第5話「身とタマシー」
*栗トン、めくり札めくって、
▲5「身とタマシー」
祖クラ 加マルは、こうして何のかんのと議論のタネを探し出し、人を信じようと
しないのだ。どうだい、違うかい、ウフ(笑み)
蝉アン 師よ、祖クラ、加マルは意味のあることをいったと思います。智恵ある哲
学者が、何ゆえ神々のもとから逃げ出すのか、それが分からないというので
すから、意味があると思います。神々のもとからも、私たちの許からも、あ
なたが去るだなんて……
祖クラ 蝉アン、君が、「シよ、祖クラ」と呼びかけたのはよかったね。私はいま
や死に包まれている、それを踏まえて、そう呼んでくれたんだろ。
蝉アン あああ、私は何という配慮のないことばを。
祖クラ 冗談だよ蝉アン、君は真剣で誠実だ。弁明させてくれ。
蝉アン 弁明して下さい。どうか弁明して下さい。
祖クラ 蝉アンに加マル、哲学者が神々の配慮から逃げ出すように見えるそれは、
哲学者にとっては神々のもとに行くことなんだヨ。だから死に臨んで怖れず、
憤慨もしないし、ののしりもしないんだ。
春ドン そのとき、クサンティッぺを送って行った栗トンが帰って来て、何かいい
たそうな素振りを見せました。あの方は幼ななじみの遠慮ぶかさを知ってい
ましたから、表情でうながしました。
栗トン 祖クラ、牢獄の役人が、できるだけ話し合いをしないようにといってきた
んだ。
祖クラ 刑務官たちが、私たちが話し合いをするの怖がっているのかい。暴動を起
こすとでも思って。
栗トン いや、話をして体が熱くなると、毒薬の効きめが悪くなる、すると2倍も
3倍も飲まなくちゃならないそうで、君をできるだけ苦しめたくないという
配慮だと思う。
祖クラ ホッておけ。2倍でも3倍でも飲むさ、味わいながらね。
栗トン 君がそのようにいうことは分かっていたがね。
祖クラ ありがとうございます栗トン。私は善い竹馬の友をもったよ。それで蝉アン
に加マル、哲学のもとで人生をすごしてきた者なら、いかに死に対峙するかを
考えてきた筈だ。ずっと望んできたそのときが来たのに、憤慨するというのは
馬鹿げてやしないか。
蝉アン ナルホド、理屈は分かります。
祖クラ では蝉アン、死について考えよう。死とはタマシーが肉体から分離するこ
とをいうんだったね。
蝉アン そうです。
祖クラ では、これはどうだろう。哲学者は、いわゆる快楽を、たとえば飲み食い
の快楽を熱心に追求すると思うかい。
蝉アン 思いません。
祖クラ 性欲の快楽は。
蝉アン 思いません。
祖クラ そのほかの身体の世話についてはどうだろう。見栄えのいい服や靴や、身
体をかざる何だとかを、哲学する人は尊ぶだろうか。
蝉アン 尊びません。
祖クラ だろう。これで、哲学者は〈タマシーを肉体から解放する者〉であること
は明らかだ。
蝉アン 合意します祖クラ。
祖クラ 哲学者は人々に、こう思われていよう。肉体の快楽に見向きもしないあの
連中は、生きるに値しない。死んでるも同じだ、と。
蝉アン ハイ、そうです。そう思われていると確信します。
祖クラ 次に智恵の獲得についてだ。見るとか聞くとか、肉体に頼るそこからは、
何も真実を得られない。ことほど左様に、肉体の諸感覚は、正確度や明晰度
が低い、これについてはどうかね、蝉アン。
蝉アン そのとおりだと思います。
祖クラ では、タマシーはいつ真理にふれるのか。肉体と協同して何かを考察しよ
うとすれば、タマシーは肉体によってあざむかれてしまう。肉体の諸感覚は
明晰でもなく正確でもないからね。哲学者のタマシーは、だから逃亡し、真
の自分自身だけになろうと努力する。そういうことだと思うがどうだろう。
蝉アン 理にかなっています、まことに。
祖クラ おそらく、真の実在に最も純粋に近づくことができる人は、目や耳などの
肉体から解放されて、純粋な思惟(しい)=純粋な思考を以って努力する人だ。
蝉アン 祖クラ、何と見事に解きほぐして下さるのでしょう。
カノンWBDCAの順。
以上のことから、真の哲学者はこんなふうに考えるのだと思う。▼真実を現そうとすることば=ロゴスを以ってすれば、目的地へゆくのに近道のようなものがあるらしい、とネ。肉体は、愛欲・妄想・恐怖などで私たちを満たし、真実を求める思考をさまたげる。じっさい、戦争や争いは、肉体とその欲望が起こさせるのだ。
私たちが肉体から離れ、何かを純粋に知ろうとするそのときこそ、智恵は私たちのものになる。そのときとは、私たちが死んだときだよ。生きているあいだは、智恵は私たちのモノにならない、肉体に邪魔されて。
ユニゾンWBDCA
以上のことから、真の哲学者はこんなふうに考えるのだと思う。真実を現そうとすることば=ロゴスを以ってすれば、目的地へゆくのに近道のようなものがあるらしい、とネ。肉体は、愛欲・妄想・恐怖などで私たちを満たし、真実を求める思考をさまたげる。じっさい、戦争や争いは、肉体とその欲望が起こさせるのだ。
私たちが肉体から離れ、何かを純粋に知ろうとするそのときこそ、智恵は私たちのものになる。そのときとは、私たちが死んだときだよ。生きているあいだは、智恵は私たちのモノにならない、肉体に邪魔されて。
栗トン 注釈「ロゴス」について。ロゴスはギリシャ語。もともとは人々の話す「こ
とば」の意味。概念とか意味とか論理とか、説明とか思想とかの意味で用い
られる。
祖クラ これでもう蝉アンは察するだろう。私たちを目的地へとみちびく近道とは、
死=thánatos(タナトス)であるということを。であれば、真の哲学者が、その
死がやってきたときに憤激するというのは、不合理で笑うべきことではないか
と、私はいったのだヨ。
蝉アン 分かります。全能の神にかけて、そういえます。
祖クラ 蝉アンに加マル、この弁明が、あの裁判官たちに対してよりも、より説得
的であったならばうれしい。
春ドン 祖クラがそう語りおえ、少し沈黙をおくと、ずっと聞いていた加マルが遠
慮がちに、しかし、ハッキリといいました。
加マル 祖クラ、大概のことは見事に語られました。しかしタマシーについては、
まだ分からないことが残っています。人々は、タマシーは肉体から分離する
と、滅びてしまうのではないかと恐れています。人間が死んでもタマシーは
存続し、何らかの力と智恵を持ちつづけるということを認めるには、充分語
られたとはいえません。
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