第656話 デーレンの覚悟

「愛人? デーレンは大商会の娘なんだから婿なんていくらでもいるだろ?」


貴族街で一番大きい商会だったのは過去の話。落ちぶれた訳ではないが、ロドリゲス商会の方が大きくなっている。 


マルグリッドは商品の仕入れはロドリゲス商会から、結婚式やイベントの集客や斡旋、実行をデーレンに任せているとのこと。


「デーレンはジョンの愛人になる予定ですの」


は?


「愛人?」


「もちろん私をかまった上での話ですけど。それに私も子供が出来れば常にお相手出来る訳ではありませんわ。殿方はそういう期間でもお相手してくださる方が必要なのでしょ?」


あ、うん・・・ 旦那が浮気するのは嫁の妊娠中が多いからな。


「第2夫人や第3夫人というのもありますけれど、後継ぎ問題が発生しますの。領地持ちならそれでも構わないのですけれど」


確かに引き継ぐのはこの屋敷と結婚式場だけだからな。子供だからというだけで護衛団に入れるわけではない。


「その点、愛人ならばその心配もございませんし、タイカリンも後継ぎが生まれたら万々歳ですしね。貴族街相手の商会にとって貴族の血を引く者が跡取りになるなんてチャンス以外何物でもございませんわ。私もどこの馬の骨ともわからない女が愛人になるよりも信頼のおける身元がしっかりした者の方が安心ですのよ」


俺には理解出来ない世界だけど、バリバリの貴族の考え方だと普通の発想なのだろう。は? とか思うけどお互いが納得して利害が一致しているのなら俺が口出す事ではないのかもしれない。


「それがなんで俺の愛人とかになるのさ?」


「ここに来ればバレませんでしょ? デーレンは常にここに出入りしてますし、ドアで直接来て帰ればジョンも気付きませんわ。ゲイルとの子供ならきっとタイカリン商会にとっても有望ですのよ」


俺に使えとくれた部屋は少し離れた場所にある。確かにあそこならこっそり来てこっそり帰ってもわからんだろうな。


「ジョンの愛人予定なのに俺の愛人って?」


「ゲイルが気に入ればジョンのお相手は別に探しますわ。お試しになって気に入らなければそのままジョンのお相手にと考えてますの。それに愛人とはいえ、初めての娘だと情が沸いてしまうかもしれませんしね」


なんだろ・・・ 女性を商品みたいに言うのはおかしいと思うのだけれどとても合理的な考え方だとも思ってしまう。デーレンは真っ赤になりながらも大商会の娘として覚悟を決めているのだろう。無理やりマルグリッドに言うことを聞かされているような感じでもない。


「いや、その、俺はこういうのは・・・」


ガチャ


「ゲイル早かったな。これでも早く帰ってきたつもりだったんだがな。おっ、デーレンもいるのか。ちょうどいい。お前達同級生で会うの久しぶりだろ? 一緒に飯食っていけ」


ジョン、絶好調だなお前。こっちはえらいことに巻き込まれてんだぞ? 今の空気の読めなさ加減はアーノルドとそっくりだ。


デーレンは立ち上がってお帰りなさいませジョン様とキチンと挨拶をしていた。


晩飯時もジョンは上機嫌で仕事の話をする。エイブリックとアルがまだ遊びに行く件で揉めてるらしい。デーレンは緊張しているのかあまり食が進んでおらずワインばかりを飲んでいた。ここのワイン旨いよな。


夕食が終わり、少し飲んで歓談。


「ジョン、明日も早いのでしょう? 先にお風呂に入っていらしたら? ゲイルはこれからちょくちょく来てくれますわ」


「それもそうだな。じゃ、先に風呂に行ってくる。ゆっくりしててくれ」


「デーレン、あなたは先に休んでなさい」


「はい、奥様。お先に失礼いたします」



皆が居なくなったのを確認して話し出す。


「マリさん、俺は愛人なんていらないんだけど」


「分かってますわ」


え?


