第9話「次善の策」

*栗トン、めくり札めくって、

▲9「次善の策」


春ドン ここで祖クラは沈思黙考しました。そしてこういいました。

祖クラ 加マル、君の求めているのは容易ならぬものだ。生成=物の発生と消滅に

   ついて、徹底的な論考を求めている。これについて、私の経験を話してみた

   いのだが。

加マル 祖クラ、是非お願いします。

祖クラ 私は若い頃、自然学に関する知識に熱中したことがある。事物がなぜ生じ、

   なぜ滅び、なぜ存在するのか、そんなことについてだ。私たちが思索をめぐ

   らすのは、血液によってか、空気によってか、などと考えた。知識が生じる

   のは、脳が聴覚・視覚・嗅覚などの諸感覚を提供することから、記憶と判断が

   生じ、記憶と判断が安定することで、知識が生じるのか、そんなことも考え

   た。

    しかし、この自然学の研究によって、私は強烈な気付きに襲われたのだヨ。

   以前には知っていると思っていたことも、ホントは知ってはいなかったと認

   めるようになったのだ。なぜ人間が成長するのか、それは食べることや飲む

   ことによってであるという、すべての人に明らかであったことも、何だか疑

   わしく思われてね。

加マル 人間は食べたり飲んだりで成長するのではないのですか。


祖クラ 加マル、私はね、10が8より大きいのは、8に2を加えることができるか

   らだ、2が1より大きいのは、自分自身の半分によって1を超えてしまうか

   らだ、と思っていた。

加マル いまは、そう思わないのですか。

祖クラ これらのことについて、よく分かっていないということに気づいたのだヨ。

   1が2になったという場合、元からあった1自体が2に変化したのだとか、元

   からあった1に別の1が加わって2になったのだとか、そういう説明を受け容

   れることができなくなってね。

    それぞれが別々にあったときには、それぞれが1であって、2ではなかっ

たのに、相互に近づくことが2になる原因だというのは、私にはまことに不

   可解なのだ。

    また、1を分割すると、この分割が2の生じる原因であるというのも納得

   できない。わが無知を告白するよ。私は無知だ。でも、自分が知らないとい

   うことを知るのは価値あることだと思う。

加マル 祖クラ、話をつづけて下さい。つづきを聞かせて下さい。


祖クラ そんなことで、私は、自然学的方法とはオサラバした。ところが、あると

   き、ある人がアナクサゴラスの書物の話をしていたのを聞いてハッとした。

   アナクサゴラスというのは、万物は無数の種子の混合によって生じ、その原

   動力はヌースだと考えている人だ。ヌースというのは精神と知性が合わさっ

   た理性で、その理性が万物を秩序づけていると主張しているというんだ。


栗トン 注釈「ヌース」について。ヌース:広辞苑は「ギリシャ哲学の用語で精神

   または知性の意。アナクサゴラスは宇宙に秩序を与える原理をヌースと呼び、

   プラトンやアリストテレスも観念の主体をこの語で呼んでいる」と記す。日

   本大百科全書は「古代ギリシャ語で〈理性〉の意。ただし、順を追って過程

   的に思考する推論理性ではなく、全体を一挙に把握する直感理性を意味した」

   と記す。余計分からなくなる、ウフ(笑い)。


祖クラ 私は大急ぎでアナクサゴラスの書物を読んだ。しかし、アナクサゴラスは、

   万物を秩序づけるのは理性だなんていってやしない。空気とか水とか、天空

   の神アイテルが、万物を秩序づけているのだと見当違いを説いていた。そこ

   で私は、原因探求のために、第2の航海――次善の策をさがす航海という意

   味だが――それに乗りだすことにした。加マルよ、君にこの第2の航海を示

   してあげよう。

加マル 是非お願いします祖クラ。


春ドン このように楽しそうに進むダイアローグを、皆は楽しんでいました。そし

   て、あの方は次の扉を開きました。


祖クラ 自然学的方法で、事物の、生成、滅亡、存在の、原因究明に失敗した私は、

   こう思った。日蝕の太陽を観察し、考察する人々がこうむるのと同じ害を受

   けないように用心しなければならない、とネ。太陽をじかに観察したら害を

   こうむる。水か何か、そのようなものの中に映った太陽を見るようにしない

   と目を駄目にしてしまう。

    事物の生成・滅亡・存在の原因の考察にしても、肉眼で事物を直接見たり、

   肉体の感覚でじかに触れたりすれば、タマシーが駄目になってしまう。だか

   ら、太陽を水に映すように、言論、つまりロゴスの中に映して真理を考察し

   ようと思ったのだ。この比喩はまだ適切ではないかも知れない。、加マル、

   私が何をいっているか、分からないだろう。

加マル ええ、まァそのォーよくつかめません。

祖クラ 私が仮説としているのは、美は美、それ自体が存在するということ、善は

   善自体が存在するということ、大きいも大きい自体が存在し、小さいも小さ

   い自体が存在するということなんだ。ここから新しい探求の旅をはじめれば、

   その原因を発見し、タマシーが不死であることを君に示すことができるので

   はないかと思っているのだ。

加マル しかし祖クラ、日暮れが……


カノンABDWの順。

 話の仕上げを▼急いで下さい祖クラ。日暮れが、日暮れが……。


祖クラ 日暮れが迫っている、毒薬を飲む時が、といいたいんだね。分かった。し

   かし、あわてず話そう。また、あの話なので、君を嫌がらせるかも知れない。

   10は8よりも2つだけ大きく、2という原因によって超過しているという話

   も君を嫌がらせるだろう。2メートルが1メートルよりも大きいのは、1メー

   トルが2メートルの半分だという原因であるというのもね。

加マル 祖クラ、正直にいいます。そうなんです。私にはその話がよく分からない

   のです。

祖クラ 君は誠実だ。よくいってくれた。だが、小さな忍耐と友だちになって、一

   緒に聴いてくれないだろうか。

加マル 大きな忍耐とでも友だちになりましょう。

祖クラ ありがたい。1が1に付加されるとき、この付加が2を生ずることの原因で

   ある。1が分割されるとき、この分割が2を生じさせる原因である。こうい

   うことにも君は警戒するだろうか。

加マル 正直にいいます。怖れ、警戒します。

祖クラ そうだね、では、声を大にして叫んでみてくれ。

加マル はい、声を大にして叫びます。――それぞれのものには、固有の本質とい

   うものがあります。この固有の本質が分かれることによってそれぞれのもの

   は生ずると考えます。2が生ずることの原因は、2を分有するということで

   す。1になろうとするものは1を分有していなければなりません。


栗トン 注釈「分有」について。分有:分けて所有すること。一つのものを幾つか

   に分けて所有すること。


祖クラ ありがとうございます。それで君の考えはよく分かったよ。

春ドン 私はそこで、偉スクスにたずねました。「いままで聞いていただいて、ど

   のように思われましたか」。偉スクスは答えました。感慨深げに、こう――

偉スクス 春ドン、その場の鼓動が伝わってきます。私も、この場にいる誰もが、

    うらやましく思います。ああ、うらやましい、ああ何とうらやましいこと

    か。春ドン、まだ日暮れの話に至っておりません。つづけて下さい。


カノンCDWの順。(ゆるらかに、のびやかに)

 つづけて▼下さい。


ユニゾンCDW(消え入るような声声で)

 つづけて下さい。

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