第3話 魔法使いの過去
森の朝は夏場でもひんやりする。秋も深まってきている現在ならなおのことだ。あとひと月もすれば霜が降り、そこから半月ほどで雪が降り始めるだろう。
カーテンを閉めていないため、朝日がシルルを直撃して目が覚めた。
外で鳥が鳴いている。
空気がひんやりしている。
一日ごとに深まっていく秋を感じる。
ひんやりといえば、なんだか胸のあたりがひんやりするような? 濡れている?
――雨漏り……?
ピンポイントに自分の胸元だけ濡らす雨漏りなんてあるだろうか。音で気付くだろう。だいたい昨日はきれいな夜空で雨の気配はなかった。自分で自分にツッコミを入れながらぼんやり目を開けると、布団の中、横向きに寝ている自分の胸元に何かがいるのが見えた。
布団をめくってみると、カエルがいた。
カエルは目を閉じて寝ている。
濡れている気がしたのは、カエルのひんやりした体のせいだった。
「……なんで?」
寝ぼけたまま思わず呟いてしまう。
しばらくカエルを見つめているうちに、寒かったからか、と思い至る。
カエルは自分で体温を作り出せない。温かいものに寄り添わなくては寒さをしのげない。
――湯たんぽがいるなぁ……。
カエルとの生活は何かと大変だ。
シルルはカエルの背中を撫でてやった。
感情は伝わってこない。夢も見ずにぐっすり寝ているらしい。
シルルは元人間だ。
ここではないどこか、遠い国に生まれた。
父親は幼いうちに病没しており、母親と二人で暮らしていた。母は近所の農家の手伝いをして生計を立てていた。生活は苦しかったが、あんたは学校を出ないとだめだ、と母はシルルを地元の学校に通わせてくれた。学校では勉強を頑張ったおかげでとても優秀な成績で卒業できた。母を楽させたくて、地元の学校を出たあとは士官学校に通った。士官学校では平民出身ということでずいぶんいじめられたが、持前の勤勉さと明るい性格で乗りきった。面倒くさかったが、誰に対してもニコニコしていてよかった。
士官学校を出てしばらくして戦争が始まった。
当然、シルルも駆り出された。
戦争は熾烈を極めた。補給路が断たれ、味方からの応援がないままジャングルの中をさまよった。戦友たちがどんどん飢えと病で死んでいく。敵は、敵国の軍隊ではなかった。
どうして自分が生き残れたのかわからない。
やがて戦争は祖国の敗戦によって幕を閉じた。祖国は負けたがシルルは生き残った。
ようやくの思いでたどりついた祖国はどこもかしこもすっかり焼野原になっていた。もっとも怖かったのが、鉄道で通りかかった、とある地方都市だ。
そこは地方の中核都市で、とても大きな都市だった。
それなのに、何もないのだ。
文字通り何もない、焼野原。
あの見事な街並みは、大勢の人は、どこへ?