「ゲイルは昔から多くの女性に囲まれてますもの。それもあらゆるタイプの女性、しかも種族を問わず選り取りみどりですわね。それでも誰にも手を出さずこの歳まで経験ないのでしょ?」


このボディではな。


「それが分かっててなんで?」


「庶民が貴族相手に商売をするのにはメリットも大きいですけど、色々な覚悟が必要ですの。それこそデーレンみたいな若くて綺麗な娘は一夜限りのお相手を申し付けられる事も少なくありませんわ」


そうなんだ・・・


「デーレンは誤解されがちですけど、良く出来たいい娘なのはゲイルもご存知でしょ?」


「そうだね」


「私はあの娘を気に入ってますのよ。ですから・・・」


なるほど、ジョンの愛人というのは他の貴族から守るためでもあるのか。


「で、俺の愛人にってなんでなの?」


「あの娘、ゲイルの事が昔から好きだったみたいですわ」


は?


「顔を合わせたらギャンギャン噛みついてくるけど?」


「あの娘なりの愛情表現ですわ。自分の事には不器用なのよ。ジョンの愛人になることはデーレンも納得してますわ。ジョンの事も嫌いではないみたいですしね。でも・・・」


「でも?」


「せめて初めての相手は好きな人と経験させてあげたいの。ゲイル、デーレンに情けをあげて下さらない?」


これは参った・・・ こんな事を聞かされて嫌だよとも言いにくい。



「風呂空いたからゲイルも入って来いよ。温泉じゃないけどなかなか立派なんだぞ」


うん、2回ほど見させてもらったから知ってる。


「あぁ、ありがとう」


「俺は明日早いから悪いけど先に休ませて貰う。アルが陛下と仕事前に話し合うみたいでな」


「二人とも休み取れる体制にしたらとアドバイスしてあげてよ。そしたらジョンも休めるだろ?」


「だな、タイミングを見てそうするわ」


俺の事は気にせずゆっくりしていってくれと言い残してジョンは寝に行った。



マルグリッドにお風呂どうぞと言われて入りにいく。ちゃんと男湯と女湯は別れてんだな。


もしかしてデーレンがいるのか? とか思ったけどその心配はなさそうだな。


ふぃーー、ちょっと深いお風呂だから肩までゆったり浸かれるな。


さて、デーレンの事はどうしたもんかな?


事情を考えると恋愛感情抜きにデーレンといたしても問題無い気がする。しかし、悲しそうなシルフィードの顔も浮かぶ。それにいたしてる最中に、「ぶちょー、なにやってんの?」とかめぐみが来そうな気がする。それはそれで最悪だ。


ブクブクブクブク


答えの出ないゲイルは深めの風呂に意味も無く潜っていた。



のぼせ気味で風呂を出て、マルグリッドにお先と言ってから部屋に向かうと、ベッドの上に座ってるネグリジェ姿のデーレンが居た。俺を見るなり真っ赤々だ。俺も真っ赤だがこれは風呂のせいだ。


「はっ、初めてなんだから優しくしてよねっ」


「デーレン」


ビクッ


「なっ何よっ・・・」


「事情はマリさんから聞いた」


「そっ、それで?」


「俺はお前を抱けん」


「えっ?」


「お前の事を嫌いとかそんなんじゃないんだけどな。俺にはその気が無いんだよ」


「わっ、私に抱く価値も無いっていうの・・・」


ぼろぼろと泣くデーレン。


こうなるよなぁ・・・


「価値とかそんな問題じゃないんだよ」


「なら、そっ、そんなに魅力が無いって言いたいの? 男の人は女を抱きたい衝動があるんでしょっ」


「いや、お前は可愛いよ。初めて会った時からそう思ってた。顔を会わせると喧嘩みたいになってたけど、俺はお前をわりかし気に入ってたんだ」


面倒臭いとも思ってたけどな。


「嘘っ! へんな慰め方しないでっ! 嫌いなら嫌い。抱く価値も無いなら無いとハッキリ言いなさいよっ」


「お前の問題じゃない。俺の気持ちの問題だ」


「え?」


「お前の覚悟に答えるのに俺の秘密を話すわ」


「秘密?」


「この事を知ってるのは婚約者扱いのシルフィードの父親しかしらん。シルフィードと結婚出来ない俺の気持ちの理由を話すのに必要だったからな。この事は父さん達もダンや他の仲間にも言ってない」


