第5話 元勇者、牢を破る
「ミーリア!」
「――アシェル様っ!」
見目麗しき令嬢は、後ろ手に縛られてベッドに転がされていた。
僕はすぐに手錠の鎖を引きちぎった。
「アシェル様、アシェル様ぁっ!」
抱きついてくるミーリア。
僕は、震える肩を強く支えて、
「もう大丈夫だ、ミーリア。怖かっただろ」
「ああ、ええ、いえ――でも、アシェル様が、助けに来てくださるなんて……地母神様、お祖母様……っ」
手首に刻まれた痛々しい鎖の痕。
思わず、指先で触れてしまう――ミーリアがわずかに苦痛の声を漏らす。
「ごめん。他に痛むところは?」
「問題、ございません。彼らは――ただ任務をこなすだけの、衛兵でしたもの。ザブロフ達とは違って……野卑なことを考えたりは、しなかったようです」
ザブロフの配下。
格好こそ騎士だが、良識の代わりに欲望を詰め込んだ男達。
アイツらがこの街にいなかったことに安堵する。
「……検問まで僕がついていけばよかったな」
「そんな……またアシェル様にお会いできただけで、これ以上ない幸運などありません」
首に回されたミーリアの腕に、一層の力がこもる。
「――これでヨシ、と」
「ムーッ! ムーッ!」
ブエナが立ち上がった。
足元には両手足を縛られ猿轡を噛まされた女兵士が、ジタバタもがいている。
「久しぶりッテほどでもないナ、ミーリ。元気そうダ」
「ブエナさんも――本当に、感謝の言葉もございません」
「イイってコトよ!」
びしっと親指を立てるブエナ。
その朗らかさに、ミーリアの表情が緩む。
……ミーリアをベッドから降ろし、ゆっくりと立たせた後。
僕は捕らえた女兵士のもとに屈み込んだ。
「ブエナ。この衛兵、ロザリンドとララ・シェの居場所を知ってると思うか?」
「鋭いナ、アシェ。ブエナもソレ聞こうと思っテタ!」
むーむーと喚く女兵士。
その目には、闘志より哀願の色が映る。
僕はおもむろに猿轡を外す。
だが、ブエナに止められた。
「オイ、オマエ。もし大きな声を出しタり仲間を呼ぼうトしたら――どうなるカ、分かるナ?」
内臓を踏みつけるような低い声と共に、鋭いオオカミの爪が女兵士の喉を這う。
女兵士は、首がもげそうなほどの勢いで頷いた。
一度、しっかり脅しつけておく。
ブエナは手際が良い。まるで本職の押し込み強盗みたいに。
「昔とった杵柄ってヤツだヨ」
「……なるほど」
僕も見習った方が良さそうだ。
「アシェ。猿轡を外していいゾ」
「分かった」
「――むごっ、じっ、ジブンは初めからおかしいと思っていましたっ!」
口が自由になった途端、女兵士はペラペラと喋り始める。
「そもそもアルタンジェ家の問題に、どうしてムーア商会が首を突っ込んでいるのか、ジブン達も理解しがたく思っていたところで――」
「能書きはイイ。聞かれタことに答えロ」
「ミーリアと一緒に連れてこられた二人はどこだ? エルフと、人間の女」
ブエナの爪が、つっ、と女兵士の首をつつく。
「ヒッ――あ、あの二人は、地下牢ですッ!」
「やっぱりナ。流石ブエナ、冴えてル」
「ムーア商会の者が、ご令嬢と共にアルタンジェ本邸まで連れ帰るとのことでしたのでっ。時間通りであれば、そろそろアルタンジェ領からの迎えが来るはずです!」
なんだと。
僕達は顔を見合わせた。
ブエナが慌ててバルコニーに飛び出し、下の様子を確かめる。
「――外、玄関! アルタンジェの紋章が入った馬車が停まってル! もう着いてルゾ!」
まずい。
あいつらが地下牢に向かっていたらロザリンドとララ・シェが危ない。
「あんた。この部屋の真下には、何がある?」
「ま、真下? ど、どうしてそんなことを」
「いいから。答えてくれ」
ここは三階の角部屋だ。
ということは、牢屋のある地下までフロアを二つ挟んでいるはずだ。
「えっと……真下、というと……資料室と、物置と、地下の武器庫、です」
「人はいるか?」
「よ、用事がなければ、誰も立ち寄らない場所ですっ」
なら問題なさそうだ。
僕は勝手に判断すると、立ち上がった。
「ブエナ。兵士達を部屋の隅へ運んでくれ。ミーリアもできるだけ僕から離れて。念のため、ベッドのクッションを抱えておいて」
「えっ……ア、アシェル様? 何をなさるおつもりで?」
頭上に右手を掲げる。
剣を構えるときのように、左手を添えて。
「近道」
呼びかける。
心の中、意識の裏側――遥か遠くにありながら、すぐ傍らにあるものへ。
(――来い)
懐かしい感覚。
全身を巡る魔力が手のひらから迸り、形を成していく。
「うお、まぶしっ! 何してんダ、アシェ!?」
