第6話 元勇者、衛兵隊を壊滅させる

「……嘘、でしょ……もう。ホントにお人好しね――ボウヤ」


 まとめ髪は乱れ、服は薄汚れ、顔は青褪めて。

 後ろ手に枷をかけられたロザリンドが、弱々しく笑う。


「これ以上、恩を売られても……支払えるものなんて、身体ぐらいよ?」


 その様子を目にした瞬間。

 僕は全身の細胞が粟立つのを感じた。


 腹の底から噴き上がるような激しい感情。


 一体、彼女がどんな扱いを受けたのか。

 察するだけで腹の底が震えて――そこで倒れている自称騎士達を縊り殺したい衝動に駆られる。


(……いや。そんなの、時間の無駄だ)


 大切なのは、ロザリンドとララ・シェを無事にこの場から逃がすこと。


 まずは衛兵から奪った鍵束を使って枷を外し、ロザリンドを解放する。


「ミーリアとブエナは先に逃げた。あとは君達だけだ」

「アシェルく~ん、あたしも~、このウザいの、早く解いてよ~」


 ララ・シェには魔封手錠がかけられていた。

 エルフや魔法使いを捕らえるときの必須アイテムだ。


 魔法使いと根源の接続を絶つ特殊な鉱石が使われている手錠。

 接続を絶たれた魔法使いはかなりの不快感を覚え、意識も動きも鈍くなるというから、拘束具としては一石二鳥だ。


 枷を外すと、ララ・シェは手首をさすりながら、


「も~やだ~。これで痕が残ったりしたら、どうしてやろっかな~」

「……アナタってホント呑気よね、ララ・シェ」

「そんなことないよ~、ローザちゃん~。あたし、すっごい怒ってるんだからね~」


 それでも呑気にしか聞こえないララ・シェの怒声に、思わず苦笑いしてしまう。


「とにかくここを出よう。脱出口を固められると厄介だ」


 ロザリンドとララ・シェがつけていた手枷と足枷で、騎士達と衛兵を鉄格子に縛りつけ、


「あんたは大人しくしてろ。できないなら、喉を潰す」

「はっ、はっ、はい、できますっ、できますからっ……」

「黙れって言ってるだろ」


 それから二人を振り返って、


「歩ける?」

「ええ、もちろん……平気。大丈夫よ」


 答えるロザリンドは、明らかに憔悴していた。

 立ち上がるのもやっとのようだ。


 考えてみれば当たり前だ。

 アルタンジェ邸からの逃避行、僕と出会ってから数日の野宿、さらに逮捕されて半日以上の投獄。

 なんて過酷な旅程だろう。


「ララ・シェ、君は?」

「ん~と……まあ、なんとか~、って感じ」


 もともと透き通るほど肌が白いエルフの顔色は分かりにくいが――おそらく彼女も限界だろう。

 魔法を封じられるということは、天性の魔法使いであるエルフにとっては、指をもがれるほどの苦痛だと聞いたことがある。


(仕方ない)


