第4話「快と楽」

*栗トン、めくり札めくって、

▲4「快と楽」


祖クラ 快楽と苦痛は奇妙な関係だ。一方をつかまえると、決まって他方もつかま

   えさせられる。ストーリー・テラーのイソップがこれに気づいていたなら、

   さぞかし傑作を書いただろうヨ。神様は、快楽と苦痛の和解を望まれたが叶

   わなかったので、二つの頭を一つに結びつけてしまったという話をね。


           *栗トンが、機械的な口調で注釈を入れる。

           「注釈」と書かれた札を掲げ持ってもよい。

            注釈については以下同じ。


栗トン 注釈「イソップ」について。イソップは「イソップ寓話」の作者といわれ

   る人物。前6世紀頃のギリシャ人。アイソポスともいう。日本では16世紀末、

   1593年・文禄2年に九州天草で邦訳の刊行があったとのこと。


春ドン 祖クラのこのことばを受けて、弟子の加マルが質問をしました。

加マル 物語で思い出します。あなたは詩歌などお作りになったことがないのに、

   牢獄に来てからイソップ物語を詩にしたりアポロンへの讃歌を作ったり…

   …。なぜあんな気持ちになったのかと、何人かが私にたずねました。カネを

   払えば人間の品性をみがく方法を教えるという詭弁家イカゲンスは特に執拗

   でした。

祖クラ それなら加マル、彼に伝えてくれたまえ。私は彼の作品に対抗して詩作を

   手がけたのではない。夢の中で神に命じられたのだ。「祖クラ、ムーシケ=

   文芸をなせ」とね。最初、私は、ムーシケというのは哲学のことだと思い、

   それなら、日々のことに励めばよいのだと理解して意を強くした。しかし、

   そのうちに哲学ではなく通俗的な文芸をなせと命じていたのだと考えるに至

   って、それでああいう詩歌などを作ったのさ。加マル、そのようにイカゲン

   スに伝えてくれ。サヨナラもね。それから、早く私のあとを追うように、と

   もネ。


栗トン 注釈2点、「ムーシケ」と「早く私のあとを追うようにについて」。「ムー

   シケ」はギリシャ語。本来は詩・音楽・舞踊が統合した形をさすようだ。Mus

   icの語源ともいわれる。次に「早く私のあとを追うように」と祖クラがいっ

   たこのことばについて。祖クラはタマシーの不滅を信じているので早くこの

   世を去ってあの世に移行することは好ましいことだと思っている。よって死

   ぬことはよくないと思っているイカゲンスらを説得してくれという意味のよ

   うだ。このことばをきっかけとしてタマシーの不死不滅の議論がはじまる。


春ドン すると、加マルと親しい蝉アンが反応しました。

蝉アン 祖クラ、イカゲンスはあなたのあとを追えるような価値ある輩ではありま

   せん。

祖クラ 彼は哲学者ではないのか。でも自殺はしないだろう。それは許されないこ

   とだと、人々がいっているから。

加マル それはどういう意味です。死にゆく者のあとを追うようにと望みながら、

   自殺が許されないとは。

祖クラ 加マル、君も蝉アンも、ピタゴラス派の人たちから、この種の話を聞いた

   ことはないかい。

加マル テーバイにいた時分、それは為(な)すべきではないと聞いたことがあります

   が、いったいどんな理由で、自分自身を殺すことは許されないと人々はいうの

   でしょう。

祖クラ 君もこの話には驚くだろうよ。人間にとって、生きることより死ぬことの

   ほうが無条件に善なのだが、しかし、その善を自分自身になすのは不誠実だ

   というのだから、驚くだろう。おそらくこの説は、私たち人間は神々の配慮

   の中にいるのだから、そこから自分自身を逃亡させてはならないというのが

   根拠であろう。加マル、君はどう考える。

加マル 答えられるものが、まだありません。

祖クラ では、加マル、

A―― では加マル、君の配慮の中にある所有物が、

B―― 君の配慮の中にある所有物が、君が望まないのに、

D―― 君が望まないのに、それ自体がそれ自体を殺したら、

W―― 腹を立てやしないか。


加マル 腹を立てます。しかし、

A―― しかし、哲学者のような思慮ある人たちが、

B―― 思慮ある人たちが、なぜ喜んで

C―― なぜ喜んで、死のうとするのですか、

w―― それが不可解です。

ユニゾンABC それが不可解です。

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