白銀の彼女が飛ぶ理由と幼い彼との約束


 ある日の夜、夜中に目を覚ました彼女は眠れなくなり、ベルを鳴らした。寝るまで本でも読んでもらおうと思ったのだ。

 しかし何度鳴らしても、二人は来なかった。待ちぼうけを食らった彼女は怒り、直接文句を言ってやろうとアルベルトの部屋に向かう。


 そこで彼女が見たのは、目を血走らせながら必死になって業務をこなしている祖父と、若かりし頃の父の姿だった。


「いいかセメタス、ドロシーが起きてくる前には片づけるぞ」

「でも父さん、この量は流石にキツいって」

「キツいものか。家の為と、娘の為と思えば、いくらでも頑張れるじゃろう?」

「ッ!」


 彼らはずっと集中して、仕事に取り組んでいた。起きてきたドロシーに気づきもしない程に。


「そう言えば父さん。ドロシーの結婚、どうするんだ?」

「うーん、どの子もタイプじゃなかったらしいからなー。知り合いに声かけして、また一から探し直すぞ」

「うへー、もういいじゃん。条件の良い奴でさっさと決めちゃおうよ」

「何を言うか。娘の為にひと肌脱ぐのが父親というものだろう? お爺ちゃんも一緒だ。それに、花嫁姿で満面の笑みのドロシーはきっと可愛いぞ? 想像するだけで涙が出てきそうじゃわい」

「あー、もう。分かったよ。待ってろよドロシーッ!」

「その意気じゃ。流石は我が息子。あげた靴も大事に履いてくれておるしな」

「せっかく父さんからもらったんだからね。ボロボロになっても履くつもりだよ」

「いい息子と可愛い孫をもってわしは幸せ者じゃ。さ、仕事の続きといこうか」

「…………」


 祖父と父の仕事ぶりに、ドロシーは何も言えなかった。自分のわがままの裏でこれほどまでに苦労をかけていたなんて、知らなかったのだ。彼女は静かに、その場を後にした。


「わたくしは自分を恥じましたわ。お爺様とお父様の苦労も知らず、我儘放題であった自分を」


 それから、ドロシーは変わろうとした。わがままを押し殺して勉強に励み、祖父と父に報いようと思った。

 その成果は実り、ゲオルクに適応した彼女は空を飛ぶまでになった。二人は娘の変化に感動した。初めて彼女が機械竜ドラゴロイドを撃ち落とした日は、彼ら一家にとっての記念日となった。


 このまま上手くやっていけると、誰もが信じていた。


「しかし、遅かった。遅すぎたのですわ。お爺様は、過労で亡くなってしまいました」


 最初の不幸は、アルベルトの死だった。

 人竜戦役が終わりを迎えた頃、限界が来た彼が倒れてしまったのだ。懸命な治療が行われたが、彼は帰らぬ人となってしまった。


 棺に入ったやせこけた彼の顔を見た時、ドロシーはわき目も振らずに駆け寄り、縋り付いて大泣きをした。


「わたくしが、わたくしがお爺様を殺したのですわッ! わがまま言わずに、最初から、しっかりできていれば、お爺様に苦労をかけない淑女であればッ! まだ、まだ生きてくださっていた筈なのにッ! わたくしの花嫁姿を見て泣いてくださる筈だったのにッ! わたくしが、わたくしが。ああっ、あああああッ!」


 人目もはばからずに、ドロシーは泣いた。

 泣いて、鳴いて、啼き抜いた。


 悪いことは、更に重なった。セメタスが家を継いだ直後、国が貴族制を廃止しようと、領地の取り上げを始めたのだ。

 これによってファランドール家が代々守り続けてきた領地も国のものとなった。金策を失ったことで本宅と別荘以外の土地と売り、何とか当面の資金は調達できたが、それも減っていく一方だ。


