今日は、記念日。
目を閉じて、空気を吸い込んだ。
「夏の匂いがする……」
実際どんな匂いかと問われると、わからないけれど、そんな気がした。
左手に握った四葉のクローバーが風を受けて少しだけ揺れる。
『希望』『幸福』……
四葉のクローバーを見つけると、幸せになるなんて言うけれどそれはきっと花言葉からきているのだろう。
だとしたら、今僕が抱えるこの真っ黒な気持ちもこの四葉のクローバーなら叶えてくれる。
3年目の着慣れた制服。
少し汗ばんだ夏服は、長袖で、僕の腕の消えないバーコードを隠し、ただ暑さだけを残す。風になびくスカートは、僕を物語の主人公だと勘違いするかのようにドラマのワンシーンを演出する。
校舎から、校庭から聞こえてくる、いつもなら暑苦しくうざったいと感じる放課後のうだるような喧騒は、今日の僕に届かない。なぜだか、心地よさすら感じるくらいだった。
「Hum…Hum…」
今の僕にぴったりな曲を口ずさむ。
その歌詞の通りに空を見上げると、そこには、ちらほらと雲が泳いでいて、雲の集団からはぐれたひと房が、自分と重なった。
その雲もやがて、雨粒になって、落ちて、落ちて、落ちて、落ちて、誰かの頬を流れるのだろうか。
いじめられているわけじゃないこと、僕はわかっているよ。その雲に心の中から伝える。
いじめられてるわけじゃないし、それなりに、友達だと言ってくれる子もいて。
でも、心は寂しいんだよね。言い表せない苦しさがあるんだよね。呼吸ができなくなるんだよね。
古びた金網をまたぎ、そこに立ってみると意外にも恐怖心は湧かなかった。
深く息を吸ってぎゅっと目を閉じる。
今まで、流したくても流せなかった涙が、流れた気がした。
怖いからじゃない。辛いからじゃない。
体の中に合った重い何かがすっと消えた気がしたから。
『どんな場所が待ってるかな』
そんなバカみたいなわくわくが心の音を早くする。
あなたが一歩踏み出せば世界は変わる、なんてありきたりな言葉のCM。
ねぇ、その言葉、今あなたは僕に言えるのかな。
一歩じゃなくていい。たった半歩。それでいい。
踏み出してみたい。
恐怖心がない代わりに場違いな期待が湧く。
人間には、羽などないのだ。翼なんてないのだ。
そんなのはわかってる。
でも……飛び方は知っている。わかってる。
大人になる前に、僕にしかわからない羽をなくしてしまわないうちに、
この翼を広げて、飛ぼう。
明日には飛び方すら忘れてこのどす黒い闇の中に落ちてしまうかもしれないから。
きっと。
きっと、飛べるだろう。
そして、今日が記念日になる。
二つ目の誕生日、お祝いをしよう。
目を開くと、きれいな空が広がっている。
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