ハウスキーパーの彼女と知り合い以上親戚未満
ヨハンの家はアルタイル国の首都ポラリスの郊外にある。戦時中の名残で、一般人の大半が公共の集合住宅で生活している中、土地と家を持っているというだけでもかなりの裕福だ。
それもその筈。彼の父、ヤコブ=エルスハイマーは、戦争での戦力の要にもなった対
人類が作り出した最先端の技術を持ってしても及ばない
お陰で彼の家には、何もしなくても特許料が山のように入ってくるのだ。それらを全て受け継いだヨハンは、まさに金の成る木であった。
そんな彼の背景に思いを寄せながら、スカイは家を見上げていた。
「あのゴリを何回懲らしめたら、この家が建つのかしら?」
ベージュ色の外壁と藍色の屋根をもった、二階建ての四角いシンプルな家だ。意匠を凝らした様式のザ・金持ちという程のものではないが、その傍にはクイーンルビーを停めている屋根付きの工場があり、短距離離着陸さえ可能な敷地と合わせると、途端にその値段は跳ね上がるだろうと、スカイは見ている。
タンクトップに短パン姿の自分には、おおよそ似合わない場所であることも。
そんな彼女をさておいて、ヨハンはさっさと玄関の扉を開けた。室内には赤い絨毯が敷かれており、吹き抜けになっている天井に吊るされた小ぶりなシャンデリアが来訪者を出迎えてくれる。
傍らにある台には花瓶が置いてあり、白い花が段重ねに咲いているカシワバアジサイからは甘い香りが漂っていた。
「ただいま」
「はいはいお帰りなさい。もー、坊ちゃんったら。昨日誘拐されたばかりなのに、もう遊び歩いて。心配する私の身にもなってくださいよ」
ヨハンを出迎えたのは、黒を基調とした給仕服姿のおばさんであった。
顔にはしわがあり、長い黒髪を頭の上で一つのお団子にしている彼女は、名をラウラ=ロッテンマイエルという。彼の両親が存命であった頃から勤めている、エルスハイマー家のハウスキーパーだ。
「あんなことがあったから、さっさと忘れたいんだよ。ちょうどボディーガードも来てくれたことだし」
「昨日の今日で信用し過ぎですよ、まだどんな人かも分からないのに」
「……お邪魔してます」
「あらスカイさん、お帰りなさい。坊ちゃんに問題はなかったかしら?」
「ええ、はい。何も、ありません、でした」
ついさっき信用できないと言い切った相手が現れたにも関わらず、ラウラはさも今気が付いたかのように声をかけてくる。
あまりの変わり身の早さに、スカイは彼女の面の皮がしわ以上に厚いことを悟った。
「それなら良かったわ。ああ坊ちゃん、セメタスさんがみえてるわ。今は応接室で待ってみえるわよ」
「……そう。一応、行くよ」
セメタス、という人名が出た瞬間、ヨハンの顔が露骨に曇った。
お茶菓子の用意の為にラウラが行ってしまった後、応接室に向けて歩き出した彼にスカイが続いていく。
「誰、セメタスって?」
「知り合いの貴族のおじさん。昔、父さんがお世話になったんだって」
ヨハンに話を聞いてみれば、本名はセメタス=ファランドールという名の男性だ。ゲオルクの開発に成功して一気に知名度を上げたヤコブに対して、社交場での礼儀作法を教えてくれた人であるらしい。
彼自身も昔から何度か会ったことがあり、親族ではないが知らない相手でもなく。両親が他界してからもかなり気にかけてくれており、たびたび家に来ているのだとか。
「親戚でもないのに気にかけてくれるなんて、いい人じゃない。っていうか、貴族ってまだいたんだ」
話を聞いたスカイの頭の中には、昨日のラジオの内容が思い起こされていた。
このアルタイル国では人竜戦役にかこつけて中央集権化を目指し、国が貴族制を廃止しようとしている。その為に領地の取り上げが盛んに行われており、領地経営で生活していた貴族の衰退が始まっているのが現状だ。
家を畳んでしまった者も多いと聞いており、現役の貴族の存在は希少になりつつある。
「いい人だけど、それだけじゃないよ。どうせ、ウチの金が目当てだ」
「どういうこと?」
「すぐに分かるさ」
ヨハンが問いかけたスカイに素っ気ない返事を返した時、二人は応接室にたどり着いた。
彼が扉を開けると、そこには六畳ほどの広さの部屋がある。足に意匠がこらされた茶色い机に、赤いクッション付きの木造りの椅子が四つ並んでいる。
その一つに腰かけていた男性、セメタスが立ち上がった。
「おお、ヨハン君。無事で何よりだよ」
セメタスは両手を広げて友好的な姿勢を見せ、柔らかい声で微笑んだ。スカイは彼の様子を、順番に観察する。
