少年の懸念と彼女のつもり
スカイがシャウラ国の料理を食べに行こうと言い出した時から、ヨハンは訝しんでいた。
普段、彼があそこに行きたいと言えば、面倒くさそうに起き上がってきて着の身着のままついてくる彼女からのお誘い、というだけでも十分におかしいのだが、他にも気になる点が少なくとも三つはある。
まず一つ目は、彼女の恰好だ。いつもであれば寝間着にしているタンクトップに短パン姿のまま、サンダルを履いて外に出ていたのが彼女だ。ボディーガードとしての自覚が欠片もない姿にため息ばかりついていたのだが。
「着いたわよ。ここの料理は絶品だから、楽しみにしててね」
ウインクをしてみせたスカイは、白いノースリーブワンピースに網目状のおしゃれなサンダルを履いている。
若作りが上手い彼女が化粧を施したことによって、実年齢よりも若く見えており、女性として完全に臨戦態勢に入っていた。
「いらっしゃいませ、ようこそ
二つ目は案内されたお店だ。黒を基調として白いフリルのついたスリット入りのシャウラ国用給仕服に、ピンクがかった赤いウェーブの髪の毛。頭の上に猫耳をつけた店員さんが笑顔で迎えてくれたここは、街中でも有名な高級料理店である。
店内は木目が見える綺麗なフローリングが広がり、案内された席は真っ赤な椅子と回転テーブルがあった。シャウラ国の料理を食べる際にしか、お目にかかれない什器である。
オレンジ色のライトで照らされた店内は程よく薄暗く、壁にかかっている絵画と合わせて、余計に高級感を煽っているようであった。
ちなみに男性を含めた全ての店員が猫耳を付けているが、猫耳は猫を神聖な生き物として崇めているシャウラ国の正装の一つであり、決してコスプレではない。
彼らは至って大真面目に猫耳を付けている。
「じゃ、事前に予約してたコースでお願いね。飲み物はビールと、ウォルピスでお願い。支払いは後でアタシまでよろしく」
「はいは~い。このネフィ=サンにお任せ~」
最後の三つ目がこれだ。なんとここのお店、スカイの奢りなのだ。今まで連れ回していた際に全ての金額を負担していたヨハンからしたら、考えられないものであった。
「おばさん、一体何を企んでるの?」
店員のネフィがいなくなった機を見計らって、席についたヨハンは声をかける。肝心のスカイは、目の前で頬杖をついていた。
「なに、急に。企んでるなんて、人聞きが悪いわね」
「急なのはそっちでしょ? いきなり連れてきた挙句、全部奢りますなんて言われたら警戒もするさ。とうとうおばさんも、ぼくのこと狙いに来た訳?」
ヨハンの頭の中には、両親の死後に急に優しくしてきた見ず知らずの親戚達の姿がある。
やれ欲しいものはないか、できることはないかと恩を売ることに躍起になっており、その見返りを狙っていることまで透けて見える有様であった。
彼はそんな大人に辟易しており、同時に仕返ししてやりたい気持ちがある。だから金を持ってなさそうなスカイに目を付けて、ボディーガードにしたのだ。自分の金で大人を振り回すことが、彼のささやかな復讐であった。
「悪いけど、この程度でぼくがなびくと思ったら、大間違いだからね」
だからこそ、振り回す筈だったスカイからされたこの仕打ちは、ヨハンにしてみれば面白くなかった。
彼女まで親戚側に回ってしまったのであれば、彼からすればもう彼女に用はない。さっさとクビにして、新しい大人を探すまでだと。
「せっかくのデートなのに、随分と面白くないことを考えてるのね」
しかし次にスカイから放たれた言葉に、ヨハンは面を食らってしまった。
「アタシは別に、アンタもアンタの持つ遺産にも興味ないわ。いつも誘ってくれてたから、お返しにこっちからお誘いしただけ。一人の男を、一人の女としてね」
思わず、ヨハンはビクリと身体を震わせてしまう。スカイの言葉は、彼にとって余りにも予想外のものであった。
「一人の、男?」
「そうよ。大人の男と女が一対一でお出かけするのを、世間じゃデートって言うんじゃない」
「っ!?」
ヨハンは目を見開いた。目の前で微笑んでいるスカイを、ただただ凝視することしかできない。
「大人の、男。ぼく、が?」
「他に誰がいるのよ」
「そ、それも作戦の内なんだろ。口が上手いだけの、大人の常とう手段だ」
