百億円の価値

下東 良雄

第1話 突然百億円の遺産を相続して、大豪邸とたくさんのメイドさん(誰とでもH可)を手に入れることになった僕

幹雄みきおさんのお父様からの生前遺言で、お父様は幹雄さんに遺産のすべてを相続させたいと望んでおられます」


 古びてボロボロの児童養護施設・ひまわり園の園長室。長机を挟んで僕の目の前に座っているとても綺麗な若い女性弁護士・彩瀬あやせさんはニコニコしながらそう言った。

 何の前触れもなく降って湧いた話に不安になった僕は、自分の隣に座っている丸眼鏡をかけた百合子ゆりこ園長と顔を見合わせる。赤ん坊の頃からずっとここでお世話になっている優しいオバちゃん園長先生だ。

 父親と言われても、僕は会ったことが無い。生まれてから十三年間、ずっと天涯孤独な身であり、遺産だ何だと言われてもピンとこない。


「何だかよく分かりませんが、百万とかそれ位の金額ですか?」


 僕の言葉に優しく微笑む彩瀬さん。


「いいえ、単位が違います」

「単位?」


 不思議がる僕の目の前に彩瀬さんは書類を広げた。


「預貯金、有価証券、不動産など、総額は百億円以上になります」

「……詐欺か何かですか? 僕、お金なんて持っていませんが……」

「ち、違います、違います! 本当の話なのです!」


 いぶかしげな表情で彩瀬さんを見るとかなり焦っていたが、嘘をついている感じではなさそうだ。ちらりと園長先生を見てみると、口を開けてぽかんとしている。鳩が豆鉄砲食らったとは、こんな表情のことを言うのだろう。

 僕は改めて真剣に彩瀬さんに言った。


「彩瀬さん、急に百億とか言われても真実味がありません。もう少し現状について詳しくお聞かせいただけませんか。そうでないと僕自身も安心して相続同意のサインはできません」


 僕の姿勢を相続に前向きと捉えたのか、彩瀬さんは優しい微笑みを浮かべながら現状の説明を始めた。


「まず、幹雄さんのお父様は、佐ノ山さのやま物産の創業者である佐ノ山さのやま隆志たかしさんです。ご本人はすでに一線を退いていますが、佐ノ山物産は日本でも指折りの総合商社ですので、おそらく幹雄さんも聞いたことがあるのではないでしょうか」


 僕は彩瀬さんに頷いた。


「幹雄さんのお母様は、幹雄さんを身籠った後、籍を入れようとしたお父様を突然振り切り、どこかへ出ていってしまったそうです。他に好きな男性がいたのでは……というのがお父様の見解です。その後、別の女性と結婚されて、息子さんが生まれました」

「……僕の弟、ということですか」


 ゆっくりと頷く彩瀬さん。

 しかし、その表情は明らかに暗くなっていく。


「……しかし、先日のことです。お父様が運転していた車が事故を起こしました。スピードの出し過ぎによる単独事故です。事故によって、その時に同乗していた秘書と息子さんは亡くなりました……。幸いお父様は打ち身だけで済んだのですが、その時に運ばれた病院で悪い病気が見つかり……」

「お金があるんだから治療すれば……」


 彩瀬さんは悲しそうに首を左右に振った。


「……もう手の施しようのない状態でした。現在は、日々悪くなっていく体調に苦しみながら、せめてあの時の子ども、つまり幹雄さんにすべてを残したいと……」


 目に涙を溜める彩瀬さん。


「あんな良い方が……ご、ごめんなさい! 私情を挟んではいけませんね!」


 慌てる彩瀬さんは、自分のバッグの中の茶封筒から様々な資料や写真を取り出して、僕に見せてくれた。


「お父様が幹雄さんのために準備されたお屋敷です。とても綺麗で大きなお屋敷でしょう。こちらの写真のように住み込みで大勢のメイドがおりますので、お屋敷は常に綺麗に保たれていますし、メイドも美人揃いですよ」


 白亜の大豪邸をバックに、二十人近い美しい女性がメイド服に身に包んで笑顔を浮かべていた。


「お父様からは……その……コホン……夜伽よとぎの方も、好きなメイドと好きなようにして良いと……何だか凄いですね、あははは……」


 彩瀬さんは顔を真っ赤にしている。


「お父様は幹雄さんが辛く苦しい思いをし続けていることを知り、大変驚いておられました。きっと幹雄さんへの長年の思いが今回の遺産の話になったのだと思われます」


 僕は気になることを聞いてみた。


「奥さんは、今回の私の遺産相続についてご存知なのですか?」


 真剣な表情になる彩瀬さん。


「奥様とは、事故後に離婚されました」

「離婚?」

「はい。お父様曰く、金遣いが荒くてモラルハラスメントが酷い状況だったらしく、大変困っていたそうですが、今回の事故を機に離婚を切り出されたらしいのです。病人の面倒など見たくない、といったところなのでしょう。お父様は愛しようと努力されていたようなのですが……人間の本性はこういう時に出ますね……」


 彩瀬さんは、寂しそうに微笑んだ。

 そして、改めて明るい笑顔を僕に向ける。


「いかがでしょうか。幹雄さんにとっては、大きく羽ばたくチャンスです! 遺産相続の書類に承諾のサインをしていただき、本来であれば幹雄さんが歩むべき成功が約束された人生へ、大きくかじを切る時が来たのです!」


 僕は隣へと顔を向けた。園長先生は真顔だ。


「園長先生、僕の方でサインさせていただきますね」

「えぇ、すべて幹雄くんにお任せします」


 優しい笑顔を送ってくれた園長先生。

 僕は彩瀬さんが取り出してくれた万年筆を手に取った。


「それでは、こちらの書類に署名をお願いいたします。これで百億円の遺産と大豪邸、メイドたちはすべて幹雄さんのものです」


 にっこり微笑む彩瀬さん。

 僕は書類に万年筆を走らせた。


 彩瀬さんの顔色が青くなっていく。

 書き終えた書面を手にして、彩瀬さんに向けた。

 僕は書面全体に大きく――



『放棄』



 ――と書いた。


「僕はその遺産とやらの相続の権利をすべて放棄します」



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