第1話 元勇者、初めての追い剥ぎ
「命が惜しければ、食料を置いていってくれ。あと、できれば金も恵んでもらえると助かる」
そんな脅し文句を口にしたとき。
僕はようやく、実感が湧いた。
「ちょっと――なに!? 追い剥ぎ!? ああもう、こんなときにっ」
自分はもう、世界を救った英雄――勇者ではない。
伝説の聖剣を引き抜いたにも関わらず、手柄を独占するために四人の仲間を死なせた裏切者。
身分や名誉どころか財産も住処もなく、世界中から追われる身。
いや。
本当のところは、単に要らなくなっただけなのかもしれない。
平和を脅かす魔王がいなくなった今、剣を振るい、戦い、殺すこと――それしかできない人間など。
(できることと言えば、野盗の真似事ぐらい)
僕の前には一両の馬車が停まっていた。
手入れの行き届いた外装に、どこかの家の紋章。貴族の所有だ。
馬が口角から泡を飛ばしているのは、ここまで全速力で飛ばしてきたせいだろう。
それもそのはず、ここはいわゆる“山賊街道”――谷あいの細い荒れ道で、強盗や暗殺には最適な地形だ。
どんな旅人も長居しようとは思わない。
「イタズラなら後にしてくれる、ボウヤ!? こっちは急いでるのっ!」
御者席で叫ぶ華やかな美女。
胸元も肩もあらわなドレス――貴族の娘にしては妙に艶やかな服装だ。
手綱を振るうたび、揺れる胸が布地から零れ落ちそうになっている。
「こっちも急いでる。お腹が空いて気も立ってる」
「だから追い剥ぎ? 冗談でしょう、アナタみたいな浮浪児がたった一人で、武器も無しに!」
指摘はもっともだ。
武器もなく単身で追い剥ぎなど、たちの悪い冗談か自殺行為だ。
幌の中からもう一人の女が怒鳴る。
「ロザ! 聞いてるのカ、ロザリンドッ! 早ク馬車を出セッ! 追いツカれるゾッ!」
「分かってるわよブエナ! そういう訳だから、悪いわね――ボウヤっ!」
ロザリンドと呼ばれた御者の女が手綱をはたく。
だが、ここまで酷使されてきた二頭の馬は、不満そうに唸っただけ。
「このっ、もうっ、何なの――どうしたっていうのよっ、この馬っ、もう、動きなさいったら!」
「……追われてるのか、あんた達」
「だから何っ!?」
既に
僕は馬車の後方に視線を送る。
そう遠くない距離にいくつか騎馬が見えた。
(……前は、僕達もよく山賊に襲われたな)
勇者として世界を飛び回って魔王軍と戦っていた頃。
成り行きで乗合馬車の護衛に就いたこともあったし、辺境では山賊狩りと引き換えに食料や寝床を手に入れたこともあった。
(よせ。やめろ。考えるな。僕はもう勇者じゃない)
魔王は死んだ。勇者は用済みになった。
食料を得るためなら彼女達を傷つけることも覚悟していた、はずだ。
今更、善人ぶっても腹は膨れない――
「――きゃあっ!?」
追手の矢だ。
御者台を掠めて馬達を射抜く。
嘶き、暴れ、もがきだした馬は、拘束を引きちぎって後ろ足を振り上げる。
「っ、ちょっと、嘘でしょ――っ!?」
強靭な馬脚は御者台をたやすく砕き、御者の女も叩き潰す――
「きゃっ!?」
寸前で空振った。
僕は御者の女――ロザリンドを抱えあげ、幌の中に転がり込んでいた。
「今……アタシ――どうなったの?」
「あんたが軽くてよかった」
車内に彼女を放り出す。
「……助けてくれた、の?」
「ただ恩を売ってるだけだ」
馬車が運んでいたのは四人の女性。
見たところ共通点はないが――いや、どうでもいい。
「馬車を捨てて逃げろ。荷物を置いていけば、追手を引き受けてやる」
「引き受けるって、五騎もいるのよ!?」
「心配なら見てればいい」
言い置いて、僕は馬車の後方――追っ手に向かって跳び出した。
二騎が距離を取りつつ馬上で弓を構え。
三騎は槍を携えて突撃してくる。
(どこかの騎士くずれか?)
それにしては手入れの行き届いたプレートアーマーとマント。
盾には、馬車と同じ家紋が描かれている。
(あの女――ロザリンド達も、僕と同じお尋ね者なのか)
騎士達と交渉すれば、賞金の分け前ぐらいにはありつけるかもしれない。
「ヒャッハァー! 見たか、当たったのは俺の矢だぞ! 俺が最初だからなっ!」
「ようやくだ、手間取らせやがって――あの売女ども、たっぷり楽しませてもらうぜェッ」
「オイ!
