第13話忠義に生きる裏切り者

1582年6月2日、明智光秀は1万3000の軍勢で織田信長を自害に追い込みました。本能寺の変です。


この明智光秀に付いて書きます。


明智光秀は若い頃の資料は残っていません。

織田信長が力を伸ばす為に京都に詳しい臣下をと言う事で明智光秀を登用します。

その時、5,000石を与えられました。

その頃の資料に、

瓦礫がれきのような所に埋まっていた自分を信長様は拾ってくださった。私はこの人の為なら何でもする」

と。


ある日、徳川家康の接待役を申し付けられ、奔走します。

準備は進み、宴会が始まります。

明智の何気ない言葉に激怒した信長は、明智を殴る蹴るの暴行を与え、柱に頭を何度も打ち付けられました。


そんな事もあり、明智は信長から離れていきます。


明智は信長に中国遠征中の羽柴秀吉の援軍に回されました。

ある日、明智は歌を詠みます。


「時は今、雨が下知る、皐月かな」

こるは、「時は」明智光秀の出身母体の土岐氏、「雨が下知る」は、天下と思われます。

その時の、明智光秀は天下を狙っていたのです。


出陣前、明智は福徳寺でクジを引きました。「凶」と出ます。2度3度、クジを引いたとされます。

明智軍は分かれ道に達しました。

東を選べば京都、西を選べば中国地方。

ここで、明智は全軍に言います。

「我が敵は本能寺に有り!」

しかし、本能寺の変の時、臣下は誰を攻めるのか知らなかったと資料があります。

あの資料は嘘ですな。

本能寺を取り囲みました。

織田信長は火を放ち、自害しました。


その後、明智光秀は中国から帰ってきた羽柴秀吉との山崎の戦いに敗れ、林を歩いていると、土民に竹槍で刺されて死にます。

明智光秀の天下は、11日間で終了したのです。

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