 ……僕は手を貸す代わりに、ロザリンドを抱き上げた。


「なっ――ちょ、どこ触ってるの、ボウヤっ。大丈夫だって、言ってるじゃないっ」

「痩せ我慢はやめてくれ。逃げ遅れたりしたら、困る」


 言い返すと。

 ロザリンドは何事かを言おうとして――何も言わずにそっぽを向いた。


 表情は見えないが、頬が紅潮しているのは分かる。


「……急に頼りがいを見せてくるの、反則よ……まったく」

「別料金を取ったりはしないよ」

「そういう意味じゃないわよ! もういい、ありがとっ」


 僕は背後を振り返り、


「悪いけど、ララ・シェは背中におぶさってくれ。自分でしがみつける?」

「え~アシェルくん、や~さしい~。おねえさんも~甘えちゃお~っと」


 彼女がしっかと掴まったのは、背中に押し付けられた柔らかい感触で分かる。

 じんわりと体温が伝わり、ほのかに花のような香りが鼻腔をくすぐって……


 しっかりしろ。

 うつつを抜かしている場合じゃない。


「確認するけど。本当に、二人も抱えて走れるの? ボウヤ」

「ああ。森で運んだ木よりずっと軽い」

「……馬鹿な質問だったわ」


 ロザリンドいわく、サイクロプスで二人がかりぐらいの大きな木。

 僕はそれを一人で川まで運んで架け橋代わりにしたのだ。

 女性二人を抱えたところで、どうと言うことはない。


「ララ・シェ。魔法は使える?」

「う~ん、こういう閉ざされた場所は~、精霊が立ち寄らないから~、あんまり自信ないな~」

「……できないの? エルフなのに?」


 僕の横顔から察したのか。

 ララ・シェが、からかうような息遣いで耳元に囁く。


「あれれ~? もしかして、アシェルくんって~、精霊とか魔法とか、分からんちんなの~?」


 ……僕は自分の引き出しを開けてみる。


「魔法には時間と呪文が必要だ。発動までに時間を稼ぐ必要がある。……他に何を知ってればいい?」

「え~も~、元勇者でしょ~。仲間の魔法使いに~教えてもらわなかったの~?」


 もちろん、教わった。


 メイゼル・エッテナッハは自称に違わぬ天才的な魔法使いだった。

 若干十六歳にして世界魔法士協会における最上位である黄金階位ゴールド・クラスに就き、次代を担う逸材と目されていた、らしい。


 本人曰く、地上に存在するありとあらゆる魔法(神聖魔法だけは例外。だって、地母神ってなんか胡散臭くない?)を使いこなし、古今東西の神秘に精通した唯一にして至高なる奇跡の執行者――当代において、地上で最も全知全能に近い存在。