「んじゃ、オレはあの獣人娘だッ! あのケツと腹筋を味わってみたかったのよォ!」
いや。無理だ。
こんな連中とは手を組めない。
「オイ、ていうか、なんだアレ――こっちに向かってくる――人、つか、ガキか?」
「そんな訳あるか! あんなスピードで走る人間がいる訳――ッ!?」
僕は適当な間合いに踏み込んだ瞬間に大地を蹴り、馬上の男に襲いかかった。
「なんだッ、このガキッ、俺らをなんだと思――ボァッ!?」
突き上げた掌で男の顎を砕き、鞍から叩き落とす。
ついでに剣を奪うと、馬体を踏んでもう一人へ斬りかかる。
「ちょ、っと、待て――あッ!? う、腕ッ、俺のッ、腕ェッ」
二人目は、飛んでいく自らの両腕を捕まえようとして落馬。
「ば、化け物かッ、畜生――ッ」
ようやく盾を構えた三人目が叫ぶ。
僕はもう一度、空中で身を翻しながら相手の盾を全力で蹴った。
バゴンッ、と鈍い音がして。
「ひぎっ――たっ、盾がッ、潰れェ――ッ!?」
盾と一緒にひしゃげた腕を抱えながら、三人目の騎士も馬から落ちる。
(残り二騎)
弓兵達はあたふたと、つがえた矢を放つ。
二本の矢が宙を走った――そのときには。
既に肉薄していた僕が繰り出した剣、兵達の手首を斬り飛ばしていた。
「ォバッ!? 嘘、だろっ、今、そこにいたはず――あぎゃっ」
激痛と恐怖に身をよじる彼らのこめかみに、蹴りと柄を一発ずつ入れて意識を奪う。
残っていた連中も同じように昏倒させると。
(よし。
僕はさっさと、騎士五人分の武器や荷物をかき集める。
どれも品質は悪くなさそうだ。
へこませてしまった盾だけは捨てておく。
(……待てよ。こういうの、どうやって金に替えるんだ)
こんなときシェルスカがいてくれたらいいのに。
彼女は優れた斥候であると同時に、交渉人でもあった。
必要なものは何でも手配してくれたのだ――武器、金、食料、それから人手も。
……ついでに乗り手を失くした馬を引いて、先ほどの馬車へ戻る。
「……なんだ。まだ逃げてなかったのか。あんた達」
「な、な、ナ、な、何ダ、オマエッ!? ホントにニンゲンかッ!?」
痛みにもがく馬によって、車はすっかり残骸と化していた。
馬車に乗っていた四人の女性は、身を寄せ合い僕を睨んでいる。
「あんな一瞬デ、五人も騎士ヲ――ま、魔物ダロ、オマエ!」
そう叫んだのは、獣人族の女。
肩から腕にかけて描かれた独特の紋様と、頭から生えた獣の耳でそうと分かる。
動きを妨げない革鎧と鋭い短剣から見るに彼女も斥候を得意とする傭兵、あるいは冒険者なのだろう。
「ていうか~……なんで、助けて、くれたの~……?」
場違いなぐらいのんびりと問いかけてくるのは、エルフ族の少女。
ローブの下に鎖鎧を着込んでいる。やはり彼女も傭兵のたぐいだ。
僕は頭を振って、
「……いいから食糧を出してくれ。早く。僕が餓死する前に」
切実な頼みだった。
今の戦いで、残された体力を使い果たしてしまったのだ。
空っぽの胃は信じられないほど大きな悲鳴を上げている。
(これ以上世界が回り始める前に、何か食べなきゃ)
本当に死んでしまう。
だが、ロザリンドは頭を振って。
「悪いけど、支払えるものは無いわ。アタシ達だって追われてたんだもの。着の身着のまま、よ」
……なんだって?
失望に、思わず膝をつきそうになったところで――最後の一人と目が合った。
「ああ――なんということでしょう! お祖母様が言っていたとおりですわ! 大いなる女神はわたくし達を決して見捨てたりしないとっ」
年若い少女だった。まだ十五にもなっていない。
他の三人と明らかに身なりが違う。
手入れの行き届いた金の髪、きらびやかな金糸にが縫いとられたドレスと靴。
「……その強さ、その眼差しっ! わたくし、あの日から忘れたことはございません。あなたは――」
令嬢は、緑柱石のような目を瞬かせながら、
「あなた様は、勇者――“
僕の名を口にした。
――そう。
アシェル。それが僕の名前だ。
先代の勇者が大地に突き立てたという聖剣を数百年ぶりに引き抜いた、勇者。
選ばれし四人の仲間とともに、世界を脅かす魔王ベーリオルを打ち倒した英雄。
「……その呼び方は正しくない。僕はもう勇者じゃないし、慈悲深くもない」
そして。
討伐の功績を独り占めするため、四人の仲間を見殺しにした裏切者。
罪人として、二つの国と二つの組織から追われる稀代の極悪人。
それが――僕だ。
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