彼女のお礼と人知れず学ぶ彼


「はーあ。分かったでしょ、おばさん? 今度家に来たら、適当に追い払っておいてね」


 完全にセメタスがいなくなってから、ヨハンはため息をつきながら椅子に腰かけた。ラウラの持ってきてくれたアールグレイのお茶で喉を潤しつつ、きらびやかな缶に入っていたクッキーをかじっている。


「いやでも、知らない相手じゃないんでしょ。いいの?」

「ぼくやラウラさんはそうだけど、おばさんは別でしょ? 縁もゆかりもないおばさんが応対してくれたら、さっさと帰ってくれるさ。雇い主の命令だよ」

「別にあの人も娘さんも、悪い人じゃないけどねえ。金目当てが透けて見えると、どうしても、ね」


 彼が帰っていった方向を見ながら、ラウラが呟いている。


「余裕もなくなってきてるみたいだし。噂じゃ食べる物を切り詰めてまでも貴族生活を続けてるらしいわ。だからって坊ちゃんをアテにされるのもねえ。スカイさん、対応よろしくね」

「アッハイ」


 ラウラの言葉に、スカイはすぐに返事をした。どうやら二人とも、セメタスのことを嫌っているまでは行っていないが、面倒に思っている相手みたいである。

 金があるなら助けてやればいいんじゃないかとも思ったが、それで結婚まで決められるのはたまったもんじゃないのだろう。少なくとも、自分に置き換えた場合はそう感じるなと、彼女は納得した。


「……来ないわね」


 それからしばらくの間、スカイはセメタスの来訪を身構えていたが、予想に反して彼は訪ねてこなかった。

 代わりに、誘拐事件があった為に学校が一時休校になり、暇を持て余したヨハンに連れ回される日々を送ることになる。


 街の市場を見て回り、海へ繰り出し、かと思えば山奥の景色が綺麗な秘境へ連れていけとゲオルクで飛んで行ったこともあった。幼い子どもの無尽蔵の体力についていけず、スカイは毎度毎度ヘトヘトになっていた。

 おまけにヨハンの態度は一向に変わらない。スカイのことを召使のようにこき使ってくるばかりで、彼女が目論んでいたPGP(プリンス・ゲンジ・プランニング)は全く進んでいない。疲れが溜まった結果、色仕掛け等を後回しにしていたのも原因の一つである。


 機嫌を損ねてクビになっていないだけマシなのかもしれないが、どのタイミングで用済みにされるのかも彼の気分次第だ。その内に飽きられて契約が打ち切りになれば、あの廃墟での生活に逆戻りである。

 いい加減、際どい格好で誘惑すべきかと彼女が焦りを覚え始めたある日、ラウラが声をかけてきた。


「スカイさん、いつもありがとうねえ」

「はい?」


 屋敷の隣にある工場にてゲオルクの調子を見ていたスカイは、突然やってきたラウラの言葉に面を食らってしまった。

 外は既に日が暮れており、半分の月がぼんやりと外を照らしている。工場の天井に吊るされた電球を頼りにクイーンルビーの点検をし、やはり調子が悪いと顔をしかめていた彼女は、一気にキョトンとした表情になった。


「どうしたの、急に? アタシのこと警戒してたんじゃないの?」

「ええええ、警戒してましたよ。それこそ坊ちゃんに取り入るような不穏な素振りを見せたら、すぐに軍へ通報するつもりでしたとも」

「そ、そうなんですね。あ、あはは」


 軍、という単語にスカイの背筋が凍り付く。とある事情から、彼女が絶対にお世話になってはいけない相手だ。

 つい明日にでも事に及ぼうとしていたことは、墓まで持っていくべき案件だろう。


「でもアンタは何もしなかった。それどころか坊ちゃんとあんなに遊び回ってくれて。あんなに楽しそうな顔、久しぶりに見たわ」


 とりあえず通報は免れたと一安心した直後、スカイは首を捻ることになる。


「楽しそう? いつも仏頂面しか見てなかった気がするけど」

「その仏頂面の中に、はしゃいでるのがよく見えたわ。まあこれは、付き合いの差ね」


 スカイからしたら全くそのようには思えなかったが、昔から付き合いの深いラウラが言うならそうなんだろうと思うことにした。


「ご両親が亡くなってからの坊ちゃん、早く大人にならなきゃって、本当に根詰めてばかりで。見ていて痛々しいほどに」

「そんなに?」


 大きくため息をついたラウラを見て、スカイはそこまでかと訝しんだ。


「本当よ。嘘だと思うんなら、こっそり坊ちゃんのお部屋を覗いてみて。多分、まだ起きてるから」

「まさか、こんな時間よ」


 現在は夕飯も終え、風呂も終わって、大人でさえ寝ていてもおかしくない時間帯である。スカイは鼻で笑ったが、ラウラは「本当よ」と言い残して屋敷へ戻っていってしまった。

 本来彼女は夜になると自宅に帰っていくのだが、ヨハンが誘拐されたこととスカイが信用できなかったことから、しばらく泊まり込みをしている。


 自分の家族は大丈夫なのかと聞いた時には、「自慢の娘がいるからね」と快活よく返事をしていた。


「まさかねえ」


 それはさておき、ラウラの言葉が気になったスカイは、屋敷へ戻ってこっそりとヨハンの部屋へと向かってみた。

 抜き足差し足忍び足で二階まで来てみれば、暗い廊下にて、扉が内側から漏れる明かりで長方形に切り抜かれたように見える。明かりが点いていることが一発で分かった。


「うっそ、まだ起きてるの」


 小声で驚いた後でスカイは部屋の前まで行き、静かに扉を開けてみる。彼女の目に飛び込んできたヨハンの部屋は、綺麗に整理整頓がなされていた。

 廊下と同じ赤い絨毯が敷かれ、本棚には本は歯抜けになりながらも埃がかぶっていることもない。部屋の隅には観葉植物もあった。


 肝心のヨハンはというと、彼女に背中を向けて机にかじりついている。机の上にはランプがあり、その傍らに本が積み重ねられていた。彼自身は羽ペンを持ったまま、反対の手で後ろ頭を掻いている。

 勉強している、ということが後ろ姿だけで分かった。


「あー、もう。これ、くらいっ」


 ヨハンの呟きから、勉学が順調ではないことも読み取れた。それでも彼は投げ出そうとはせず、あれやこれやと本をとっかえひっかえしては、必死になって理解を深めようとしている。

 その姿に、スカイは見覚えがあった。


『僕は隊長みたいな天才じゃないですからね。こうやって地道に頑張るしかないんです』

「……そう言えばアイツも、夜遅くまで勉強してたっけ」


 スカイは昔を噛みしめるように呟いた。思い起こされるのは、ヨハンではない彼の声である。彼女は緩く息を吐きながら、昔に思いを馳せた。

 頭の中にいる少し癖のある茶髪で猫背気味のまま机に向かっていた彼の姿が、目の前の少年に重なった。

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