第9話 魔法使いと呪いの解けた王女様
ぺたぺたと何かが頬に触れる。
シルルが目を開けると、フロリカが舌を伸ばしてシルルの頬を叩いていた。
「ああ……無事だったんだね」
よかったあ、とシルルは呟いた。
ああだけどおなかが痛い。刺されてしまったんだ。こんな傷程度、と思ったけれど、どうやら毒が塗ってあったらしくて焼けるように痛い。魔法使いは確かに死ににくい。死なないわけではない。でも傷をおったら痛いし、しばらくは動けない。
どうしよう。まわりにまだ武装兵士はたくさんいる。面倒な王子様もたいしたけがじゃないからすぐに動き出す。
フロリカを連れて逃げなくちゃいけないのに体が動かない。
『あなたがいることで救われる人がいるの』
こんな時にトリスの言葉を思い出す。
ああだけど、僕はフロリカを救えなかった。
救えなかったんですよ、師匠。あなたの呪いは強固すぎて、手がかりがまったくないんだ。
僕はフロリカを人間に戻してあげたかった。
僕も自分の力で誰かを救いたかった。
どこにいるんですか、師匠。
フロリカを元に戻してあげてください。この子は何も悪くない。
あなたは何も悪くない人間をいじめるタイプじゃないでしょうに…………。
呼吸が苦しくなってきて、シルルはその場に倒れ込んだ。仰向けになると、星空がいっぱいに広がっているのが見えた。
「きれいだな……」
近くでミザールが「いたい、いたい」と騒いでいる。けがをしているらしいが、あれだけ元気に騒いでいるなら別に致命傷でもないのだろう。
フロリカはどこにいるんだろう、と顔を動かしたら、わりと近くにいた。こっちを見つめている。
「大丈夫だよ、フロリカ。ちゃんと元に戻してあげるから」
手を伸ばしてフロリカに触れると、フロリカが悲しんでいるのが伝わってきた。
ああ、まだ人の心を失っていない。間に合う。まだ間に合う。
フロリカが跳んでやってくる。シルルの顔にひんやりした大きな顔を押し付ける。体が震えている。
――泣いているのかな。声が出せないのはつらいね。
そんなことを思っていたら、不意にフロリカの舌先が伸びてきてシルルの唇を撫でた。
ぺたぺた。
くすぐったかった。
なんと、これがシルルのファーストキスだ。
ファーストキスの相手がカエルなんて、この世界広しといえどそういないだろう。
傷がここまで痛くなかったら、フロリカを抱き上げてぎゅーってしあげるんだけどな。残念ながら、猛烈に刺された箇所が痛いので無理だ。
「……ルさま」
おや?
「シルルさま! しっかりなさって!」
どういうわけか、目の前に絶世の美女が見える。
めっちゃ泣いている。真っ青な瞳、金色の髪の毛。
おやおや…………?
「シルルさま、死なないで。いま、手当を……」
「任せなさいな!」
場違いなほど明るい声が聞こえた。
はあ? と思って頭を動かしたら、すぐ近くにトリスが立っていた。
「……出たな、性悪女」
「今度はおまえをカエルにしてやろうか」
「ごめんなさい」
「弟子ちゃんはフロリカ王女に感謝することね」
トリスがちょいちょいと指先を動かすと、腹の痛みがすーっと消えていった。
体を起こすと、すぐ目の前に金髪碧眼の美女が泣き顔のまま座り込んでいる。
瞳の色にそっくりな、濃い青色のドレスをまとっていた。
「よかった、カエルは何も着ていなかったから、素っ裸で人間に戻ったらどうしようかと。……初めまして? フロリカ王女」
シルルの声に、フロリカは感極まっているのか、何も答えられないらしい。ただ涙をこぼしながら、首をふるふると振るだけだ。
「で、何があったんですか。これはいったい」
「古今東西、呪いというのは真実の愛で解けるものなのよ」
「……」
「弟子ちゃんを人間に戻すには、これしか方法がなかったのよね」
「…………は?」
「私、前に言ったわよね。あなたがいることで救われる人がいるって」
トリスの言葉に、何百年前の話だよとシルルは呻いた。
「王女様はひどい目にあわせちゃったけど、あなたも変な男と添い遂げずに済むんだから結果オーライだよね。問題は」
トリスはいたい、いたいと目を押さえて騒いでいるミザールに目をやった。
「彼のことは私が責任もって連れ帰るわね。利用させてもらった手前、何かで穴埋めしとかなきゃいけないけど、何がいいかしらねー。やっぱり真実の愛かしら」
「……師匠」
何から聞けばいいのかわからないが、
「全部、師匠が仕組んだんですか」
睨みつけたら、にぱっと笑われた。
