第13話「不ラトーン」

*栗トン、めくり札めくって、

▲13「不ラトーン」


春ドン 係官は仮面の人に圧倒されて、祖クラから毒杯を受けとろうとしました。

   係官が手を伸ばしました。しかし、しかしです、あの方は、あの方は係官の手

   を制しました。そして、おだやかな声を発しました。


祖クラ 不ラトーンよ、貴君は不ラトーーンだね。それだけ確認しておこう。

不ラトーン ハイ祖クラ、師よ。

祖クラ 君は私から何を学んだのだろう。何か勘違いしちゃーいないか。

不ラトーン どういうことでしょう。

祖クラ 君は自分がどういうまちがいを犯しているか知りながら、そのまちがいに

   仮面を付けさせ、いっときの乱暴によって、横暴な裁判に対してあらがおう

   としている。

不ラトーン 死んでしまってからでは取り返しがつきません。

祖クラ その話は、今日これまでのダイアローグで解決したのだヨ。

栗トン 祖クラ、しかし不ラトーンがせっかく骨を折ってくれたんだ。並大抵の骨

   折りではなかったとおもうヨ。政府の要人と話のできる家柄の不ラトーンだ

   から高等監察官を説得できたのだ。善意を受けとってくれ。

春ドン/加マル/蝉アン 祖クラ、祖クラよ! わが師よ。

祖クラ 諸君、ちょっと不ラトーンと話をさせてくれないか。


春ドン 祖クラは一向に昂奮することはありませんでした。仮面をかぶった不ラト

   ーンにいいました。

祖クラ 高等監察官が処刑を中止せよと命じたといったネ君は。

不ラトーン ハイ、まちがいなく、そういいました。

祖クラ それは正式な手続きを踏んでなされた中止命令ではないだろう。

不ラトーン いえ……、それは……、ちょっと事情が……このような時だけに。

祖クラ 分かっているんだ。君が精一杯の親切で走りまわってくれたことは。だが

   その心情は、罪をつくって私を死刑判決におとした人たちとおなじではない

   だろうか。根っこはおなじだ。不ラトーン、いや目の前の君は不ラトーンじ

   ゃない。不ラトーンはこんな理不尽なことをしやしない。私にではなく、私

   の教えに忠実な男だからネ。

不ラトーン 根っこも何もおなじじゃありません。あの連中ときたら、未来への道

   筋を語る偉大なる哲学者を死刑におとしめ、私は反対にいのち永らえてもら

   おうと努力をしています。

祖クラ 仮面の人よ。君は何もかも承知で、そんな詭弁をならべている。詭弁哲学

   は私の志す学問ではない。

不ラトーン 死ぬ生きるのいま、学問のスタイルなどうでもよいと思いませんか。

   詭弁であろうと何だろうと、生き残ってから整理整頓できます。

祖クラ 仮面の人よ。君は親切で情の篤い人だ。だが、もうやめよう。こういうの

   はダイアローグの形を採った手品師の口上みたいなものだ。

不ラトーン 祖クラ、わが師よ。あああー私はどうしたら……

祖クラ 蝉アン、加マル、春ドン、幼ななじみの栗トン、それにここにつどってく

   れた友よ、役人の人たちもね、私はいうよ、「さよーなら」


          *春ドンの台詞を邪魔しないように、各自、声をころして、

          次に春ドンがいうことばのかたち「号泣」「忍び泣き」「悔しが

          る」「中空をあおぐ」「膝をつく」を執る。


春ドン 私たちは胸が押しつぶされました。切なさに自分を見失う人もいました。

   憚らず号泣する人、顔をおおって忍び泣きする人、足もとの地べたを叩いて

   悔しがる人、何とか落涙をとどめようと中空をあおぐ人、腰がくだけて膝を

   つく人――


祖クラ あきれた人たちだ。こんなことになりはしないかと、クサンティッペを家

   へ送りかえしたのに。

春ドン 私たちはそれを聞いて恥じいり、それ以上泣くのを喉もとで押さえました。


祖クラ それより皆にお願いしたい。私の門出に、各自のふるさとの唄や好きな歌

   をうたってくれないか。いつか、エロスを主題にして酒を呑みながらシンポ

   ジウム(饗宴)をやった。あのとき、皆、それぞれが自分の歌をうたって、

   バラバラの筈なのに、心地よかった。


          *泣いていた人も天を仰いでいた人も、祖クラのほうへ顔を

          むける。


祖クラ 調和はよいことのように処理されることが多いのだが、一つのものに調和

   する、調和させられるというのは、時にあやういことだ。加マルと蝉アンは

   別々の人間であるがゆえにそれぞれの美を持つのに、調和を理由に一人の人

   間にさせられたらどうだろう。二人ともどこかに消えて見ず知らずの人間が

   できあがりはしないか。


          *祖クラ、天を仰ぎ地に目を落とし、小さなマ。


祖クラ ああ、少しだけ回想を許してほしい。別の学派に属していた加マルと蝉ア

   ンは、私の主張を打ちやぶろうとして、私の家の庭に現れたのだった。すご

   い形相で、いまにも殴りかからんばかりに。ところが、充分にダイアローグ

   すると、突然、私の膝もとに伏して、弟子にしてほしいといった。そうだっ

   たネ。二人とも誠実だった。

    春ドンは少年兵士だったが戦さにやぶれて、奴隷として市場に出されてい

   た。それを私が解放して、好きなところに行けといったんだが、黙ってつい

   てきて、いまは雄弁な哲学者だ。努力家だ。

    不ラトーンは論述にもすぐれ、文章家としても大成するものを早くから持

   っていた。だが不便だったろう。家が名門だったので、自分のことばを自由

   に発することができなかった。ゆえに広場での論述より、屋内で一人ででき

   る文章のほうにかたむいた。だのに、今日のような命がけのこともする。ふ

   だんは情熱をかくした度外れた情熱家だ。

    栗トンは私の哲学を成長させてくれた。私の哲学は栗トンの心でできてい

   るといってもいい。論述は全然別だがネ。彼は〈汗を流し、考えないこと〉

   が哲学だと主張してゆずらない。考えちゃー駄目だとかたくなだ。私とは正

   反対のようだけれど、妙に波長が合った。こういう調和は絶品だ。

    ここにいるほかの人たちのことも、一人ひとりいえるサ。でも夕暮れが催

   促している。さあ、君たちの歌を聴かせてほしい。


春ドン そういうと祖クラは、脇に置いていた毒をさもうまそうに呑みました。水を

   呑むように、さもうまそうに。


皆々・ アッ!


春ドン 一瞬のことでした。皆、「アッ」と声を挙げるのがせいぜいでした。ひと

   ことも、ひとゆびも、差しはさむ余裕はありませんでした。


皆々・ 祖クーラ、祖クーラー、――

――――――――――――――――――――――――――――――――

●朗読者募集プロアマ不問。但し具体的計画はなし。稽古程度にやってみたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る