第3話 人は見かけによらないと言うが、見かけ通りのこともある

目を覚ます。目をあけはしないが、目を開けていないという認識は出来る。ぼんやりとした意識の中で、額にうっすら汗がにじんでいるのを感じる


俺はどうしてこんな場所で眠っていたのだろうか...たしかベンチで寝ていた女子高生を助けようとしてそのまま...思い出すたびに、じわじわと苛立ちが湧き上がってくる


とりあえず体を起こさないと...


腕に力を入れようとするが、指先がかすかに動いただけで、肘が上がらない。重くて、鉛のように感じる


息を吐きながらもう一度試みるが、上体が数センチ浮いては、下の何かに沈み込む


体の腹の部分が悲鳴を上げている。顔をしかめながら歯を食いしばる。腕や足はなんとなく動いているような気がするが、どうも腰回りが言う事を聞かず、体を起こすことができない


これは金縛りなのだろうか...しかし金縛りと言うものは、自覚したら徐々に体を動かすことができるはずだ...


そう言い聞かせて足先をぴくりと動かすが、それ以上が続かない


しかしこうもしている時間はない。俺は早く家に帰ってアニメを見ないといけないのだ


眉をしかめ、決意を固めるように呼吸を整える


恐る恐る目を開ける。視界が明るさを取り戻していく。まぶたの隙間から黄色い天井が見える


どういうことなんだろうか。もしあのまま俺が倒れていたなら、このような黄色いものは見えないだろう


視線を動かしながら首だけ少しずつ傾ける


このことを考えると俺はつまり...


もう一度目をつぶる。まぶたの裏がじんわりと熱い


空の向こうに行ったということなんだろうか...空の向こうは黄色の門や白の床が見えるというのを聞いたことがある。恐らくここは俺の知らない空の向こうにある部屋とかそういうところなんだろうか


...正直これと言って目立ったことない人生だった...もっと友情、青春なんていうキラキラした人生を送りたかった...


まぁでも、アニメに出会ったおかげでそれなりに楽しかったし、自分的にはたのしかっ...


「起きたか」


横から声を掛けられ、目を開ける。首を小さく跳ねさせるようにして反応する


どこかで聞いたことのある声、しかもごく最近聞いた声だ...


体が動かせないので顔だけ動かし、ぎこちなく横を見てみる。そこには、先ほどの女性らしき人が、こちらを看病するように覗き込んでいた


眉尻を下げ、唇をわずかに噛んでいるように見える


あぁ...俺は死んでなかったんだ...いや...この動かせない体をもっといたぶられ、時期に俺はもう...助けようとしたのが間違いだったんだ...あぁもう...


後悔の念に項垂れいると、その女性が言葉を発する


「...その...ごめんな?あたしのせいであんたはこんな状況になっちまった。悪気はなかったんだよ...あんときは正当防衛のつもりで拳を入れちまったけどよ...冷静になった考えてみるとあんたがやったっていう証拠もなかったな...本当にごめん」


視線をそらしながら、声が震えている。肩が小刻みに上下し、喉の奥で言葉を止めるような仕草も見える


なぜか泣きそうになっているような気がする。そろそろ声とか掛けないと、流石にやばそうだな...泣かれても困るし


そう思い深呼吸しようとして腹に力を入れる。しかしあまりの痛さに体が救難信号を上げる


「...うっ...」


鋭く腹の奥が痛み、思わず顔が歪む


「...おい?今なんか言ったか?おい!?大丈夫か!?おい!?」


彼女が慌ててこちらへ身を乗り出す。その声には焦りと罪悪感が滲んでいる


腹に力を入れるだけでもこんなに痛いという事は彼女はどれほどの力で俺を蹴ったのだろうか...


「...痛い...痛い痛い痛い痛い痛い...痛い!」


腹を刺されたような感覚だ。息も絶え絶えで、口からも何かが出そうなくらい痛い。どうしたらいいのだろうか...いや...どうすることもできない。ただ俺はこの痛みを受け入れるしかないのだ


「おい!?生きてんのか!?大丈夫か!?」


隣にいる銀髪の女性が声を荒げる。その手が俺の肩に触れようとして、でも触れるのをためらうように宙をさまよっている


「どうしたんだよ!?何か言えよ!胃薬飲むか!?」


この状況でどうしたそのようなことを思うのだろうか。痛みで脳が覚醒し、目と脳が一気に稼働し始める。今までぼやけていた視界がすべてを見通せるようになる


おそらくここは彼女の家だと思う。そう仮定して話を進めると、俺は彼女に蹴られて意識を失った後、慌てた彼女が家まで連れてきた...という流れだろう


腹の痛みはまだ残っているが、少しだけ慣れてきた気がする。歩くのは無理でも、体を起こすくらいなら...


