不機嫌な彼と嘘つきな彼女
スカイは一人、
机の上には頼みに頼んで飲みに飲んだ缶ビールの残骸が山と積まれており、周囲の客が顔をしかめるレベルであった。
「お、お客様~? ま、まだ飲むんですか~?」
「当然よ。おかわりもってきなさい」
「にゃ、にゃんはお~」
店員のネフィが困り顔のまま引っ込んでいく。彼女の片づけが追い付かないレベルで飲まれているのだが、「これだけ出すわ、頼める分の缶ビールを持ってきなさい」と事前にスカイから金を積まれているので、出さない訳にもいかない。
「飲まなきゃやってられないのよ」
スカイは机に突っ伏したまま、ボヤいていた。
あの後、水中で現実逃避を続ける訳にもいかず、事前に来ていた海難救助隊員によって引き上げられた彼女は、決闘の結果によってボディーガードをクビになった。
彼の家からも出ていくことになり、ずぶ濡れのまま荷造りをしていたのだが。その間、ヨハンは一度も彼女に話しかけてこなかった。
ただ遠巻きに彼女を見つめるばかりであり、何も言ってこない彼の視線に耐えられなかった彼女は、一言も交わさないまま逃げるように山中の前線基地の廃墟に戻っていく。
彼女に残ったのはボディーガード時に稼いだ幾ばくかの金と着替え、そして海難救助隊員らが善意で集めてくれたクイーンルビーの残骸だけである。
残った資金で壊れたゲオルクが修理できる訳もなく、賞金稼ぎもできなくなった彼女は酒に逃げた。金もどんどん減っていっているが、現実を直視できない彼女は全く気にしていない。
「あ、あの~」
「何よ? 新しいのは持ってきた訳?」
恐る恐る、とネフィが声をかけてきたので、スカイは顔を上げた。店員の手に会ったのは新しい缶ではなく、電話機であった。
「お客様にお電話ですにゃ~」
「電話? アタシに?」
コードがついた電話機と受話器を机の上に置き、ネフィはその場を後にした。残されたスカイは机に突っ伏したまま、訝しげに受話器を取って耳に当てる。
「もしもし?」
『……おばさん』
「ッ!」
受話器の向こう側から聞こえてきた幼い少年特有の高い声によって、彼女は机から跳ね起きた。自分のことをこう呼んでくる少年は、一人しか心当たりがない。
「よ、ヨハン?」
『うん、ぼくだよ。おばさん、何も言わずにいなくなっちゃうんだもの。探すの、苦労したよ』
全く、というため息が続けて聞こえてくる。
『元になったとはいえ、雇い主に一言の挨拶もなく消えるなんて、失礼だと思うけど?』
「ご、ごめんなさい。アタシも、その、色々あって」
『そうだね、色々あったね。負けちゃったし、自慢のゲオルクは壊れちゃったし……ぼくとの約束も、破ったし』
ヨハンの声が一段と低いものになった。スカイはビクリ、と身体を震わせる。
『ねえ、おばさん。教えてよ。あの時、どうしてぼくの忠告を聞いてくれなかったの?』
彼の口調は、責めるものへと変化した。
『素人に毛が生えた程度のぼくが見ても不調だったのに、無視して出撃したんだよね? その結果があれだ。決闘の途中で飛べなくなって、撃たれて、負けた。だから言ったのに、ってぼくは大声で言いたかったよ。むしろ
「あ、あれは、ね」
しこたま飲んだ筈の酔いが一気に吹き飛び、スカイは必死になって言い訳を考える。しかし、何も出てこなかった。
「その、えっと。べ、別にあれは」
『嘘つき』
しどろもどろになったスカイを、ヨハンが受話器越しに叩き斬る。
『大人だなんて言って、一人の男なんて言って……内心では、ぼくのことを子ども扱いしてたんだ。見下してたんだ。上っ面だけ良いこと言って、結局はぼくのことをバカにしてたんだ』
「そ、そんなことな」
『おばさんだけはぼくのこと、ちゃんと見てくれてると思ったのにっ!』
ひと際大きな声が、スカイの鼓膜を叩いた。激しい声は彼女が手にしていた受話器すら震わせ、思わず距離を取ってしまう。
『……初めてだったのに』
かと思えば、ヨハンの声は急にか弱いものになっていた。
スカイが急いで受話器を耳に当てると、彼はボソボソした声で言葉を続けている。
『お父さんとお母さんがいなくなって。独りぼっちに、なって。それでも必死にやってたぼくの頑張りを、初めて、認めてくれたと思ったのに。お金にも何も興味なくて、ぼくのこと、大人だって言ってくれたのに。一人の男だって、見て、くれたと、思ってたのに。こんな嘘、つかれるなんて』
「よ、ヨハン。アタシは別に」
嘘なんかついていない。あの日に彼に言ったことに偽りはない、という言葉は、続けられなかった。
『酷い、酷いよ。ぼくはただ、頑張ってるだけなのに。どうしてみんな、分かってくれないんだよ。おばさんもドロッセルさんもセメタスさんも知らない親戚共も。なんでお金ばっかり見て、ぼくを見てくれないんだよ。ぼくって一体、なんなんだよ。ぼくの身体はお金でできてるとでも言うのかよ。ふざけんなよっ!』
ヨハンの心の内に宿った、一番大きな悲しみを見てしまったから。それは十歳の子どもが背負うには、あまりにも大きなものであった。
『嘘つきと金目当てばっかり寄ってきやがってっ! どいつもこいつも、ぼくをなんだと思ってんだよっ! ぼくはヨハンだ、ゲオルクを作った誇り高きお父さんの一人息子、ヨハン=エルスハイマーだっ! 金なんかじゃないっ! ぼくはヨハンだっ! ヨハン、なんだよぉ』
激情の果てに、とうとうヨハンは泣き出していた。声の様子は、年相応の少年のものであった。
電話口で泣きじゃくっている彼の様子を思い浮かべるだけで、スカイの胸の内に痛みが走る。これが自分の所為だと思うだけで、言いようのない思いがこみ上げてきていた。
それを押し殺して、彼女は考える。彼に何を言うべきなのか。
「……ごめんなさい、ヨハン。全部、アタシが悪かったわ」
悩んだ末に、彼女は謝罪を口にした。まずは謝らなければ、話にならないと。
「アタシは約束を守れなかった。心の底では子どもだと思ってたのも、事実よ。アンタの話を、聞かなかった訳だからね。ただ」
一度、スカイは言葉を切った。
自身の経験上から来るこれを言うべきなのか、言わないべきなのかは全く分からなかったが、謝らなければという意識が背中を押した結果、何かを言わずにはいられなかった。
「本当の自分なんて、誰も見てくれないわ。アタシ達を見てくれてるのは、空だけなのよ」
『もういいっ、知らないっ!』
少しの間泣きじゃくっていたヨハンは、再度声を張り上げて電話を切った。受話器の向こう側からは、通話が終了した音しか聞こえてこなくなる。
周囲の客の視線やひそひそ声も、もう電話を回収してもいいのか分かりかねているネフィも、スカイの視界に入らない。
缶が散乱し、ビール特有の臭いが充満する傍らで、彼女はいつまでも受話器を見つめていた。
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