「許さねえッ」
人がどれほど苦労したと思っているんだ。
立ち上がり、魔力を放とうとしたが何も起こらない。
「何してるの、あなたはもう人間なんだから、人間らしく暮らしなさいな!」
HAHAHA、と高らかに笑って飛びのき、トリスが指を鳴らす。
あたりにいた兵士、そしてミザールの姿が消えた。
そしてシルルが吹き飛ばしたはずの小屋も元通りだ。
シルルは試しに何か魔法を使ってみようとした。
魔力は感じられなかった。
自分のてのひらをじっと見つめる。
魔法がない。
困った。
「……僕、明日からどうやって稼げばいいんだ……?」
薬草自体は別に魔力がなくても育てられるが、そもそもこの畑自体が魔女のものだ。
魔女と関係が切れた今、薬草を売って生計を立てていくわけにはいかない。
「あのう……」
困り果てているシルルに、フロリカが声をかける。
「私、父から山ほど持参金をもらっていて、信頼できる人になら預けてもいいと言われているんです」
「……うん」
「それ、ミザール殿下ではなくてもいいんだそうです。相手を見極めてからでいいと。ミザール殿下との結婚はいつでも白紙撤回できるからと」
「…………うん?」
「もともとこの結婚は、こちらの国からの強い要望で実現したもので、私も父もあまり乗り気ではなかったのです。でも瑕疵が何もない方なのでお断りができず」
「……うん」
「つまり……」
フロリカが肩をすくめる。
「結婚してから相手を見極めておいでと言われていた結婚でした」
「…………政略結婚って、撤回できないんじゃないの?」
「普通は。でも私の場合は、国力の差がだいぶありますので、私の要望が通りやすいのです。無理にこの国と縁づかなくても、お姉様たちが大国に嫁いで連合を作ってくださっておりますし」
「……」
「なので」
「……」
「私……」
困った顔をするフロリカににじり寄ると、シルルはフロリカをがばっと抱き締めた。
フロリカが腕の中であわてる。
「師匠が言うには、古今東西、呪いというのは真実の愛で解けるものらしいね。僕にかかっていた使い魔の呪いも解けた。使い魔って呪いだったんだ、知らなかったよ。フロリカ王女にかかっていたカエル化の呪いも解けた。ということは、僕たちは相思相愛ということでいいのかな」
シルルの言葉に、フロリカが腕の中で小さく「はい」と頷いた。
「こちらに来てからずっと、シルルさまが優しくしてくださって。シルルさまのお気遣いが嬉しくて。私……私は、シルルさまのことが……」
***
昔々あるところに、とても大きくて豊かな国がありました。その国の王様には五人の王女様がいてそれぞれをとてもかわいがっていました。王様は王女様たちが嫁入り先で困らないように莫大な持参金をつけてあげることにしました。王女さまたちは持参金を使って嫁ぎ先を豊かにしていきました。
王様の五番目の王女様、フロリカ姫はミザール殿下ではなく、元魔法使いのもとに嫁ぎ、今は真っ暗森の片隅にある小屋で薬草を育てながら暮らしています。フロリカ姫が、ここでの暮らしを望んだのです。
薬草畑は魔女が元魔法使いとフロリカ姫への結婚祝いとしてプレゼントしました。
本当は薬草を売らなくても暮らしていけるくらい、フロリカ姫の持参金がたっぷりあるのですが、二人はそのお金のほとんどを戦争で傷ついた人たちのために使ったそうです。
フロリカ姫の金色の長い髪の毛には、元魔法使いからもらったという髪飾りが飾られ、今日もきらきらと輝いています。
ミザール殿下は魔女トリスによって「獣害退治」の兵士とともにお城に送り返され、隣国の王様に発見されます。
そして後日、フロリカ王女から詳細な報告を受け取った隣国の王様によって結婚を解消され、さらには隣国の王様を怒らせた罰としてこの国の王様からも叱られ、王位継承権を剥奪。王位は、弟君が継ぐことになりました。
ただし、ミザール殿下は後年よく弟君を助け、晩年は名宰相と称えられました。また素敵な令嬢とめぐりあってよき夫、よき父親としても知られました。
魔女トリスは……
いいえ、これ以上は語りますまい。
***
トリス「今日も一人でハイボールをキメてるわよ。悪い?」
シルル「友達少なすぎなんですよ、師匠」
トリス「うるさいわね」
魔法使いと呪われた王女様 平瀬ほづみ @hodumi0125
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