改変版(作業中)

「(なんか台詞入れたい)」

太陽とか


 心が病んでいる、なんて、見ず知らずの男に言われたくなかった。

 交差点を抜ける。信号待ちをしている間にわだかまってしまっていた人混みからいち早く抜け出そうと、早足になる。

 ペットショップ『獣姦』の前を横切り、ラブホテル『Lincoln』の手前で方向転換をする。

 随分と前から、私は、川に懐かれていた。川の名前は、ハゴロモ川。この地方小都市ハゴロモ市に流れる最大河川だ。といっても、川幅四メートルくらいの、河川敷もないような小さな川なんだけれど。

 私が、歩くと、後からついてくるのだ。私が振り向くと、恥ずかしそうにそっぽを向いたり、あるいは、嬉しげに尻尾を振ったりするのだ。その時々だ。あまり、激しく尻尾を振ると、洪水になるから、やめてって伝えると、悲しそうに、川幅を狭める。

 なので、今も、私の後をハゴロモ川が泳いでいる。私が、立ち止まると、ハゴロモ川も進行を止めるし、私が急ぎ足になると、ハゴロモ川も置いていかれまいと速度を進める。だから、交差点を抜けるとき、何人かの人たちは、ハゴロモ川に飲み込まれて水浸しになっていた。恥ずかしくなって、その場を走って逃げ出したくなったけれど、走ったら、尚更大変なことになるだろうから、赤くなる顔をうつむかせでゆっくりと歩いていく。

「ハゴロモ川」

 返事なんてない、ハゴロモ川は、川だから。川は喋らないのだ。

 ハゴロモ川を叱ろうと思って、口を開いたのだけれど、よくよく考えてみたら、全て、私が悪いんだよな。

 ラブホテルLincolnを左折すると、地方都市にしては、華やいだ街並みはそこで終わりを告げ、あたり一帯田園地帯が展望される。いつもの散歩道。散歩道、というか、こうして、町中を歩き回ることが、私の仕事みたいなものだった。

 耕運機の轍を踏み越え、歩き慣れた、盛り土の上を私は進む。その後を、川幅を狭めながらハゴロモ川がついてくる。狭い田圃道を落っこちそうな、ハゴロモ川だったけれど、落っこちてしまえば、いいのだった。落っこちたハゴロモ川のかけらが、小さな支流となって、田畑に染み込んでいくのだ。

 平日の、真昼間だった。青苗を植え付け、ひと段落ついたのか、田畑には、人一人いない。何十反にも及ぶ田畑が、右に左に、はるかに前にに広がっている。とはいえ、見渡す限り田畑ってわけでもなく、はるかかなた、田んぼの途切れた先に、私が物心つく頃から打ち捨てられた廃工場。途切れ途切れの民家。国道を、豆粒ほどのサイズで走る自動車。ハゴロモ小学校の灰色の校舎。が見えた。その背景には、ハゴロモ連山。ひときわ高い山は、羽客山という。羽客とは、仙人のことだそうだ。もちろん、仙人なんて住み着いてはいないけれど。明日か明後日か明々後日には、そのハゴロモ連山も踏破しなくちゃいけない。しばらく、雨も降らなかったし、そろそろ山も乾きを覚える頃だから。

 しばらく、歩いた。

 田んぼと田んぼのちょうど中心地点に、小さな広場があって、農具や飼料を保管する小屋と小さな祠がある。そこには、いつも、特大のおはぎが三つ備えられている。置手紙が一つ。『あかり様へ』。手紙っていうのかな。宛名のみが書かれた簡素な文。でも、それで、用をなす。あかり、というのは、私の名前だから、つまり、私へってことなのだ。別に神様というわけでは、ないのだけどな、と心の中で訂正しつつ、おはぎの一つを口に含む。甘い。どわっとくる。

 三つも食べきれるわけねえだろ。量も多いのだけれど、時間もないのだ。私の背後には、ハゴロモ川が流れている。ここで、立ち止まってしまったら、ハゴロモ川の流れが、私の足元で滞るのだ。初めは、小さな池になり、次第に、ハゴロモ川まるまる一つ分の、大きな湖ができる。畝が崩れ出す前に、私は、散歩を再開する。残り二つは、本物の神様が食べればいい。私は、かじり跡のついたおはぎを手に、もぐもぐやりながら、歩速を緩めず田んぼをつき抜ける。そのまま、右折。国道脇の歩道を歩く。

「おいしかった。ごちそうさまでした」と言った後で、しゃがみこんで、餡子のついた右手をハゴロモ川にくっつける。撫でられたと思ったのか、嬉しそうに彼は流れを早める。こらこら。私の足元まで水浸しじゃないか。はしゃぐなってば。甘いものを食べて、喉が渇いたので、ついでとばかりに、ハゴロモ川から水を掌で掬う。口に含んだ瞬間は、その清水はまだハゴロモ川なのか、じゃれつくように舌に巻きついた。でも、それも長くは続かない。切れた蜥蜴の尻尾みたいなものなのだ。しばらくすると、動かなくなりただの水になる。そうなった後で、ごくごくと飲み干していく。ミネラルウォーターの味がする。


 国道をそのまま、まっすぐ、歩いていく。

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川と歩く。 @DojoKota

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