 このままでは、家そのものがなくなってしまう可能性が浮上する。

 アルベルトがあれほどまでに苦心して守り抜いてきた、大切な家が。



「わたくしはこのベルを、二度と鳴らさないと決めました」


 ドロシーの言葉に、その青い瞳に、迷いはなかった。聞いていたスカイが、茶々を挟む余裕がない程までに。


「眠りにつかれたお爺様を呼んでしまわない為にも、お父様にこれ以上甘えない為にも。わたくしはファランドール家の貴族として、家の為に飛ぶことを決めたのですわ」

「……そう」


 話が終わった時、スカイは何も言えなかった。金の為などと軽く口にしてしまった自分の小ささを実感してしたからだ。


「そろそろ時間よ。お喋りはここまで」

「あら、本当ですわ。ではお空、良い決闘を」


 時計を確認したスカイが逃げるように操縦席に乗り込むと、ドロシーも踵を返して自分のゲオルクの元に行った。


「勝って来いよ、ドロシー」

「もちろんですわ、お父様」


 更にドロシーは、シルバーベルの元にいた実父とハイタッチを交わしていた。

 気合いは十分、背負うものも望むところ。スカイが遠目から見ても、彼女の意気込みは手に取るように分かった。


「家の為に、か。誰かの為に、何の為に」


 操縦席に一人でいるスカイが、声を漏らす。それはかつて、想いを寄せていたクラウスからも言われたことであった。


「……分かんないわよ、そんなこと」

「おばさん」


 不意に、機体の外から声がした。スカイが慌てて目を向けてみれば、梯子を使って操縦席まで上がってきたヨハンの姿がある。


「な、なにか用?」

「ゲオルクの調子は大丈夫なの?」


 慌てて笑みを浮かべてみれば、ヨハンの目線は機体へと向けられていた。


「前に乗った時も思ったんだけど、エネルギーパイプ付近からエラーが出てたよね? あれ、多分だけど竜玉ドラゴコアの不調だよ。最悪は飛んでる最中に、航行不能になっちゃうかもしれない。出力を調整する部品ならぼくでも作れるかもしれないし、日を改めた方が」

「心配してくれてありがとう」


 彼の言葉が終わる前に、スカイは口を開いた。


「口じゃ悪く言う癖に、心配性ね。負けてアタシがいなくなるの、嫌?」

「そ、そんなんじゃないって。べ、別におばさんがいなくなろうが、新しい人を雇うだけだし」


 声が徐々に小さくなっていくヨハンを見て、微笑ましいものを見たとスカイの表情が緩む。


「ただゲオルクの開発者の息子として、一人の、男として。注意しただけだよ。おばさんが、そう言ってくれたんだし」

「そうね。でも大丈夫よ、今日は不調が出てないから。アタシに任せなさいッ!」


 スカイが少し語気を強めて言ったが、ヨハンの顔は晴れない。


「本当に大丈夫なの? 竜玉ドラゴコアは、未だに詳細不明のブラックボックスなんだよ。何が起きるか分からないのに」

「心配性な子ね。いいわ、じゃ約束しましょ」


 自分の右手の小指を立てたスカイは、それをヨハンへと向けた。


「サクっと勝って、アンタのとこに帰ってくるわ。お姉さんとの約束」

「……わかったよ」


 不承不承、という感じではあったが、ヨハンは右の小指を彼女のものへとかけた。


「ちゃんと勝って、帰ってきてね。約束だよ」

「ええ、もちろん」


 指切りが終わった時、時間となった。ヨハンは階段を降りていき、スカイはコードのついたフルフェイスヘルメットを被る。各メーターを目で確認し、操縦桿を握った。


「各計器、オールクリア。ゲオルク、レディ、ゴー」

「各計器、オールクリア。ゲオルク、レディ、ゴーですわ」


 彼女がクイーンルビーのエンジンをつけた時、背後からも同じ音が響いてきた。シルバーベルがエンジンを始動させたのだ。

 二機のゲオルクの間に立ったヨハンが、拡声器を構えて声を上げた。


「これより双方の合意の元、決闘を執り行う。証人はぼく、ヨハン=エルスハイマーが務める。決闘内容は航空戦闘機による、一対一のドッグファイト。スカイが賭けるのは、ボディーガードの職務。ドロッセル=ファランドールが賭けるのは金銭だ。双方、異論はない?」

「ないわ」

「ございませんことよ」


 クイーンルビーとシルバーベルについたスピーカーから、両者の承認が降りた。


「アタシは金を得る為に」

「わたくしはファランドール家の為に」

「「ただただ戦果を求めるのみッ!」」

開戦パルティードっ!」


 ヨハンの号令と共に、二機のゲオルクが垂直に浮かび上がった。互いに背を向けた状態で高度を上げていき、一定高度にて停止し、ホバリングする。

 かと思えば次の瞬間。クイーンルビーとシルバーベルは、同時にそれぞれの正面へと勢いよく飛び出していった。真反対に飛んだ二機は、ほぼ同タイミングで機体を九十度に傾けて旋回する。


「クールに決めましょ、クイーンルビー」

「華麗に舞いましょう、シルバーベル」


 回り終えた後、両者は互いに向けて一直線に突撃し、操縦桿の引き金を引いた。二十五ミリ機関砲と二十ミリ機関銃から弾丸が放たれる。

 空を駆けるスカイとドロシーの決闘が、始まった。

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