第2話 虚栄心の影に隠されていた真実

「僕はその遺産とやらの相続の権利をすべて放棄します」


 焦る彩瀬あやせさん。

 そして彼女は初めて気付く。百合子ゆりこ園長が冷たい視線を自分に送っていることに。

 言葉の出てこない彩瀬さんに僕は続ける。


「彩瀬さん、僕は僕でそのお父様とやらのことをある程度知っています。今、彩瀬さんからお聞きした情報と突合して整合性を取りながら、頭の中で整理をしました」


 書面を手に唖然とした表情の彩瀬さん。


「その結果、彩瀬さんは真実が見えていないことが分かりました」

「し、真実が……?」

「随分と都合の良い話を聞かされていたようですね」

「え、ちょ、ちょっと……」

「その男の言う話、ほとんど嘘ですよ」


 彩瀬さんは隠すことなく驚きの表情を浮かべる。


「最初から話をしますね。一時期佐ノ山さのやま物産の経営が危ぶまれた時があったのをご存知ですか?」

「確か十五年くらい前……」

「はい、そうです。僕の生まれる前ですね。そこでその男は起死回生の策として、とある銀行の頭取とうどりの娘をめとりました。いわゆる政略結婚です。その娘は、確か……明日香あすかさん……と言ったかな?」

「あっ! お父様の元奥様のお名前です!」


 彩瀬さんにニヤリと笑う僕。


「彼女は生まれつき右目の視力を失っており、父親である頭取はその扱いに困っていたらしいのです。そこにあの男の申し出があり、大喜びで嫁に出した……まぁ、ていよく家から追い出したわけです。そして、その銀行から融資を受けた佐ノ山物産は危機を乗り越えたと。僕の母は、その頃にあの男の家の家政婦として働き始めたようですね」

「き、聞いている話と全然違う……」


 僕は続ける。


「しかし、あの男と明日香さんの間には、どうしても子どもができなかった。跡取りができないことが分かると、あの男は明日香さんに暴力を振るい始めたそうです。それを止めていたのが、家政婦だった母でした」

「勇気のあるお母様だったのですね……」

「あの男、どうしたと思いますか?」

「えっ……どうしたって……」


 彩瀬さんの答えを待たずして、僕は言った。


「あの男は母を無理やり……」

「!」

「その結果、出来たのが僕なのです」

「…………」


 僕の告白に言葉のない彩瀬さん。


「同時期にあの男と愛人関係にあった女がいました。秘書です。彼女も同時期に妊娠しました」

「も、もう、ちょっと、頭がパンクしそう……」

「あの男は、先に産まれた方を跡取りにしようと考え、結果秘書が先に出産をしました。先程、嘘を覚え込まされていた彩瀬さんに、僕があえて『弟』といった兄です」

「…………」


 彩瀬さんは頭を抱えた。


「逃げられないように監禁されていた母は、出産間近だったのにも関わらず、あの男に無一文で追い出され……」

裸足はだしで街を彷徨さまよっていた臨月の妊婦……幹雄くんのお母様に声をかけたのが私でした」


 百合子園長は怒りの表情を浮かべる。


「すぐにこの園で幹雄くんのお母様を保護。すべての事情を私に告白してくれました」

「僕は、そのすべてを園長先生から聞いています」

「その後、お母様は幹雄くんを出産しましたが、産後の肥立ちが悪く……そのまま天に召されました。自分の命を幹雄くんに譲り渡したかのように……」

「私が……私が聞いていた話は何だったんだ……」


 涙を零す彩瀬さん。


「あの男の運転する車に、秘書と息子が同乗していたんですよね。それは家族水入らずってヤツかな。まぁ、そんな家族を自らの手で殺してしまっちゃあ目覚めも悪いわな」


 僕はフッと鼻で笑った。


「彩瀬さん、もう分かっただろ。あの男は、自分の死を目の前にして、自分を看取ってくれる家族もなく、これまで自分が犯した罪から逃れたくて必死なんだよ。その贖罪が、ゴミのように捨てた母と僕への百億円ってワケだ。僕がそんなとんでもない額の遺産やら何やらを受け取って『お父さん、ありがとう!』って感激する、そんな僕の姿を見て溜飲を下げる……そんな夢を見ているんだろうな。それと――」


 彩瀬さんは、机上の『放棄』と書かれた書面を見つめていたが、僕はその横にあるメイドたちが写っている写真を指差した。


「――彼女たちの素性を調べてみて。多分佐ノ山物産の取引先のお嬢さんで、取引の停止、発注単位の削減とかをチラつかせて、無理やり連れてこられた女性だと思うよ。で、誰とでも夜伽よとぎしていいって? 馬鹿言うな! 誰が見ず知らずの得体の知れない中学生に犯されたいものか! 女性を何だと思っているんだ!」


 真っ青になる彩瀬さん。


「あの男に言っておいて。遺産相続はすべて放棄すると。僕の心や気持ちは何百億、何千億積んだって買うことはできないと。お前へのうらみ! つらみ! そのすべてを背負ったまま死ねと!」


 無意識に大声を上げていた。

 園長先生が優しく背中を擦ってくれている。

 僕は心を落ち着かせて続けた。


「……お前が本当に救われたいのであれば、遺産はすべて妻であった明日香さんに相続させるべきだ、とも伝えてほしい」

「元奥様に……?」


 彩瀬さんの問いに、僕はゆっくり頷いた。


「自分の醜聞になるから、これまで離婚しなかったんだろうな。秘書が息子を産んだ後も、あの男はきっと明日香さんを虐待し続けていたと思う。下手すれば秘書や息子も一緒になって、だ」

「…………」

「ひとには決して言えないような、人間の尊厳や女性の尊厳を無視した虐待だって受けていたかもしれない」

「!」

「実家に帰ることもできず、身体と心を深く傷付けられ、女性として一番輝ける貴重な時間を食い潰され、そして母と同じように追い出されたんだ。何の慰めにもならないかもしれないけど、彼女がすべての遺産を相続するべきだと思う」


 長机の上の書類や写真を茶封筒にしまいながら、彩瀬さんは真剣な表情で頷いた。


「……幹雄さん、園長先生。貴重なお話をありがとうございました。一旦依頼主の下へ戻ります」

「一旦? もうこれっきりにしましょう」


 僕の言葉に彩瀬さんは優しく微笑む。


「きちんと報告します」


 僕と園長先生に深く頭を下げ、彩瀬さんはひまわり園を後にした。



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