさんに渡していた装置。あれについて詳しく教えていただけませんか?」
「えっ? あの。お兄さん、誰?」
「もー、ランバージャックさんったらーっ!」
続けてヨハンの耳に聞き慣れた女の子の声が響いてきた。人混みからぴょこぴょこと金色のアホ毛が見えていると思ったら、その合間を縫って金髪の女の子がやってくる。
クラスメイトのミヨであった。
「いきなり質問したら駄目でしょ? ちゃんと自己紹介して」
「ランバージャックです。それで、先ほどの装置についてですが」
「だーかーらーっ!」
本当にしょうがないんだから、と言わんばかりのミヨが間に入ったことで、ヨハンとランバージャックは自己紹介を済ませることができた。加えてヨハンは、自身が作成したゲオルクの装置についても、出力を安定させるものであるという詳細を話した。
専門用語が並び、ちんぷんかんぷんな様子であるミヨを差し置いて、ランバージャックは更に目を細める。
「なるほど、そういう装置でしたか。元はヤコブさんの機器を応用したものとはいえ、そのお歳でそこまで製作できることは感心すべきことです。ですが、それが裏目に出ていますね」
「えっ?」
賞賛の言葉の後に続けられた裏目という単語に、ヨハンの背筋に冷たいものが走る。目を見開いた彼に対して、ランバージャックは続けた。
「私の装置はムラを増幅させるものです。一方で、貴方の装置は出力を一時的に装置内に溜め込んで分配し、安定化を図るもの。今のクイーンルビーの挙動を見る限り、貴方の装置が私の装置で増幅されたエネルギーを溜め込み切れなくなって一気に放出された、と見るのが妥当でしょう。装置自体の完成度も、歴の長い私の方が高いでしょうし」
「そ、そんな」
「このままではいずれ制御ができなくなり、海や山で突撃しなければ止まらない、といった可能性もありますね」
淡々とした説明を聞いたヨハンは、視線を落としてしまう。自身の中に渦巻くのは、後悔と罪悪感だ。
自分が余計なことをしなければ、彼女は勝てたのではないか、と。
「は、話は良く分からないけど、ランバージャックさんの所為なんでしょ? 何とかしてよっ!」
「ミヨさん、無茶言わないでください。暴走しているゲオルクに、生身で近づける訳がないじゃないですか。そもそも私の実験も込みで、という話で納得していただいていた筈ですよ?」
「お姉さん思いっきり怒ってたじゃないのーっ!」
ぷんすかぷんとミヨが全く悪びれていないランバージャックに怒っている中、ヨハンは恐る恐る顔を上げた。
相変わらず、クイーンルビーは異常な速度で飛び回っている。シルバーベルはそんな様子を訝しんでか、少し離れた位置で旋回し、動向を探っているようであった。
彼の大きな瞳は紅のゲオルクを、その操縦席にいる彼女へと向けられていた。
そんな折にクイーンルビーが高度を下げ、会場付近を通り抜けた。幸いにしてそこそこの高さの所にあった為に酷い損害にはならなかったが、それでも通り抜けた際には暴風が吹き荒れる。ネフィ達はミニスカートの裾を押さえ、食事や会場装飾の一部を吹き飛んだ。
「おばさん」
通り抜ける途中、逆さを向いたクイーンルビーが一番近かったタイミングで、ヨハンは口を開いていた。暴風と暴走するエンジン音で絶対に聞こえる筈はないのだが、それでも言わずにはいられなかった。
だが通り抜けるその一瞬、コックピットの彼女が彼を見たように思えた。
ほんの一瞬だけ、視線が交差したような。
そんな気がしたのだ。
「ごめん、なさい」
「…………」
口元でボヤいた謝罪が、絶対に聞こえた筈がない。それでもヨハンは、彼女の声を聞いた気がした。
「おば、さん?」
ヨハンが見守る中、飛び上がったクイーンルビーは、太陽へ向けて一直線に飛んでいった。
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