声を荒げているヨハンは、自分の口の端に宿っている笑みに気が付いていない。
「その気にさせて、持ち上げてもさ。結局は金が欲しいだけなんだ。内心じゃどうせ、子どもだって見下して」
「アンタはずっと頑張ってる」
僻み始めたヨハンを、スカイが容赦なく遮る。
「両親を亡くして、一人になって、頼れる人なんていない。そんな中でも誰かにすがることをせず、夜遅くまで勉強して、汚い大人相手にも気丈に振舞って。両親が残してくれた家を守ろうと、一人で立ち続けてる。これが大人でなくて、何だって言うのよ」
「そ、それは」
「もう一度言うわ。アタシはアンタにも、アンタの持つ遺産にも興味ない」
有無を言わせないスカイの剣幕に、ヨハンは何も言えなくなってしまう。
「ただ一人の大人として、アンタの生き様に敬意を払いたくなった。だから自分の知ってる一番美味しいお店に招待した。それだけよ」
「…………」
スカイの言葉が終わった時、ヨハンはただ口を半開きにしたまま、呆然としていた。彼女の雰囲気から、先ほどまでの言葉が冗談の類でないことが分かる。
彼にも、彼の持つ金にも興味はなく。ただ彼の努力を認め、敬意をもって労おうとしてくれているだけなんだと。
自分が大人で、一人の男として見ているからこそなんだと。
「泣いちゃう?」
「っ!?」
微笑んだスカイの言葉で、ヨハンは慌てて我に返る。零れ落ちそうになった目元を必死に拭って、何事もなかったかのように声を荒げた。
「め、目にゴミが入っただけだよ」
「ここ、清掃も行き届いてて、清潔なお店だと思ってるんだけど」
「それでもゴミが入ったんだっ!」
「そう。そんなに嬉しかった?」
目元を擦った後、ヨハンは口元に手をやった。自分の口角が、いつの間にか上がっている。彼は涙を携えながらも、年相応の無邪気な笑みを浮かべていた。
それもつかの間。気が付いた彼は慌てていつもの仏頂面を作ろうと顔をつねっている。
「なんでも、ないよっ。いつ笑おうが、ぼくの、勝手だろっ!?」
「それもそうね。ごめんなさい」
「お飲み物お待たせしました~」
そうこうしているうちに、ネフィが飲み物を持ってきた。スカイの前にはジョッキグラスに入ったビールが置かれ、ヨハンの前にはグラスに入った白くて甘いジュースであるウォルピスが置かれる。
「さ、乾杯しましょ。乾杯の音頭くらいは、取ってくれるのかしら?」
「もちろんだよ」
頭を下げたネフィがいなくなった頃、ヨハンがグラスを持ち、スカイもそれに合わせた。
「誘拐から始まったこの出会いに、乾杯」
「乾杯。ふふっ、そう言えばそうだったわね」
互いに少し前へと傾けた二つのグラスが、甲高い音を立ててぶつかる。その後に二人は、グラスへと口をつけた。
「ま。アタシが口説きたいと思うには、まだまだだけどね。早く精進なさい、少年」
「そんなこと言ってるから、行き遅れたんじゃないの?」
「……い、言ってくれるわね」
「思ったよりも効いてて笑えるよ。誰ももらってくれないなら、ぼくがもらってあげようか? 第三夫人くらいで」
「アタシにも選ぶ権利ってもんがあるのよ。覚えておきなさい」
二人は軽口を叩き合いながら、ネフィが運んでくるシャウラ料理に手を付けていった。
突き出しのザーサイに始まり、
次々と運ばれてくるシャウラ料理を回転テーブルに置き、彼らは欲しいものを回して取っては舌鼓を打っていく。
「そう言えばおばさんの乗ってるのって、ゲオルクなんだね」
「あら、どうして分かったのかしら?」
「ゲオルクの装甲は
「伊達にヤコブの息子じゃない、ってことかしら」
「これくらい一般常識さ。でも貴族や軍所属でもない癖に、なんでゲオルクなんて持ってるの?」
「秘密よ。女には秘密が多いものなの」
「なにそれ。ミステリアスにしたいんだろうけど、ビールは似合わないと思うよ」
食べて、飲んで、話しているヨハンの顔には、笑顔があった。肩書や雇用関係を取り払った、友人同士で見せるような笑顔だ。
彼女はそれを見つつ、そうやって笑ってた方がずっと良いわよ、という言葉を、ビールと共に飲み込んだ。気が付かれたもったいないと思うくらいには、彼の笑顔は眩しかった。
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