「そんな秘密を話してくれ・・るの?」


「今の俺がデーレンにしてやれる精一杯の事だと理解してくれ」


「そんな秘密を話していいの?」


「お前の覚悟と気持ちに応えてやれるのはこれしかないからな」


「うん・・・」



「俺には前世の記憶がある」


「え?」


「前世で結婚して子供も居た。その記憶があるんだよ。だから俺の中では俺は既婚者なんだ」


「えっ? でももうその人達には・・・」


「勿論会えないさ。でもな俺は結婚する時に一生愛し続けるとプロポーズして約束した。それがまだ俺の中では生きている。妻だった女性の若い頃から歳を取るまでの姿も全部覚えている。子供も生まれた時から大きくなるまでの事もな。だからな、他の人とこうなるのはその家族を裏切るような気がするし、この記憶が薄れてしまいそうで怖いんだよ」


「そ、そうなの・・・」


「だから俺は死ぬまで誰とも結婚しないし、誰ともそういう関係にならないと決めてるんだ。お前の気持ちに応えてやれなくて悪い」


「・・・・・」


「ねぇ」


「なんだ?」


「わ、私の嫌いじゃないって言ったのは本当?」


「本当だ」


「わ、私の裸を見て少しは欲情した?」


「あー、少しな」


「こ、ここで抱いても誰にもバレないのにしないの?」


「バレるバレないの問題じゃないからな」


・・・

・・・・

・・・・・


「秘密を話してくれてありがとう」


「あぁ」


「お願いを一つだけ聞いてくれる?」


「なんだ?」


「だっ、抱きしめてく、く、くれないかな。それくらいならいいでしょ?」


まぁ、それぐらいなら・・・


デーレンは立ち上がったのでそっと抱き締めた。義務教育の入学式の時は俺よりすこし大きいかなと思ったデーレンは今は小さくぎゅっと抱き締めると壊れそうなぐらい華奢だった。


「ゲイルってこんなに大きかったんだね」


「父さんと同じくらいになったからな」


「ねぇ・・・」


デーレンはそういって目を閉じて顔を上げた。


俺は口ではなく、デコにキスをした。


「おでこにしかしてくれないのね」


「お前の初めてはもっと大切な人が出来た時に取っとけ」


「私はジョン様の・・・」


「多分な、ジョンもお前の事を抱かないと思うぞ」


「えっ?」


「ディノスレイヤ家はみな一途なんだよ。父さんも母さん一筋だし、ジョンもマリさんを一生守ると誓ってるしな。あのジョンが約束を違えるとは思わん。だからお前は自分の事を一途に思ってくれる人を見つけろ」


「そんなの無理よ。商会を守らないといけないもの」


「お前の気持ちはマリさんが一番分かってくれるさ。それにこんな事をしなくてもジョンもマリさんもお前を守ってくれる。心配すんな」


「で、でも・・・」


「もし、それでもお前に手を出そうとするヤツが居たら俺のお手付きだと言え。それでもダメならそいつを俺がこの世から消滅してやる」


「え?」


「お前を守る魔道具を作ってやる。これはお前の裸を見てしまった詫びだ」


「そんなの出来るわけないじゃない」


「出来るさ。俺はめぐみの代行者だからな」


「え?」


「今の俺には仲間に女神も魔王もドラゴンもいる。なんでも出来るさ。俺も人でなくなってるかもしれんしな」


「ふふっ、人じゃないなんて」


冗談じゃないからなこれ。


「ゲイル」


「なんだ?」


「好き」


「ありがとう。応えてやれないけど、気持ちはありがたくもらっておくよ」


「うん」



俺はそう答えた後にデーレンの背中をトントンして寝かせたのであった。


















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