目を丸くした彼と笑った英雄


 ランバージャック邸の応接室内で昔に思いを馳せていたスカイは、眼下にある手紙に書かれた文字を読み上げた。


「指名手配されたマギー君の行方は心配だが、彼女ならたくましく生きている気がする、ね。よく分かってんじゃない」


 ヤコブとランバージャックの手紙には、彼女が軍を逃げた後のものだ。

 その中で言及されていた自分の評価に対して、彼女は薄く笑みを浮かべていた。


「願わくは君やマギーに。そして妻と息子に、争いのない世界を、か」


 ヤコブの最後の手紙は、そう締めくくられていた。ゲオルクを作った彼がどんな思いを抱き、何の為に取り組んでいたのかがよく分かる内容であった。

 読み終えた彼女はふーっと息を吐きながら、畳へと倒れ込む。仰向けになった彼女の視界には、木造りの天井が映っていた。


「誰かの為に、それ以上に大切なものの為に生き続けなきゃいけないのが、軍人の本分だってクラウスは言ってたのに。上はそんなこと、微塵も考えてなかった……アタシ。結局は何のために飛んでたんだろ」


 思い出されるのは、いつか彼に言われた言葉だ。その言葉が如何に大切で、そして如何に考えられていなかったのかということを思い知った時、彼女は国と軍に見切りをつけた。

 その後が続かなかった。


「ヤコブも、あのドロシーも、背負ってるものがあった。何の為にって、はっきり言えるものを持ってた。あの素直じゃないランバージャックだって、ひょっとしたら自覚してないだけで、何の為にって分かってる気がするし。流石にゴリ達は、知らないけどさ。それに対してアタシは……」


 抱えているものを持つ面々と自分を比べ、スカイはため息を吐く。目的も背負うものもないまま、その日その日で暮らしていた自分の姿が、彼らに比べて酷く小さなものに思えた。

 良い悪いの問題ではない。彼女の中で、そんな自分が格好悪いと感じてしまったのだ。


「そう言えば。ヨハン、荒れてるんだっけ?」


 不意に思い浮かんだのは、喧嘩別れしたあの男の子についてだった。

 彼は幼いながらに、自分で決めたものを背負って精一杯背伸びをしていた。傍から見たら滑稽に見えたかもしれない。

 しかしその挑む姿勢だけは、身長以上に大きなものであった。


「泣いてた、わね」


 受話器の向こう側でどんな顔をしているのかが手に取るように分かった、あのやり取りから、ヨハンのことがずっと、スカイの頭の何処かに引っかかっている。

 大きく見えた筈の彼は、あの時だけは年相応に思えた。


「彼の為に。なんて感情が湧くほど入れ込んでもないし。これ以上、アタシが肩入れする理由もないわ。ない、けども」


 はっきりと口にしてみるが、何故か「それでも」という思いが心の何処かで顔を覗かせている。

 煮え切らないと嫌気がさした彼女が利き手で目元を覆った時、視界に入ってくるものがあった。自分の右の手だ。


「……約束」


 正確に言えば、その小指である。決闘の前にヨハンと交わした、右手の小指だ。

 スカイは小指以外の指を曲げて、あの時と同じ形にする。絡めた際に触れた彼の細くて短い小指の感触が、はっきりと思い出せた。


 指切りげんまん。昔からある、約束の儀式だ。


「守れなかった、けど……まだ、完全に破った訳じゃない、わよね」


 自分でそう口にした時、スカイは唐突に気が付くことができた。

 誰の為に、何の為に飛んでいるのかなどは分からないが、それでも行かなければならないのではないか。


「約束を守れない大人は、カッコ悪いわよね」


 理由ができた。スカイは足を振り上げて勢いよく起き上がると、布製の鞄を手繰り寄せた。中に入っているのは、クラウスの遺品である竜玉ドラゴコアだ。


「ランバージャック」


 彼女が声を上げると、程なくして足音が聞こえてくる。


「何か御用ですか? って言うかそろそろ夕飯時なんて、これ以上用事がないのであれば帰っていただきたいのですが」


 現れたランバージャックは白衣の上からエプロンを閉めていた。研究一筋だった筈の彼からは考えられない姿を見て、スカイは思わず吹き出してしまう。


「似合ってないわね」

「そうですか。それで、もう帰られるんですか?」

「違うわ。どうするか決めたのよ」


 笑ってやったが、特にランバージャックの顔色は変わらなかった。おそらくは本心からどうでもいいと思っているのだろうと、容易に想像ができる。

 それはさておき、とスカイは居直すと、布製の鞄に入っていたものを取り出して彼へと差し出した。


 スイカくらいの大きさの球体は表面がツルツルしており、凹凸がない。その内側には星々のような小さな光が無数にあり、雨雲を思わせる黒い靄のようなものも渦を巻いている。

 夜空が凝縮されたかのようなその様子を見て、彼は眼鏡の奥にある目を見開いていた。


「これは、竜玉ドラゴコアじゃないですか」

「取引よ。これと引き換えに、アタシのクイーンルビーを直してちょうだい。一般市場に出回ることがほとんどないこれの価値は、アンタが一番良く知ってるでしょ?」


 驚くランバージャックに対して、スカイはニヤリと笑いかけた。

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