第12話「処刑中止」
*栗トン、めくり札めくって、
▲12「処刑中止」
春ドン あの方が沐浴から戻って来られたとき、お子さんたちが連れて来られまし
た。あの方には、二人の小さなご子息と、もう大きくなった一人のご子息が
いました。奥さまと身内の方々もやって来ました。あの方は、栗トンの面前
で奥さまと話をされましたが、すぐに帰し、私たちの処へやって来ました。
朝早くから来たのに、もう日暮れが足もとに転がっていました。私たちは
それほど長く、いや、アッというマでしたが、牢獄の中ですごしました。ほ
どなく役人がやって来て告げました。
*役人1、登場。
役人1 祖クーラ。私はあなたを非難しません。他の連中ときたら、刑務委員の命
令によってさいごの時を告げている私に腹を立て、呪いのことばをぶつけま
す。でも、あなたは別です。あなたは高貴で、最も立派な哲学者です。立腹
を向けるべき相手が、かの人々であることを知っています。
*涙声を押さえるように。
役人1 その時が来ました。偉大な哲学者・祖クーラ、私はここでサヨナラをしま
す。
*もう落涙を押さえきれず。
役人1 もう少し経ったら、そこにいる下部(しもべ)の子を寄こして下さい。別の者
が薬を持参します。
春ドン 役人はそういい、涙を流しながら去って行きました。祖クラは彼のほうを
見て、いいました。
祖クラ 君もまた、さようなら。
春ドン そして私たちにいいました。
祖クラ 何て上品な男だろう。彼はいつも私の処へ来てくれた。ダイアローグを楽
しむこともあった。いまもまた、何と気高い涙を流してくれたことか。――
栗トン、私の心は穏やかなものだ。早速、彼のいいつけに従おう。
春ドン そのことばに、栗トンは驚いたようにいいました。
栗トン 祖クラ、太陽はまだ沈みきっちゃいない。あの気高い役人が、もう少し経
ったら、といったじゃないか。まだ少しも経っちゃいない。私は知ってるん
だ、他の人はすぐに薬なんか飲みやしない。さんざん飲んだり食ったり、あ
る者たちは好きな者と交わりさえしてからだそうだ。だから……だから。
祖クラ 栗トン、そうする人たちは、そうすることで儲けたと思うのだろう。私は
そう思わないのだ。それだけのことだ。
*栗トンは怒ったように。
栗トン それだけのことじゃない。大きなことだ。
祖クラ 栗トン、幼ななじみの栗トン、私の哲学は君の励ましで成り立ったんだ。
ありがとう、ありがとうございます。
春ドン 栗トンはそれを聞いて、祖クラの気持ちはゆるがないと思ったのでしょう。
仕方なく、そばにいた下部の子に合図しました。子どもが出て行って、まも
なくすると先ほどとは別の役人が入ってきました。役人は毒薬の入った器を
持っていました。
*役人2、登場。
祖クラ よき友、係官よ、どうすればよいかね。
春ドン あの方がそう訊くと、役人は平静を装って答えました。
役人2 かんたんです。飲んだら足が重くなるまで歩きまわって下さい。それから
横になっていただくと、薬がよく効きます。
春ドン 係官はそう答え、毒杯を差し出しました。あの方はそれを受けとり、上機
嫌な様子でたずねました。
祖クラ この飲み物を、神への捧げ物として、少しばかり注ぐのは許されるだろう
か。
役人2 祖クーラ、お気持ちは尊いですが、適量しか入っていないのです。
祖クラ そうか。でも祈ることは許されるね。あの世への移住が幸福なものである
ように、祈るくらいはネ。
春ドン そういって、たいしたマもおかず、あの方は毒杯を無造作にあおろうとし
ました。私たちは、〈もう駄目〉でした。私は顔をおおって嘆きました。栗
トンは涙とともに外へ出て行きました。アテネ人たちは、前から涙をソッと
流しつづけていたのですが、ついに号泣しました。それが、そこにいたすべ
ての人の心を引きちぎり、みんな〈もう駄目〉になりました。その時です。
*仮面の人、登場。
春ドン その時です。仮面をつけた人が入ってきて、厳粛な声でいいました。
仮面人 処刑は中止する。高等監察官の命令だ。
春ドン 皆、唖然としました。何が起こったか、判断できませんでした。
仮面人 係官、毒杯を祖クラから戻しなさい。
役人2 しかし、いまのいま、わたくしは死刑執行を命ぜられて、ここにいるので
す。
仮面人 係のお役人よ、いまのいま、わたくしが高等監察官の命令を伝えたのだヨ。
ここの所長はすでに知っている。心配するな。処刑は中止だ。
春ドン 処刑中止――それは欣喜雀躍すべきことなのに、私たちはうまく反応でき
ませんでした。まったく想像していなかったことなので、頭の中も胸の中も
整理つきませんでした。それに、処刑中止と告げたその声に、私たちは聞き
覚えがあって、アレッ?という混乱の入りまじった感情につつまれたせいも
ありました。栗トンが声を発しました。
栗トン その声は……
春ドン 栗トンの声にさそわれて、加マルと蝉アンが叫びました。
加マル/ 蝉アン その声は……
春ドン 私は仮面のおとこにいいました、「君はたしか、病気でふせっていたので
はなかったのか。どういうことだ」。ですが、彼はわたくしには答えず、祖
クラにいいました。
不ラトーン わが師よ、こんなに遅れて申し訳ありません。裁判の不正を訴え、高等
監察官に調べ直しをしてもらうよう長々と説得しておりました。危ないところ
でした。毒を呑むのはすっかり日が暮れて真っ暗になってからだと思っていま
したので、まったく危ないところでした。
栗トン 間に合ってよかった。お手柄じゃないか。
蝉アン そうか、それで病気だと目くらましを使ったんだな。
加マル なかなかやるなあ。
春ドン 皆の安堵の声を聞いて、仮面の人は係官に対して手振りと身振りでうなが
しました。早く毒杯を祖クラから戻せという催促です。係官はその雰囲気に
圧倒されて、祖クラの前に行って毒杯に手を伸ばしました。
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