第10話「3と2」
*栗トン、めくり札めくって、
▲10「3と2」
春ドン 偉スクスの「つづけて下さい」というその声は昂奮しつつも、澄みきって
いました。ピタゴラス派の彼らが、私たちの、あの場における鼓動を理解し
たのです。そのあと、あの方はたしか、次のようにおっしゃいました。
祖クラ さて加マル、君の主張はこうだろう。――蝉アンは栗トンを凌駕する[大]
なる存在だが、春ドンには凌駕される[小]なる存在だとしよう。そのとき、
蝉アンの中に、固有の[大]と[小]の両方が分有されているという理解で
いいんだね。
加マル そうです。そういう分有説だと理解して下さい。
祖クラ けれども、実際は、蝉アンが栗トンを凌駕するというものが実在するわけ
ではない。蝉アンが栗トンを凌駕するのは、蝉アンが蝉アンであるからでは
なく、蝉アンがたまたま持つにいたった[大]によってであり……
春ドン そこで、あの方はほほえみながらことばを止めて、
「どうやら、私の言い方は契約文書のようで、よくないね」
といい、別の比喩を提出しました。
祖クラ 雪が雪でありながら、[熱]を受けいれて、雪であることを保ちながら[熱
い]ということはないだろう。[熱]が近づけば、雪は[熱]に場所をゆず
って退却するか滅亡する。火も、[冷たいもの]が近づけば、それに場所を
ゆずって退却するか滅亡する。火は、冷たさを受けいれて、以前の火であり
ながら[冷たい]というようなことにはならない。
加マル 祖クラ、おっしゃることは美しい真実です。
祖クラ 物は、次のような事情をもつ。形相(ぎょうそう)=つまり顔かたちそのもの
は常に自分自身の名を当然のこととして要求する。そればかりでなく、その形
相と同じ特徴をもつ他のものもまた、元の形相と同じの名を要求するのだ。次
の例で、私のいうことは明瞭になるだろう。
加マル 伺います。急いで下さい祖クラ。
祖クラ 数字の[3]は奇数という呼び名を持っていて、常に自分自身の名前[3]
で呼ばれるべきであると主張する。しかし、奇数は[3]そのものと同じで
はない。偶数にしても、同じことだ。加マル、君はこのことに同意するだろ
うか、しないだろうか。
*加マルは日暮れが迫っていることに焦る。祖クラの考え
には同調するが、焦りと格闘しなければならない。しかし、
答えは誠実におこなう。
一方、祖クラは加マルの焦りを気にするふうはない。
加マル どどう、どうして、同意しないことがありましょう。でもヒッヒー日暮れ
が……
祖クラ 私が明らかにしたいのはこの点なのだ。先に論じた、反対そのものだけが
他を受けいれないのではなく、相互に反対ではないのに、常に反対の性格を
持つものもまた他を受けいれないということだ。数字の[2]は偶数である
という点では、反対の奇数を受けいれない。しかし[2]は[3]と反対の
立場にはないが、[3]を受けいれることはない。このようなことさ加マル。
加マル 分かります祖クラ。ああ日はおちる、偉大なる祖クラとは無関係に、日は
おちる。
祖クラ 加マル、何をあわてているんだ。私が偉大だなんていっちゃーいけないヨ。
私は愚図の阿呆だ。だから誠実にまむかうだ、疑問にネ。君自身に、私自身
に。
加マル ハイ誠実は疑いようがありません。つづけて下さい、はやく。
祖クラ そうしよう。数字の[2]は偶数であるという点では、反対の奇数を受け
いれない。しかし[2]は[3]と反対の立場にはないが、[3]を受けいれ
ることはない。ここから理解できることがある。理性によってのみ認識しう
る実在、これをイデアと呼ぶことにするが、そのイデアは単に反対のものの
接近に耐え得ないばかりではない。反対ではないものの接近にも耐え得ない
のだ。[2]と[3]の関係のようにね。日蝕を水に映して観察すればとい
う説明をしているのだがネ。
栗トン 注釈「イデア」について。イデアは語源的にはギリシャ語の「見る・知る」
という意味の動詞の変化形。理性によってのみ認識されうる実在。価値判断
の基準となる永遠不変の価値。といわれても、すぐには分からない(笑い)。
加マル 分かります、祖クラ、そのとおりです。
春ドン そこで、あの方が、
「では加マル、これらのことを整理してみよう、もし私たちにできることな
らばネ」
というと、加マルは、
「はい、あなたと一緒なら、できるでしょう。あなたと一緒なら、きっと」
と答えました。
ここから、あの方と加マル、あの方と蝉アンのダイアローグが終盤に入り
ます。
祖クラ 加マル、答えてくれたまえ。身体に何が生ずると生きたものとなるのか。
加マル タマシーが生ずると、です。
祖クラ では、生に反対のものは何だろうか。
加マル 死です。
祖クラ 先の議論で同意されたように、タマシーは、自分が常にもたらすもの[生]
とは反対のもの[死]を、決して受けいれないのだね。
加マル はい、[生]は[死]を受けいれません。
祖クラ では、偶数のイデアを受けいれないものには、何と名づけたらよいだろう。
加マル 非偶数的なものです。
祖クラ 死を受けいれないものは。
加マル 不死なるもの、と呼べばよいでしょう。
祖クラ それなら加マルは、タマシーは不死なるものと認めるだろうか。
加マル 認めますとも、もちろんです祖クラ。
祖クラ では次だ。死が人間に近づくと、人間のうちの死ぬべき部分は死ぬが、不
死なる部分は滅びることなく、安全にそこを立ち去ってゆく。それがタマシ
ーといわれるものである。加マル、そうは思われないか。
加マル そう思います。
祖クラ すると、タマシーが不死であり、不滅であることには、疑問の余地がなく、
私たちのタマシーは、本当にハデス=冥界に存在することになる。どうだろ
う加マル。
加マル わたくし加マルは、その結論に対して、何か別のことをいうことはできま
せんが、わが友・蝉アン、君はどうだろう。ほかの誰かにしても同じだ。何
かいうことがあるなら、この機会をのがさないでくれ。次の機会が訪れると
は考えにくい。蝉アン、何かいってくれないか。
蝉アン 加マル、私自身もまた、これまで語られてきたところからすれば、もはや
不信の念をいだきようが無い。しかし、言論の大きさのために――
*蝉アンはここでことばを切って、咳きこみ、涙声で。
蝉アン また、自分の人間の弱さのために――
*また、ことばを切って、苦しそうに。
蝉アン なお不安をぬぐいきれないのだヨ。
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