「よいしょっと...」


慎重に、腹に負担をかけすぎないよう腕を突っ張りながら、ゆっくりと上半身を起こす。下にある何かががわずかに音を立て、背中が冷たい空気に触れる


そのとき、隣から呆けたような声がした


「え?」


「どう...したんですか?」


顔を傾けると、彼女がぽかんとこちらを見ていた。目を丸くし、口は半開き。さっきまでの緊張感がどこかに吹き飛んでいる


「え?ちょっと待って...え?あんたみたいな弱っちそうなやつがあたしの蹴りを食らって起き上がることができるのか?」


「どこまで自己評価高いんですか...たしかに痛いですけど起き上がるくらいはできそうですよ?」


俺が背を伸ばしながら答えると、彼女は眉を寄せ、口を尖らせた


「...あんたって、もしかして格闘技経験者とかか?」


「一応、一般人という立場でやらせてもらってます」


「一般人があたしの蹴り食らって意識あるって...あれ?蹴り外したか?いや、でも...確かに決まった感触あったしな」


腕を組みながら、彼女はぶつぶつと自己分析を始めた。このままでは完全に自分の世界に入り込みそうだ


今のうちに気になることを全部聞いておこうと口を開いた


「で?俺をあんたの家までな連れてきたんだ?もし俺が悪いお兄さんとかだったらどうするんだ?」


彼女の肩がぴくりと動いた。そして、少し気まずそうに視線をそらし、口元を指でいじる


「...なんかあのまま放置したら悪いかなって思ってさ...てか、ここ家じゃなくてテント...」


「え?」


間抜けな声が漏れる。視線を動かし、周囲を見回す


確かに...

ラジオ、寝袋、懐中電灯に缶詰とペットボトルの水。携帯用の道具が散らばっている。だが、女子高生がやるような趣味のキャンプにしては、あまりに生活感がありすぎた


「キャンプ中とかだったか?それだったら、俺がこんなとこにいても困るよな...早いこと出て行った方が良いか?」


「その...あたしここに住んでんの...」


「...え?」


思わず聞き返してしまいそうになる。言葉の意味がすぐに脳に届かず、理解までに数秒を要した。女子高生がテント住み?そんな話、聞いたことがない。もし家族ぐるみの事情だとしても、この装備じゃ明らかに不十分だ


「そ、そんなに変かよ...」


「いや...普通に聞いたことないし...テント住みの高校生とか...あれですか?なんかのアニメに影響されたとか?」


「違うし...!」


「つまり...まさか...本当に?家族と?」


「家族じゃないし。一人だし...」


彼女がぽつりと呟く。その目は俺から逃げるように横へと逸れ、表情からは少しだけ、張っていた仮面が剥がれていた


ここがどこなのか、少しずつピースがはまってくる。この地域の公園事情には詳しいつもりだったが、こんな風にテントを張れるスペースなど、見たことがなかった。だとすれば...


「もしかしてここって...まさか...」


「公園。テントを公園に広げて過ごしてんだよ」


「はぁ...やっぱりそうでしたか」


深く息をつく。少し混乱しかける自分を、内心でなだめた


「あの~なんでテントなんかに?」


「父と喧嘩して、腹立ったから家飛び出してやろうって思って...でも知り合いもいないし、行く当てもなくてさ。で、さまよってたら、公園でホームレスみたいなおじさんが綺麗なテント広げてて...ちょっと話し合って、借りたわけよ」


「...話し合いって、それは本当に話し合ったのか?」


「...まぁ...あたしの中では話し合いっていうか...ちょっと揉めて、手が出たというか...」


「うわぁ...」


「でも、もうじきこの生活も終わるってことにすんだよ」


「え?なんでなんですか? 決断したなら、もう少し長いこと家出すればよかったんじゃ...」


「...あたしだって、怖いと思うことはあるし...寒いし...まだ一日目だけど、怖いと思ったら、即帰った方がいい気がして...」


「...なるほど...」


「で、どうしようかと考えてたら寝ちまって...気づいたら、あんたをボコってたってわけよ」


「...じゃあもう父親のところに帰るんですか?」


彼女の表情が、すっと曇った


「...帰りたくない」


拳を握りしめ、歯を食いしばる。その目に、言い知れぬ葛藤がにじんでいた


「なんでなんですか?知り合いもいないし、行く当てもないなら、もう帰るしかないじゃないですか?」


「さっきも言っただろ?喧嘩別れしたって」


「...子供ですね。それくらいで」


「あ?もっかい寝てぇか?今度は永遠に起きないようにするけどよ」


「...あ~結構です...もう十分寝てるんで。長居もダメだと思うんで、そろそろ帰っていいですかね?」


そう言って、慎重に足に力を込め、布団を押しのけて体を起こす。ゆっくりと立ち上がり、フラつきながらも出口へと向かう


「ま...待ってくれよ...」


背後から声がした。次の瞬間、服の裾が、ぎゅっと掴まれる


「...どうしたんですか?」


振り返ると、彼女はうつむいたまま、声を絞り出すように言った


「あたしを...あたしを助けて」


その声には、怒鳴り声でも皮肉でもない、どこか子供のような、素直な弱さがにじんでいた

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る