 とかなんとか。


 だが。


「……正直、メイゼルは説明があまり上手くなかった」


 一度、彼女が魔法の仕組みについて講義してくれたことがあった。

 その内容が、僕にはまったく理解できなかった。

 僕の頭が悪いせいかとも思った。


 けど、一緒に聞いていたヴァネッサは目を回していたし、ラフェンディは三秒で寝落ちたし、シェルスカに至ってはいつの間にか姿を消していた。


 メイゼルは、その後しばらく誰とも口を利かなかった。


「……あ~。ね~。それは~仕方ないな~」


 やけにあっさりと頷くララ・シェ。


「え~とね~魔法っていうのは~、ザックリ言って~体の外にある何かから~力を借りてくる技術なんだよね~」

「ちょっとララ・シェ。長いんじゃないの、その話」

「借り先によって名前が違ってて~、神聖魔法とか~精霊魔法とか~暗黒魔法とか~色んな種類があるんだよ~」

「ふむふむ」


 彼女の説明を聞きながら、僕は廊下を駆け出した。


 地階は薄暗く、湿っぽくてカビ臭い。

 魔族や魔獣が潜む迷宮ダンジョンほどではないが、居心地は良くなかった。

 さっさと出よう。


「で~あたし達みたいなエルフは~精霊魔法が得意って言われてて~、これは~その辺にいる精霊に~力を借してもらうんだけど~」

「――止まれ、止まれぃっ! なんだ貴様ら……あっ、例の誘拐犯だな!?」


 誰何の声。

 ちょうど地上へと登る階段に差し掛かったときだった。


「な、な、仲間を引き入れたのか!? そうか、さっきの光だな!! ああクソ、あの下品な連中めッ、散々エラそうなことを並べ立てた癖に、賊の侵入を許すとは――」

「こんな感じで~精霊にお願いするの~――さあ、飛んで・・・


 ララ・シェの言葉に呼応し。

 僕の足元に転がっていた石片が三つ、ふわりと浮かび上がり。


「あっ、ちょ、待て! 話し合おう! 脱獄なんて成功するはず――」


 礫と化して衛兵の瞼を射った。


「ひぎっ――眼が! 眼がぁ!」

「悪いな、どいてくれ」


 顔を押さえて悶絶する男の脛を蹴って、転ばせると。


 僕達は階段を駆け登った。

 分厚い扉を蹴り開け、地上階へ飛び出す――


「オイ、ドアが静かに閉めろと何回言えば――な、なんだお前ら! どこから出てきた!?」

「脱走だよバカ! くそっ、総員構えろっ! 脱獄犯を逃がすなーっ!」


 鳴り響く呼子の笛。

 廊下に面したドアが次々開き、衛兵達がバタバタと飛び出してくる。


「でね~、じゃあ精霊って何なの~っていう話なんだけど~」

「説明はいいから、ララ・シェッ!」


 懇願じみたロザリンドの叫び。

 話を中断されたララ・シェは不本意そうに、


「全員やっつけるのは無理だよ~。ここ、精霊あんまりいないんだってば~」

「やるだけやってくれ、残りはこっちで何とかするっ」


 仕方ないな~とぼやきながら、ララ・シェが唱える。


飛んで・・・――跳ねて・・・――弾けて・・・――踊って・・・――」


 その一言ごとに。

 石礫が飛び、床石が跳ね、木の扉が弾け、棍棒がひとりでに踊りだす。


「ぬわっ、どわっ、うぎゃあっ」

「精霊魔法だ! 畜生、卑怯な真似を!」

「怯むなっ、抱えている男の足を止めれば――ッ」


 慌てふためく衛兵達は、てんでバラバラに剣やメイスで殴りかかってきた。

 僕は、彼らの脇をすり抜け、刃の下をくぐり、肩を踏み越える。


「んな、消えた――後ろかっ!?」

「きゃ、な、ちょ、ボウヤ、は、速すぎぶっ」


 敵の足を引っ掛け、腹を蹴り倒し、肩を飛び越えながら。

 廊下を駆け抜け、玄関ホールに駆け込む。


「敵はどこ、いや、こっちに――ああクソッ、速すぎるッ! 影豹シャドウパンサーか、このガキッ!?」

「な、なんなんだコイツらっ――ただの誘拐犯じゃないぞっ!!」


 ここにも大量の衛兵達。

 一気に襲いかかってくる彼らを、勢いに任せてかわしていく。


「そもそも~誘拐犯じゃないんだけど~。悪いのは~あの賃金不払いヒゲおやじだよ~」


 至極まっとうなララ・シェのぼやき。

 ムーア商会に操られているに過ぎない守備隊に言っても、詮無いけれど。


「二人とも喋らない方がいいっ、舌を噛むよっ」

「もう噛んだわひょっ」


 しまった。先に警告しておけばよかったか。


「止めろ! 止めろ! なんでもいいから、やれぇっ!」


 ――襲い来る剣は首を傾げて避け、壁を蹴って一人を飛び越え、天井を蹴ってもう一人をかわし、


「扉を閉めろ! 閂を下ろせ! 死んでも食い止めろぉ!」

「は、はいぃっ」


 若い衛兵達が慌てて扉を閉め、閂をかけた。

 しかし。


「――この程度でっ」


 僕は渾身の力で飛び蹴りを放った。

 がん、と落とされたばかりの閂が割れ砕け、扉ごと吹き飛んだ。


「バカな――なんなんだコイツ!?」


 ――魔王城にあった魔鉄製の扉に比べれば、大したことはない。


「ありえない――破城槌でも脚に仕込んでるのか、このガキ!?」


 そのまま建物の外へと飛び出し。

 砕かれた扉を前に呆然としている衛兵達を無視して、夜の街へ消えようとする――


「逃がすかよォ」


 突如。

 振り下ろされた巨大なハンマーが、ロザリンドの長い髪を掠めた。

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