「それは――ま、まさかっ、聖剣ですの!?」
音もなく僕の手の中に現れた一振りの剣――その残骸。
「聖、剣ッテ――今までドコに隠してたんダ!?」
その名はラディウス。
地母神が七女、最後に生まれた女神ジュスティーヌが地上に残した慈悲と義憤。
来るべきときには勇者の手へと収まり、世界に秩序と安寧を取り戻すとされる大いなる“力”。
「いえ、それより! その剣で、一体何を――!?」
魔王との戦いの果てに刀身のほとんどを失い、神話に謳われた威容はどこにもない。
あの頃のような威力は、もう望めないだろうが。
(それでも、充分のはずだ)
僕は、折れた刃を床に突き立てた。
僅かに残った刀身が輝くと。
擦り切れた絨毯を一瞬にして焼き払い。
音もなく床を消し飛ばし、下階を灰に還し。
――ついには地下までも到達した。
足元にぽっかりと空いた、巨大な穴。
「う、ウソだロ……!? なんだコレ! 消えたっ! 床が消えたゾ!? どんな魔法ダッ!?」
「アシェル様っ、これでは足元が――っ」
間もなく僕の身体が自由落下を始める。
空中でなんとか身を捻って、わずかに残った建物の骨組みを掴み、石壁を足がかりにして。
ずどん、という轟音とともに――ほとんど墜落に近い着地。
「――――っ」
周囲を見回し、地下の通路や建物自体が崩れていないことを確かめる。
(よし。上手く加減できたみたいだ)
できるという確信はあったが、聖剣をこんな風に扱うのは初めてだった。
城塞を吹き飛ばしたり、小山ほどの巨大魔獣を消し飛ばすことはあったけれど。
軽く振るうと、現れたときと同じように聖剣は跡形もなく消えた――正しくは、本来あるべき
上階を仰いで叫ぶ。
「先に逃げてくれ! 丘の向こうにある森で合流しよう!」
「――――! ――――っ!」
了解が聞こえた、ような気がする。
どのみち、いくらブエナでも、ミーリアを抱えたまま手がかりのない縦穴を降りてくることはできないだろう。
えぐれた破壊痕から廊下の石畳までよじ登り、ロザリンドとララ・シェが囚われているという牢を探す。
「な、なんだ今の光は――何が起きたっ!?」
「知らねェよクソ! あーめんどくせェ! せっかくこれからお楽しみだって時によォ!」
「俺達にゃ関係ねェだろ! この街のゴタゴタだ、この街の衛兵どもに任せときゃいいんだッ」
「いいからさっさとヤッちまえよ! とっとと帰らねーと、ザブロフの旦那がうるせーんだからよ――」
と。
曲がり角の先で目が合った。
「誰だ……このガキ?」
仕立ての良いマント程度では隠しきれない粗暴な風体の騎士が四人。
もう一人、街の衛兵がいる――牢の扉に鍵を挿した体勢のまま、ぽかんとした顔で僕を見ていた。
「オイ衛兵。このガキはなんだ。小間使いの奴隷か?」
「た、隊の人間ではありませんっ」
「じゃあなんでこんなところまで入り込んでんだよ……ったく。きったねぇガキだな。面倒になる前にブッ殺しちまうか――」
僕からの返答は、踏み込みの勢いを乗せた掌底。
「ハブァ!?」
一人の顎を砕いて声を奪う。
腰の剣に手をかけたもう一人の腋――胴鎧と肩鎧の隙間に肘を叩き込み、呼吸を奪う。
「ぼぐっ――ばっ」
振り向きざま、三人目の首筋に回し蹴りを喰らわせて意識を奪い、
「ボギェッ!」
「う、う、動くんじゃねぇガキッ! オレ達を誰だと思ってやがんだ――」
ようやくメイスを構えた四人目の手首を掴み、ねじりあげて武器を奪う。
痛みにもがく男。
その首筋を、奪ったメイスで強打。
「ブガボッ」
――都合、四人の騎士が、ガシャンっと床に崩れ落ちた。
「……ふう」
念のため、一人三回ずつ、強めに頭を殴っておく。
「ぼげびっ」
「ばぶらっ」
「ぽぎゃう」
「ぴごり」
――そして再び、目が合った。
残された一人――未だに鍵を差し込んだまま立ち尽くしている衛兵。
「え、お、あ」
「黙って牢の鍵を開けろ。余計なことを言った瞬間、あんたも同じ目に遭うぞ」
「は、は、はい――」
「黙れって言ったろ」
奪ったメイスを突きつけるまでもなく、衛兵はカクカクと首を縦に振った。
軋みながら、牢の扉が開く。
「あんたも来い」
「は、はい、言う通りにします、しますから、い、命だけはっ」
僕は衛兵の襟首を引きずりながら、扉をくぐる。
――暗く湿った牢の中に、探していた二人の女性がいた。
「……嘘、でしょ……もう。ホントにお人好しね――ボウヤ」
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