9-3 猶予はもう殆ど無い

邑﨑むらさきさん一人ですか」


 校長室で相対したのは角刈りで、如何いかにも武官といった風情の胸板の厚い壮年男性だった。


 どうもツルシのスーツらしく、肩幅こそキチンと収まっているが今ひとつ着こなせていない。

 だがそれは本人が一番良く判っているようで、挨拶がてら「この格好は窮屈でいけません」と苦笑していた。


「他にも二人来ていますが、現在業務遂行中で手が離せません。わたしがお話を伺います」


 問題が?と聞き返したら「むしろ好都合です」と返事があった。


「二人には聞かせられない話だと」


「いえ、此処ここだけの話ですがお二方の噂は耳にしています。個性的な方々のようですね。一番話が通じるのがあなただと、そう伺っていましたので」


 そして業務内容の一部始終を記録させてもらいたい、と申し入れてきた。


「上司からの指示も出ていますので問題は在りません。ですが一つお訊きして宜しいですか。何故今回に限り記録を録りたいというお話なのでしょう。事後に上位部所から防衛省の方にも資料は回る筈ですが」


「可能な限り中間部所を通らず、手垢の付いていない一次資料が欲しいのです。二二年前の事例では相当に整えられた資料しか手にする事が出来ませんでした。分析吟味するには不十分だったのです」


「公安と情報部とではパイプがあったと思いましたが」


「内調(内閣調査室)ほどではありませんからね。テロズムに対処する際にも判断材料は多い方が良い、そういう理由からです」


「アレの模倣犯は問答無用の粛正でしょう。普通に『いつも通り』対処すればよい、それだけでは?」


「失礼ですが随分と乱暴なご意見ですね。警察の一部所に所属する方の物言いとも思えません」


所詮しょせんわたしは現場の担当者でしかありませんので、失望させてしまったのでしたら申し訳ない。この身は上司の意向と命によって業務を遂行する、それのみです」


「了解しました。あともう一つお願いなのですが、今回の任務に限りコレを装着して作業して頂きたい」


 そう言って手渡されたのは襟元に付けるピンマイクによく似た器機だった。

 マイク部分と思しきスポンジと小さなレンズが付いていた。

 三セットあったので他の二人にも手渡せという事らしい。


「装着はピンマイクと同様です。襟元など、頭に近い場所で身体の正面にこのレンズが向くように付けて下さい。スイッチは終日入れっぱなしで結構です。バッテリーは丸二日保ちますから。事態が収束するまで毎日同じ時間に予備と交換させて頂きます。

 いつ何処で行なった方がよろしいですか」


「ではこの時間、この場所で」


「了解しました。ではお二方にもコレを手渡しておいて頂けますか」


「分りました」


 では宜しく、と頭を下げて出て行こうとした途中で「そう言えば」と振り返った。


「少し前に山本地区の担当者と揉めたそうですね。邑﨑さんはどのように感じましたか」


「どのようにとは?」


「手応え、といえば充分でしょう」


「経験は足りませんが、彼女は優秀でしたよ」


「成る程、ありがとうございます」


 そう言って今度こそ男は出ていった。

 目の前のテーブルには差し出された名刺が置かれたままになっていた。

 ソコに目を落として初めて、片桐という名の男だということを知った。

 自己紹介など右から左に抜けていたからだ。


 キコカはスマホを取り出すとアドレスから通話先を選び、「あたしです」と声を潜めた。


「ひとつ調べて頂きたいことがあるのですが」


 やり取りは簡潔だったが、通話を終えたその口元からは些かうんざりしたような溜息が漏れ出ていた。




 通常の駆除ならば夜陰に紛れてヒトを喰らう連中を待ち伏せ、あるいは被害者に該当しそうな者を保護の名目で釣り餌に使って、ソレに食いつくモノを狩るのが常套手段。

 だが、餌も狩りの対象も昼間を活動の主体しているのならばいつもの方法は使えない。


 しかも一匹一匹を丹念に狩る前に、この群れの中枢である『女王』を先に仕留めないと、気付かれた途端ソレこそ蜘蛛の子を散らすかのように逃げ散ってしまう。

 逃げ出す際に、それぞれがそれぞれに卵を抱え込むのだから始末が悪い。


 ムシの性決定は孵化温度で決まり、女王か家臣かは餌の質と量で来まる。

 将来の役割は餌係が決めるため、全ての卵が女王にも家臣にも成れるのである。


 実に厄介。


 更に大元の女王すら取り逃がしてしまったら最悪である。

 校長に説明したように捜索範囲は膨大な領域にわたり、町どころか一つの市をロックダウンさせる必要さえ出てくる。


 この群れるムシ憑きの生態は正に蜂や蟻のソレだった。

 寿命が続く限り卵を産み続ける女王を中心に、様々な役割を持ち作業をする「労働者」と巣を守る「兵隊」とが階層社会を構成している。

 そして全てのムシたちは女王の分泌する臭いでコントロールされていた。


 だから逆に、群れを支配するこの分泌物「女王物質」を手に入れることが出来れば、ムシを一箇所に集めまとめて駆除することも可能だ。

 二二年前のコロニーも、この方法で殲滅せんめつしたのである。


 だが今回はいささか分が悪かった。

 到着した当日からもう、ジワジワと女王の支配域から抜け出す個体が散見されていたからだ。

 既に巣の中で、もう一匹の女王が擁立ようりつしているに違いない。

 それが古い女王の元から独立しようと、離れる前準備として自分の配下を増やし、周囲の捜索を始めているのだ。


 自分が新たに巣を作る為の候補地を捜す為に。


 拡がる前に二匹分の女王の居場所を突き止め、その場で駆除するしかない。

 二匹分となればそれを守る前衛の数も多い筈で、手間取っている内に取り逃がす可能性だってある。

 しくじる訳にはいかず充分な準備が必要だ。


 しかし残された時間はどれ位だろう。

 どれだけ楽観的に見据えたとしても、猶予はもうほとんどないとえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る