てっぺん禿げではあるが、丸い顔は鼻の下にあるちょび髭と相まってどこか愛嬌があり、恰幅な体型と合わせて人の好さそうな印象を受ける。茶色いスーツに身を包み、白いワイシャツの上には濃い緑色のネクタイ。
身ぎれいにしているそれらとは裏腹に、足にある黒い革靴だけは履き古したことを隠しもしないかのようにボロボロであった。
「本当は昨日のうちに来たかったんだが、どうしても都合がつかなくてね。遅くなってごめんよ」
「いいえ、セメタスさん。わざわざ来ていただいて、ありがとうございます」
「いいよいいよ、お礼なんて。君と私の仲じゃないか」
形式的にはお礼を言っているヨハンではあったが、スカイは何処か彼が冷淡に対応している印象を受けた。
言うことは言ったから、もう帰ってくれ。そんな言外の言葉が、彼女には聞こえてくる。
「うーん、しかしヨハン君が誘拐されるなんてなあ。やはり早く身を固めるべきだと、私は思うよ」
対してセメタスはそれが聞こえないかのように、腕を組んで考え込むように首を捻っている。
「それこそウチの娘と結婚してくれれば、君は我がファランドール家の一員となる。貴族であるウチの名を持てば、そんじょそこらの悪党は近寄ってこないだろうさ。何せ、ウチの娘はゲオルクに適応した
先ほどのヨハンの言葉と合わせて、スカイはなるほどと納得した。
領地を取り上げられて衰退が始まっている今、セメタスは生き残りをかけて金持ちであるヨハンとの婚姻を企んでいる。古より伝わる玉の輿戦法だ。
それを知っているからこそ、彼も冷たい態度を取っているのだと。
「お心遣いは嬉しいですが、娘さんはぼくにはもったいない方です。他にも良い縁談は、たくさんあると思います」
「いやいや、そんなこと言わずに。ほら、昨日だって娘が……って、あれ。君、誰だい?」
そこまで話した時、セメタスはようやくヨハンの後ろにいたスカイの存在に気が付いた。自分より背が高い女性の姿すら目に入っていなかったということは、よほど彼のことばかり考えているのだろうと彼女は察する。
「初めまして。ヨハン君のボディーガードとなった、賞金稼ぎのスカイと申します」
とりあえず丁寧に対応しておこうと、スカイは会釈交じりに挨拶をした。顔を上げてみれば、セメタスの顔が驚愕に満ちている。
「は、えっ? 賞金稼ぎ? ボディーガード? なんで?」
「昨日誘拐されたぼくを助けてくれたのが、このおばさんなんです」
まだおばさん呼ばわりするのか、とスカイは無意識のうちにヨハンに視線を送る。しかし涼しい顔をしている彼には届いていない。
「えっ? 誘拐から助けてくれた? このおばさんが?」
「んんッ!」
戸惑っているセメタスにすらおばさん呼ばわりされ、スカイは大げさに咳払いをしてみせた。
「ええ、アタシが助けました。相手はガールズハウスという空賊でしたが、アタシからしたら赤子の手をひねるようなものでしたよ」
「このおばさん、腕は確かだから心配しないで」
「ヨハン君の警護はこの、お姉さん、にお任せください」
ヨハンも後押しするような言葉を添えてくれたが、スカイには追い打ちにしか聞こえなかった。このままではセメタス相手にも、おばさんで定着してしまうと恐れを抱く。
「そ、そそそそう、なんだ。よ、良かったねー、ヨハン君」
スカイの危惧を余所に、セメタスは噛み噛みであった。ぶわっと顔中から汗が噴き出したかと思うと、急いで取り出したハンカチで拭っている。
「と、とにかく、無事で何よりだよ。あっ、私はそろそろ用事があるから、ここらでお暇するね。じゃ」
一通り汗を拭い終わった後、セメタスはそそくさと応接室を後にしようとする。入口にたどり着いた時、ちょうどお茶とお菓子を持ってきたラウラと鉢合わせになった。
「あらセメタスさん。ちょうどお茶が入ったとこですよ、どうですか一杯?」
「い、いえいえ。き、今日は急用があるので、この辺」
その時、部屋中に響くのではないかというくらいの鈍い音が響いた。何事から一同が顔をしかめてみれば、セメタスが絶叫する。
「アアァオッ!?」
スカイが目を向けてみると、彼は右足を押さえてピョンピョン跳ねていた。どうやら扉の角で足の小指を思いっ切りぶつけたらしい。
「で、では皆さん。ごきげんよう」
あまりの痛みに涙目になりながらも、セメタスは一同に会釈をして帰っていった。歩き方がぎこちなかったことからも、足に相当のダメージが入ったなと、スカイは一人で彼を憐れんだ。
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