ステッキ使わないんかい
磯田有季
ステッキ使わないんかい
痛みに思いっきり目をつぶると、そこは雪国であった。ではない。違う!雪国ではありません。まず、痛みを感じるのが先だったか、握った手から伝わる衝撃にびっくりしたのが先だったかも分からない。真ん中が緩やかに窪んだまあるい草原のあるひろおいお部屋であった。目の前には女が1人。プリンセスと呼ぼう。痛みを感じたのが先か、目をつぶったのが先か分からないけど、プリンセスが目の前に立っていて、銀の細いステッキを握っている。白い肌。黒い髪。ふわふわのピンクのドレスの裾が、緑の草の上で擦れて、シャリシャリと音を立てる。プリンセスの左手の小指には指輪がはまっており、それは時々光を取り込んで小さな虹をその中に宿す。プリンセスは僕を呼んだ。からり、からり、からり。やわらかな風の音を、プリンセスの身体が濾過して、別の変な音に変えてくれている。今、暇?とプリンセスの口が動く。僕は、暇だよと答えた。でもその声がプリンセスに届いたか分からない。分からない。プリンセスは下を向いてふ、と息を吐いた。僕もなんだか変な感じがして俯く。視界の端で、プリンセスの艶やかな髪の束に刺さっていたティアラが、だんだんプリンセスの体から離れていくのが見えた。なぜ宙に浮いているのだろう。プリンセスが、あっ、と声を上げた。僕はなんとかティアラを掴もうとしたけど手が届かなかった。プリンセスがそれを見て、いいよ、と笑う。あれも安物だから。ママに貰ったけど、既製品だから、買い換えられるの。僕はその時なんだか悲しかった。あのティアラはすこしかわいそうだなとおもった。あんなにきらきらしているのに、かけがえのないものではないのだとおもうと、空を(空みたいな空間を)ふわふわと漂っているティアラは寂しそうで苦しい。プリンセスは、少し(30秒くらい)したあと、僕の名前をもう1回呼んだ。後悔は、ないの?と言った。後悔は、ないけど、あると言ったら君は何をしてくれるんだと聞いた。プリンセスはまた笑った。口角を上げて、人生の先にある幸せなルートの色々を全部知ってるかのような笑い方をした。あるって言えば、良かったのに。と言った。
そして、僕の目をちゃんと見る。今君の目には僕が映っている。その僕が見つめているのは君だろう。君の中には無限の僕が隠れていて僕の中にも君のかたちをたくさんたくさん見いだせる。プリンセスの、まほちゃん、というとても強い声で、脳が揺さぶられた。そのとき、今まで僕が僕の名前だと錯覚していた音が、僕の名前ではなかったことに気づく。あ、まほちゃん、だ。僕の名前はまほちゃんだったんだ。プリンセスは何かをつぶやく。頭が揺れていて、無色だったはずの空(空みたいな空間)が端から赤に染まっていく。君の声を、何も聞き取れないけど、僕にはわかる。全部わかる。僕はずっとプリンセスに会いたかった。ずっとずっと待ち望んでいたような気がする。ここ1年か2年か。でも結局僕は探すことに失敗していた、何処にもいないと思っていた。プリンセス、君は泣いているよな。僕も泣いているよ、涙の数もやっぱり同じで、きっと君は昔の僕なんだな。プリンセスはステッキを、緑の草の上に捨てた。そしてプリンセスが思いっきり目をつぶると、左手(右手だったか?)が強く発光する。ステッキ、使わないんかい。小さな呟きも光の中に飲み込まれていく。その中で僕はさっきまで目の前にいた女の顔を忘れていった。強く強く、光るその手を掴む前に、僕の銃弾は、ちゃんと僕の頭を撃ち抜いてくれた。
ステッキ使わないんかい 磯田有季 @tyoutyouhujin
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