そうしてたどりついた故郷は、敵国によって地形すら変形するほど激しい攻撃を加えられていた。
子どものころ駆け回った山野も、友達の家も、通った学び舎もない。すべて破壊され焼け落ちていた。
もちろんシルルの家も。
生き残っている人たちに聞いてまわった。母を知りませんか。ここに住んでいたんです。
「ああ、**さんね」
「かわいそうにね」
「戦争が始まってから**の軍需工場に働きに行くようになって」
「新型爆弾に」
「何もかもが」
僕はどうして生き残ってしまったんだろう。
なんのために遠い異国で戦い、たくさんの戦友を見送り、ようやく家に帰ってきたのに……
手元には戦争中ずっと携帯していた拳銃。弾は自害用に一発だけ残してある。
どこを撃てば死ねるかよく知っている。
何度も戦友たちの自害を手伝ってきた。
生きて虜囚の辱めを受けず。兵士たちはそう叩き込まれていたから、動けなくなったら意識があるうちに自害。
それが自分たちの最期の作戦行動。
「このまま死にたい?」
その時、声をかけてきたのがトリスだった。
きれいな顔、長い黒髪、赤い瞳の真ん中の瞳孔は縦長。耳はとんがっている。何より服装が、胸元と腰に布切れを巻き付けているだけのような煽情的なもの。娼婦ですらもう少しまともな服を着るだろう。
「へえ、あなた、きれいな顔をしてる。私の好みだわ」
こいつどこから出てきたんだ、とは思ったが、何もかもどうでもよかった。
「このまま死ぬのなら私にあなたをちょうだいな。うまく使ってあげる」
「……僕はもう誰かに都合よく使われるのはいやだ……」
「だったら止めないけど」
「……」
「止めないけど、あなたがいることで救われる人がいるの、私は知っている。あなたがいなくなったら、その人も救われない」
トリスは地面に倒れ込んで動かなくなっているシルルの手から拳銃を抜き去り、うつろな目をするシルルに語りかける。
「決めるなら早く決めて。あなたの魂が消えてしまったら、私にはもうどうすることもできない」
「……その人は、僕がいないと泣くかな……?」
「たぶんね」
「なら、その人のためにもう少しだけ」
微妙に急所を外れ、即死できなかったのは自分の弱さだと思う。
その弱さがトリスを招いたのだ。
結局、トリスの血を与えられて使い魔にされ、祖国から遠く離れたこの地に連れて来られたあげく、トリスだけが育てられる特殊な薬草の畑の管理人をさせられている。薬草の扱いは任されているので、勝手に加工して町で売っている。それで救われた人は多いだろう。このために人間ならざる者にされたんだろうか、意外に地味だけど。
トリスの薬草は、トリスがこの土地に特別な魔法をかけているから育つのであって、よその地では育たない。シルルはその魔法を知らない。
使い魔にされた最初の三十年程度はトリスから魔法について学んだが、「もう私に教えられるものはないわ。あとは一人で頑張って」と姿を消して以降は数十年に一度見かけたらいいくらいの頻度でしかトリスに出くわさない。
使い魔から自我を消して奴隷のように使役する魔女が多い中、トリスのシルルの扱いは寛大ではあるが、シルルはこの土地から離れられないのでどっちがいいんだろうかと思うことはある。
――カエルの中身は女の子なんだから、これじゃダメだよなー。
カエルを潰さないように布団から出たところで、シルルは自分を見下ろした。よれよれのシャツにズボン。はっきりいって昨日と同じ服装だ。別に人に会う予定もないし、ということでシルルは基本的に常に部屋着姿だった。
とりあえず湯を浴びるか、と浴室に向かう。
脱衣所の鏡に映る自分に、「あー」と変な声を出す。
髪の毛はぼさぼさで無精ひげだらけ。部屋着も何日目かわからないのでヨレヨレで実に薄汚い。魔法使いには見えない。昨日の兵士が変な顔をしたのはこのせいか。魔法使いらしくローブ姿で出迎えていたら態度が違っただろうか。もう手遅れだけど。
ひげをそり長い髪の毛を後ろでまとめる。一人暮らし歴が長いため着替えは常に寝室で行うから、着替えを持ってくるのを忘れた。
いつもなら全裸で歩き回るが、カエルの中身は女の子。一応気を遣って腰にタオルを巻いて寝室に戻り、クローゼットをあさっていたら背後からごそごそ音がすることに気付いた。
顔を向けたらカエルが布団からもぞもぞと這い出すところだった。
「やあ、おはよう」
振り向いて声をかけた瞬間、タオルがほどけて足元に落ちる。普段は腰タオルなんてしないから結び方が甘かったようだ。
カエルが驚いたように飛んで、勢いよく床に落ちる。
そのままどたどたとカエルは寝室の隅に逃げ込んでしまった。
「いやー、申し訳ない。次からちゃんと着替えを持って湯を浴びるよ」
カエルの中身は間違いなく女の子だな、と思いながらシルルはこっちに背中を向けたままのカエルに詫びた。
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